65.【恋愛初心者の穏やかではない胸中】 改
ユイさんが新しい絨毯の購入を検討していると打診すると、専門業者から翌日伺うと直ぐに返事が来た。まぁ、それは想定済みではあったのだが。
彼女の身の安全を考え絨毯の採寸などは、彼女の部屋とほぼ同じ広さの俺の寝室が使われることとなり、今日は魔物討伐から急遽外れることとなった。
書類業務が溜まっていたので、渡りに船ではあった。そして何よりも、業者と言えども彼女の部屋に自分以外の男が入ることを、阻止出来たことを嬉しいと思っている自分がいる。自分の独占欲がここまで強かったとは、驚きである。
自分の寝室にユイさんがいる事が不思議でもあり、照れくさくもある状況。ニホンでは床に座って生活をすることが当たり前で、出来れば同じような生活を送りたいと願う彼女。
この国でも、王族や一部の貴族の間ではそういう習慣があると聞いて驚いたが、竜母様が輿入れした王族、貴族にのみ定着した習慣だと聞き、納得もいった。もしかしたら今後、ユイさんにもそういった縁談が持ち上がることが、あるのかもしれない。
そうなれば、魔物討伐主要部隊の副隊長と言えども、平民である俺にどうにか出来る問題でもなくなる。望みがあるとすれば、ユイさんが俺を選んでくれることだけだろう。
俺の気持ちに気付いて欲しいと願い、先日俺が告げた言葉の意味を、彼女は全然わかっていなかった。
「他の女性とは、交際する気も結婚する気もない」
ユイさん以外の女性とは......言葉の意味に気付いて欲しかったが、彼女は俺の想いに全く気が付かない。それどころか、俺の想い人であるという噂を、否定してほしいと懇願してくる。俺が否定しない理由を、なぜわかってくれないのかと、苛立ちさえも感じてしまう。
もしかして、他に好きな男がいるのだろうか。あの飲み会で言っていた『可愛い人』は、既に彼女の中に存在しているのかもしれない。この時ばかりは、自分の勘が外れていることを強く願った。
それから数日後、王城の図書室にこの国の文字を学びに行くと言ったまま、ユイさんが帰らないとキャロラインから連絡を受けた。日没を過ぎ、空は紺色へと変わり始めているというのにだ。
竜太子様が一緒なら大丈夫だと思いながらも、焦る気持ちが抑えられない。俺は鎧を脱ぎ捨てると、討伐服のまま王城の図書室へと向かった。
【超加速】を使い、一瞬で王城の入口に辿りついた。そこで俺の耳に聞こえてきたのは、戸惑った様子のユイさんの声だった。彼女の名を呼び近づく。すると、最近彼女への好意を口にしていると噂されている、近衛隊の騎士数人が、ユイさんを取り囲むようにしていた。
苛立ちを抑え、迎えに来たことを告げると、心配をかけてごめんなさいと謝る彼女。その様子を気に入らない様子で伺う彼らを無視し、俺は彼女をエスコートして、王城入口の階段を下りる。
部隊は違えど、副隊長である俺に自分達から挨拶してこないことにも、正直ムカついてもいた。だから俺は、ユイさんとの仲の良さを見せつけるように会話を続け、聞き耳を立てながらついてくる奴らの前で、わざと彼女の手を取った。
『誰が手を繋いでいいと言った』
竜太子様との約束を巧みな言葉使いで誤魔化すと、竜太子様が俺の頭の上で暴れ始め「ノアが私以外の誰かに触るの、初めてだね」と笑う彼女。キャロラインから聞いた『今のところは合格だ』という言葉を思い出し、それが大げさではないのだと実感できた。
背中に感じる男達の苛立ちを無視し、その日の夜の約束を彼女と交わす。騎士としての礼儀も持ち合わせていない奴らを、彼女が相手にするとは思えない。何よりもこの男達に、竜太子様の洗礼に耐えれるだけの技量はない。
だから数日後に、彼女が手紙を渡されているのを目にした時も、全く気にならなかった。竜太子様が何の反応も示さないことが、相手にさえしていない証拠だろう。
それよりも気になったのが、最近ユイさんと一緒にいるところをよく目にする、ケントの存在。渡された手紙の相談をしているであろう彼女の様子を、遠くの席から見守る。困った表情から、段々といつもの笑顔を取り戻していくユイさん。
なぜ相談する相手が俺ではなく、ケントなのだろう......。彼女に一番近い存在は俺だと、そう思っていたのに。そんな俺の様子を見て「お前だから、相談できないこともあるんだぜ」と告げてくるウイル。
「なんだよ、それ」
「まぁ、そんな気にするなって。竜太子様が邪魔してないところを見れば、ケントはそういう存在じゃないってことだろ? お前の時とは大違いだ」
果たして本当にそうなのだろうか。ユイさんの想い人だから、竜太子様も許しているのではないかと勘繰ってしまう。彼女を想う気持ちは、誰にも負けない自信はある。だが、彼女の特別な存在である自信は、微塵もない。
「恋愛初心者は大変だな」
ムカつく言葉を残して、立ち去っていくウイル。あいつのように恋愛経験が豊富なら、彼女の気持ちが手に取るようにわかるのだろうか。彼女の心を射止めるとこが、容易く出来るのだろうか。
絶対に彼女を諦めないという強い気持ちと、俺ではダメなのかと不安にな気持ちが渦巻く胸中。人を好きになるという事は、こんなにも胸を掻きむしられるような苦しみを味わうことなんだと、彼女を好きになって初めて知った。
その日の午後、王城の図書室で彼女にこの国の文字を教えている時、俺がふざけて始めた文字の選定が、彼女の表情を固まらせた。『手紙』の文字に戸惑い、チョークを持つ手を強張らせる彼女。
そのことに触れてほしくないであろう彼女に、わざと問いかける。
「あの手紙はどうした?」と。
受け取ったことを後悔しているという彼女の言葉に、やはりと思いながらも嬉しさが込み上げてくる。
そして、ずっと気になっていたケントの事を問うと、彼女は幼馴染に似ているとほほ笑んだ。何かを思い出した様子で、ケントの事を「可愛い」と言った彼女。やっぱり、あの時彼女が言った男は、ケントのことなのだと悟ってしまった。
彼女の心の中にはケントがいる。彼女が他の誰かを好きでも、諦めるつもりはない。そう思っていても、やはりショックは隠せなかったようで、変化に気付いた彼女が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
そう言って俺の頬に触れる、柔らかな彼女の指。その手を取り、今すぐ抱きしめたいという感情に支配されそうになる。だが俺以外の人を想っている彼女に、触れる事なんて出来るわけがない。
冷静でいられる自信がない俺は、気持ちを落ち着ける為に、休憩をすると言って一旦席を立った。すると彼女も、お手洗いに行くと言って一緒に図書室を出ることに。
言葉を交わすこともなく歩く廊下。
重たい空気が漂う中、手水場入口で別れると、鏡の前で大きく溜息を漏らせた。
もしかしたら俺の勘違いかも、そう思っていたのに......。一番近くにいる俺ではなく、なぜあいつなのか。いったい、俺には何が足りないのだろう。いや、彼女への強い想い以外、足りないものばかりで情けなくなる。人懐こい笑顔も、女性への気遣いも、俺にはないものばかりだ。
先に戻っていて欲しいという彼女の言葉通り、手水場を出て一人図書室向かっていると突然、覚えのある威圧が女性用の手水場からの方から襲ってきた。
竜太子様の威圧である事は間違いなく、彼女の身に何かあったのだと思った俺は、直ぐに廊下を引き返し彼女の無事を確認するように外から声を掛けた。
直ぐに返事を返す彼女。それなら何故、竜太子様はこんなところで威圧を放ったのだろうか?
手水場から出てきたユイさんに尋ねると、彼女は少し言いにくそうにしながらも、中で起きた出来事を語りはじめた。
「俺との噂?」
こくりと小さく頷き返す彼女を見て、侍女への怒りが込み上げてくる。なぜユイさんに近づく必要があるのか、噂が本当だとして、お前に何の関係があるのか......と。
相手が女性であろうと、容赦など出来ない。そんな俺の気持ちが通じたかのように聞こえた、竜太子様の声。
俺が受けた威圧よりも弱いとはいえ、一般女性が目の前で竜太子様の威圧を受けて、平気でいられるわけがない。失神したり、半狂乱になっていないところをみると、竜太子様はかなり手加減したように見受けられる。本心は、そんな手加減など必要ないと告げたいくらいだ。
顔は色をなくし身体をガタガタを震わせている侍女は、結界に弾かれた時に足を痛めたようで、女性騎士に支えられ漸く立てている状態。
そんな侍女を、庇うような言葉を口にするユイさん。自分が弱いから恐怖を感じただけで、侍女に危害を加えられてはいないと。
竜王様の結界が反応する程の恐怖を感じたのに、なぜ彼女は侍女を庇うのか、理解できない俺に彼女は言う。勉強を続けたい。二度と近づかないと誓ってもらえたら、それでいいと。
このことが大事になれば、行動範囲が狭められ、勉強することも難しくなるかもしれない。王城の中でさえも騎士の護衛が必要になるのではと、不安に感じている彼女は、竜太子様と俺を心から信頼してくれている。今俺が一番に考えるべきは、彼女の想い人になることではなく、彼女を守ることだと改めて気付かされる。
彼女が誰を想っていても構わない。俺は俺にしか出来ない方法で、彼女を守りたい。
その延長線上に彼女との未来があるのなら、これ以上の幸せはないのだろうが、今はまだその時ではない。悲しみに暮れる時間など、今の俺には必要ない。




