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68.【殺気】 改

 図書室で勉強を始めて二刻、三の刻を少し過ぎた頃、ユイとラッセルは休憩を挟むことにした。座ったまま手と足を同時にゆっくりと伸ばすと、縮こまっていた身体が、ミシミシと音を立てているような気さえしてくる。


「あぁ、疲れたぁ。キャロルさんも疲れたんじゃない!?」


 机に身体をペタリとうつ伏せ、顔だけラッセルの方へ向けるユイ。その手の先には、スヤスヤと寝息を立てているノアがいる。


 クックが作ってくれたおにぎりとお茶を机に並べながら「私達にしては、おしゃべりなく、集中したよね」と笑顔で話すラッセル。私達にしてはという言葉に、ユイが思わず笑ってしまう。


「レオさんの時よりは集中出来たかも」

 どう言うことかと問いかけるラッセルに、ユイは頬を染めながら答える。


「レオさんが隣に座って教えてくれるんだけど、ドキドキし過ぎて頭に入らないことが何度もあったの。平気な顔するの大変だったんだよ」

「隣ってこれくらいでしょ?」


 自分とユイの椅子の間を指さすラッセルに、首を横に振り「これくらい」と椅子を移動させるユイ。ラッセルと比べて半分以下の距離しかない。


「これは、やばいわ。好きな人にこの距離で話されたら、ちょっと......困るね」


 うんうん、と何度も頷きながら、その時の状況を思い出しまた恥ずかしくなっているユイに「これ、なんならキス出来る近さよね」と呟くラッセル。狙って言った訳ではない言葉に「キ、キ、キス!?」と、過剰に反応するユイを見て、ラッセルはちょっと意地悪を言いたくなった。


「もしいい雰囲気になったら、思いきって目閉じるのよ。ユイさん」

「そ、そんなことあるわけないでしょ。ノアだっているし、ここここここ図書室だし」

 そこまで焦る必要があるのだろうか?


『お前は何をユイに教えてるんだ。そんなの僕が許すわけないだろ』


 ユイの前で昼寝をしていると思っていたノアが、急に頭を上げ、ラッセルに文句を発する。どうやら、彼が側にいる時に発展するのは無理そうだ。二人を横目に、真っ赤な顔をしながら、ユイはクックが作ったおにぎりに(かぶり)り付いた。


 


 ラッセルが一緒の今日は、図書室が閉まるギリギリの時間までを、勉強に費やした。防音の魔道具を片付け、クックにもらった飴を一粒口に入れるユイ。甘露飴に似たお祖母ちゃんを思い出させるその飴を、ゆっくりと味わう。

 高校生の時に亡くなった祖母が、好んで買ってきていた薄茶色の丸い飴。何年振りかに食べる懐かしい味に、胸の奥が暖かくなるのを感じているユイ。


「ユイさん、ちょっと顔色悪くない? 無理してるんじゃないの」

「そう言われたら、ちょっと疲れたかも。でも、今日はしっかり食べたし、きっと大丈夫よ」

「帰ったら少し、休んだ方がいいんじゃない?」

 元々色が白いユイだが、今は一段と顔に赤味がない。決して比喩ではなく、肌が透けるように白い。


「大丈夫大丈夫。帰っていっぱい食べたら、すぐに元気になるよ。今日からは、夜食用に少し貰って帰ることにする。心配ばっかりかけてごめんね。もうね、お腹ペコペコなの早く食堂行って、たくさん食べよう」

 心配を掛けないようにと、一生懸命に元気を装うユイ。それに気が付かないラッセルではない。


『竜太子様、ユイさんがおかしいと思ったら、直ぐに言ってください。無理やりにでも部屋に連れて帰りますので』


『ユイは、なんで変なことろで頑固なんだろう。念の為に、一度聖魔導師に診てもらった方がいいだろうね』


 声には出さず、ユイに気付かれないように会話を交わす二人。そんな二人の心配を余所に、ユイは今日の夕飯のメインを予想して、一人楽しんでいる。


 ちなみに聖魔導師と言うのは、宮廷魔導師の中でも治癒魔法に特化した魔導師で、ポーションでは治せないような傷の治療や、病気の治療を主にしている者の事を指している。




 宿舎に帰り、服を着替えてから食堂へ行くと、ラッセルに告げるユイ。

「たくさん食べるには、この服は不向きだから。それに気を使いながら食べるのも嫌だしね」

 そう言うとユイはノアを連れ、宿舎三階にある自分の部屋へと一旦戻った。


 いつもの服に着替え鏡の前に行くと、思っていた以上に顔に血の気がないことに驚いたユイ。化粧を落とすのをやめ、粉白粉とチーク、それと口紅を塗り直した。

 それからベッド横のサイドテーブルの引き出しに入れてある、いくつもの便箋を手にして食堂へと向かう。


 化粧を落としてくると思っていたユイが、態々(わざわざ)化粧を直して戻って来たことに、不安を募らせるラッセル。


「ユイさん、部屋に戻ろう。やっぱり無理してるでしょ」

「もう、キャロルさんは誤魔化せないな。この手紙を返したら部屋に戻る。これだけは、お願い」


 手にした便箋をラッセルに見せ、作り笑いをするユイに「分かった。その後は部屋で食べようね」と、ラッセルは諭すように、ユイに告げる。


 貰った便箋の裏には日本語で、その手紙をくれた人の名前、もしくは特徴が書かれており、ユイは一人ずつテーブルを回り丁寧に謝罪をしていった。


 そして最後に残った4通の便箋。その便箋には何も書かれていない。最初に貰った時、四人同時に手紙を渡された為に、どれが誰のかわからなかったのだ。 

 フランメル達がいるテーブルの前に立つと、深々と頭を下げるユイ。


「お昼にお伝えしましたが、これお返しいたします。本当にごめんなさい」

「封も開けてないんですね」

 フランメルが悲壮な面持ちで呟く。


「ごめんなさい」


 再び頭を下げたのち、その場を立ち去ろうと振り返った時、ユイの身体がグラリと大きく揺れた。


 次の瞬間、小さくなっている身体を元の大きさに戻し、倒れ込むユイの下に身体を滑り込ませるノア。少し離れたことろにいたラッセルが、慌てて彼女に駆け寄る。


 突如大きく変化したノアの衝撃で、テーブルがガタンと揺れ、食器が床に落ちて大きな音を立てて散乱した。


「ユイさん!!」

 床に落ちた食器の割れる音と、ラッセルの叫び声で騒然とする食堂。ノアに寄りかかり意識が朦朧とするユイを、ラッセルが抱き起す。


「ユイさん、大丈夫?」

「ごめん......キャロル、さん」

「しゃべらなくていいから、部屋に帰ろう」


 ユイを抱えようとするラッセルを止め「私が運びましょう」とフランメルが声を掛けると、首を小刻みに振るユイ。


「......いゃ」


 絞り出すように告げられた言葉に、言葉を詰まらせ立ち尽くすフランメル。そこへユイが倒れたことを聞きつけたクラネルが、食堂に駆け込んできた。


「ユイさん、大丈夫か?」

 クラネルの声を聴き、無意識のうちに手を伸ばすユイ。


『ユイを部屋に運んでくれ』

 彼女を支えているノアがクラネルに告げると、彼は慣れた手つきでユイを抱え上げた。


 朦朧とした意識の中でも、クラネルの事だけはわかるユイ。愛しいその温もりを確かめると、クラネルの首にそっと腕を回し、自身の身体を全て彼に預けた。


「キャロル、直ぐに聖魔導師に連絡しろ」

 クラネルはそう指示すると、ユイを抱えて急いで第三部隊宿舎三階にある、ユイの部屋へと向かった。

 

  


 ユイを寝かせベッドの隣、床に膝をついてしゃがむと、クラネルは彼女の額に掛かる髪にそっと触れて横に流した。その様子を、ユイの横にいながら黙って見つめるノア。


 彼女のおでこや頬に触れても熱はなく、彼女の身体に何が起こったのか不安になるクラネル。ただ黙って彼女の手を握り、その指先にそっとキスを落とす。ノアもクラネルも声を発することはなく、聖魔導師が到着するのをただ待ちわび、時間だけが過ぎていく。


 それから暫くして、宿舎の階段を駆け上がってくるラッセルの足音が聞こえ、クラネルは直ぐに立ち上がり、部屋の扉を開けて彼女達が入ってくるの待った。


「遅くなって申し訳ありません」


 部屋に到着して直ぐに謝罪の言葉を口にしたのは、聖魔導師長のアリッサ・コリンズ。四十代半ばの女性魔導師で、クラネルも今まで何度も助けられた。肩の長さで切り添えられた真っ白い髪が、治癒魔法の能力の高さを表している。


「早速、ユイ様を診させていただいて宜しいですか?」

 そう言ってコリンズはユイの側に行き、彼女の身体を白く輝く魔法で優しく包み込んだ。


「ユイ様は、ここ数日体調が優れなかったのではありませんか?」

 コリンズの指摘にラッセルが答える。

「ここ2~3日疲れやすかったみたいです。それを聞いたのが、今日のことなんですけど」


 誰よりも側にいて、誰よりも彼女の事をわかっている気でいたクラネル。それなのに、こんな大切なことに気付かないなんて......。そんな風に自分を責める事しか出来ず、彼は強く唇を噛み締めた。


「どうやら栄養もエネルギーも足りていなかったようですね。ただ、今は魔力は回復しているので、何か対策されたのですか?」


「食べる量を増やした方がいいと竜太子様に言われたようなのですが、これ以上一度に食べる量を増やせないと言うので、回数を増やしたらどうかと提案して。今日は三の刻におにぎりを、それ以外にも飴などをこまめに摂取しました」


「それはいい考えですね。出来れば今後は日に6回三刻おきに食事を摂るようにした方がよろしいかと。

 あと、常に飴やチョコ、他にお菓子でもいいので、気軽にエネルギーを摂取出来るものを、携帯してください。エネルギーは直ぐに補充出来ますが、栄養は直ぐに補えません。その為、極度の貧血を起こされて倒れられたようです。

 治癒魔法で貧血は改善しておりますが、少し精神的な疲れもあったのではと......。ですから、数日はゆっくりされることをお薦めいたします」


「では、ユイさんはもう大丈夫なのか? 心配はいらないということか?」

「大丈夫ですよ。クラネル卿」


 彼自身が倒れてしまうのではないかと心配になるほど、(うれ)わし気な表情のクラネルを、安心させようとするコリンズ。


『僕の成長が早過ぎて、ユイに負担をかけてしまってる。だけど、僕にはどうする事も出来ない』

 ノアの辛そうな声が、ラッセルとクラネルへ届く。


「竜太子様、大丈夫です。食事の事はクックさんに相談することになりますが、きっといい方法が見つかります。竜太子様が落ち込んだら、ユイさんが心配されますよ」


『キャロル、ありがとう。そうだな。これからの事は、一緒に考えよう。ユイの事はとりあえず僕に任せて、二人は食事に行ったらいい。その後で、ユイが目覚めた時に食べれるものを、用意して欲しい』


 暫くしたら目覚めるだろうというコリンズの言葉を信じ、ラッセルとクラネルはコリンズと一緒に部屋を出た。



「コリンズ聖魔導師長、ありがとうございました」


 頭を下げ感謝の言葉を口にするクラネルを見て、小さく笑みを漏らすコリンズ。自分の片腕が失われても平然とし、命を失うことも恐れない男が見せた初めての表情。人を愛するという感情を持ち合わせていないと思われた男は、もういない。


「あなたは、たったひとりの大切な人を見つけたようね」

 コリンズの言葉に驚き顔を上げると、母のような優しい瞳がクラネルを見つめていた。

「はい」

 ただ一言だけ呟いた言葉。それだけで、彼女には全てが見えた気がした。


 そして食堂に戻ると、その場にいた騎士達の視線が二人に集まる。

「ユイさんなら、聖魔導師長に治癒してもらったから、もう大丈夫だ」

 クラネルの言葉に、安堵の色が広がった。



 しかしそれから間もなくしての事、その場を震撼させる程の殺気に満ちた威圧が、食堂棟全体を包み込んだ。


 立っていることもままならず座り込む者。息することも出来ず(うずくま)る者。意識を失い倒れる者。声を上げることも出来ず、ただ身体を震わせる者。誰もが自由に身動きが出来ない中で、クラネルただ一人が瞬時に全てを理解できた。

 ノアが放った殺気に満ちた威圧であると確信した彼だけが、ユイの元へと駆け出した。


「ユイさんに、何があったんだ」




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