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64.【足りなかった言葉】 改

 空中散歩を終え上機嫌のノアを連れて王城入口まで来ると、レオさんは着ている騎士服のボタンを上まで留め、詰襟をきっちりと閉めた。いつもは上着を着ていても、第一ボタンは外されたままで、詰襟を閉めているのを見るのは初めて。きっちりと整えられた紺色の騎士服は、レオさんの近寄りがたい雰囲気と色気をより一層引き立てている気がする。

 ちなみに近衛隊は白、王城警備隊は黒、街の衛兵は深緑と騎士服の色で見分けることが出来る。


 王城入口から図書室までのそう長くはない廊下で、すれ違う女性が頬を染めているのを何度見ただろう。中には立ち止まり、レオさんを食い入るように見つめる女性もいたし、私に突き刺さる冷たい視線もあった。直接何かを言われることはなかったが、彼女達が言いたい事は分かっている。

 それでも、私は姿勢を正して前を向く。もう俯かないって決めたから。


 その後図書室に入ると、司書さんが禁書庫の鍵を開けようと立ち上がってくれたが、私はそれを止め初等科向きの辞書が借りたいと申し出た。

「初等科ですか?」

 戸惑いを見せる司書さんに「今日はクラネルさんに単語の発音を教えてもらうので、禁書庫の本は必要ないんです」と告げると、納得した様子で私が求める辞書がある棚に案内してくれた。


 レオさんは禁書庫には入れない。かといって、禁書を持ち出すことも出来ない。それで考えたのが、初等科で習う単語の発音を教わる方法。

 辞書に載っている単語を黒板に書き、レオさんにゆっくりと発音してもらう。ゆっくりと発音された単語は、ちゃんとこの国の言葉で聞こえるし、意味が知りたいと思えば翻訳された言葉が聞こえるという、都合のいい翻訳機能。これは先に確認済み。


 図書室の窓際の席に隣り合わせに座ると、鞄から防音の魔道具を取り出し機能させた。静かに本を読んでいる人がいる中で、発声練習なんてしたら迷惑千万極まりない。


「こんな風に使う事になるとはな」

 ピアノを弾くとき以外でも、大活躍している防音の魔道具。なんだかんだと言いながらも、やっぱり私は優遇されているなと感じている。


 私達の向かいに鎮座し、身を乗り出して覗き込んでいるノア。私が書く文字をマジマジと見たり、私の変な発音を聞いたりしては時々バカにしてきた。

 始めは最初のページの一段目から順番に教えてもらっていた単語も、似たものが続いたりして、ちょっとマンネリ気味になって来た時、突然辞書をパタンと閉じたレオさん。

 そして手を放して偶然開いたページを適当に指さし、その単語を読むという遊びのような選び方をし始めた。


「何が出てくるかわからないのも、面白いかと思って」

 少し照れくさそうに、目じりに皺を作って笑う彼に、心が落ち着かない。今ときめくな。勉強に集中! 自分を戒めながら単語を覚えていく中で、次に彼の指の先にあった単語は『手紙』  

 今、一番触れたくない単語。それを偶然当ててしまうなんて。


 気まずい空気が流れる中、先に言葉を発したのはレオさん。

「あの手紙はどうした?」

「見ても読めないから、開けてもいません。正直、受け取ったこと後悔してる」

「後悔?」

「応える気がないなら、受け取るべきじゃなかったなって」

「そうか」

 レオさんへの想いを今言う気はないが、それは紛れもない本心。


「そういえば、最近ケントとよく話してるな」

「ケントさん? そうだね、あの飲み会の後から、話すようになったかも。同い年だから、話しやすいかな。あと、幼馴染の男の子と名前が似てるから、ってのもあるかもしれない」

「親友の恋人の?」

「健太っていうんだ。だから、親近感あるのかも」


 有希(ゆうき)の尻にひかれながらも、彼女を溺愛している彼の事を思い出して、つい笑みが零れた。有希に振り回されオタオタしている健太を、今まで何度見て来ただろう。

「可愛いんだよね」

 可愛いって言うと、いつも健太に怒られたっけ。そんなことを思いながら隣にいるレオさんの顔を見ると、何故か紫の瞳に悲しみの影が見えた気がした。


「レオさん、どうしたの?」

 思わず問いかける。

「なんでもない。大丈夫だ」

 大丈夫って、何が大丈夫なのか分からない。それに全然、大丈夫そうには見えない。手を伸ばして指先で彼の頬に触れると、レオさんの紫の瞳が揺れ、長い睫毛が影を落とす。


「レオさん?」

 何も分からず彼の顔を覗き込んでも、何も答えてはくれない。

「少し休憩しないか!?」

「うん。わかった」

 これ以上質問をしても答えてはもらえないことを悟り、休憩するという彼に付いてお手洗いに行くことにした。ついでに紅も直したいから、先に図書室に戻っていて欲しいと告げ、入り口で彼と別れる。




 用を済ませ洗面台の鏡の前で溜息を漏らせ、悲しげな表情のレオさんを思い出す。

『ノア、私なにか悪いこと言ったかな?』

『ユイは、言葉が足りないからね』

『どういうこと?』

 鏡越しにノアの目を見ながら会話していると、私の隣に見知らぬ女性が近寄って来た。服装からして、王城勤務の侍女さん。淑女の挨拶をする彼女の表情は、張り付けたような笑顔で、目は怒りの色が見える。一歩前に出る彼女に反応して、勝手に後ずさりする身体。


「クラネル様とのお噂は本当なのですか?」

「えっ?」

 お付き合いしている訳でもないし、レオさんの想い人でもない。だけど、それを否定したくなかった私は、言葉に詰まってしまった。

 明らかな嫌悪を向けてくる相手に恐怖を感じた時、竜王の結界が反応して弾き飛ばされた彼女。そして顔面蒼白になった彼女はガタガタと震えながら「申し訳ありません、申し訳ありません」と何度も謝罪の言葉を繰り返す。


 何が起こったのか分からず近づこうとする私を見て「ひぃっ!」と悲鳴に近い声を上げる彼女に、ただ戸惑うばかり......。そこへ外から「ユイさん、大丈夫か」とレオさんの声が。


「私は大丈夫です。ただ侍女さんが......」

「ユイさんは大丈夫なんだな。俺はそこへは入れない。出て来てくれないか」

「でも、侍女さんが」

『彼女なら大丈夫だよ。僕がちょっと脅しただけだから』

 そう言うと、彼女を残したまま外へ出るように指示してくるノア。廊下に出ると、王城警備の騎士さんが数人、走って来るのが見えた。


「何があったんだ」

 青い顔をしたレオさんに、お手洗いの中であった出来事を全部話すと『僕が軽く威圧を与えた。ユイに危害を加えそうだったからね』というノアの声が聞こえた。

「竜太子様の威圧を侍女にですか?」

 えっ......威圧って何? それにレオさん、やっぱりノアの声聞こえてる。

 何から聞いていいのか分からない私を取り残して『お前に向けたような威圧ではない。まぁ、二度とユイに近づかないようにはしておいたよ』と会話を続ける二人。


「中に侍女がいるようだ。ユイ様に危害を加えようとしたらしい」

 レオさんの言葉で女性の騎士さんが中に入っていき、先程の侍女さんが支えられるようにして出てきた。

「レオさん、私、危害なんて加えられてません」

『だけど、ユイは恐怖を感じてた』

 私の波動を感じるというノアに、嘘は通用しない。


「その侍女の事はお任せしてもいいだろうか。私はユイ様を宿舎にお連れする」

「待ってレオさん。私まだ勉強が......」

「勉強よりユイさんの安全が優先だ」

 諭すように私に向けられた彼の言葉。

「ノアとレオさんがいるのに、これ以上の危険ってありますか? 彼女はただの侍女さんです。勉強をやめるほどの危険ではないですよ!?

 それに、私が勝手に怖いと感じただけで、彼女が危害を加える気があったかはわかりません」

 それでも、彼女に恐怖を感じたのは本当でもある。


「二度と私に近づかないと誓ってもらえたら、それでいいです。処罰は望まないと、上の方にお伝えいただけますか?」

 処罰を決めるのが誰なのか、正直全然わからない。だけど、こんなことくらいで処罰の対象になるのは違う気がする。


「私が隊長に伝えますが、上への判断は隊長に任せることになります」

 王城警備の騎士さんは、そう言って最敬礼をした後、侍女さんを連れてその場を離れていった。

「ごめんなさい。あれくらいの事で私が怖いと思ってしまったから......。だから、竜王の結界が反応してノアが怒ったのよね」

「そんな事、ユイさんが気にすることじゃない。図書室に戻っている時に、突然竜太子様の威圧を感じて、心の底から焦ったよ」

 彼はそういうと軽く息を吐いた。


「ノアの威圧って何ですか? レオさんはノアに威圧されたことがあるんですか? レオさんはいつからノアと話せるんですか?」

 質問攻めする私に、彼が困った顔を見せる。

「全部説明するから、とりあえず図書室に戻ろう。勉強を続けたいんだろ!?」


 図書室に戻り私の質問に、一つずつ丁寧に答えてくれるレオさん。彼の説明を聞いて、何故ノアがレオさんを信頼しているのか納得が出来たが、二人が会話出来る事を内緒にしていた事は釈然としない。


 そして、レオさんに休憩を取る前の悲しげな表情はもう見えない。結局あれは、なんだったんだろう。





少しでも面白い、続いが気になると思ってくれた方は

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