56.【想い人】 改
朝のお手伝いが終わり朝食を済ませると、私はそのまま部屋に戻った。
たった三刻手伝っただけなのに、階段を登る足は鉛のように重く、若さなど微塵もない足取りで部屋のドアを開けた。部屋に入いると直ぐに靴を脱ぎ、ベッドにダイブするように飛び乗ると、大の字になって身体をベッドに沈める。
『ユイ、はしたないよ』
「分かってるよ~。でも、もう無理。今日は許して~」
私はノアにそう言うと、眠りに誘うふかふかの布団に抗うこともせず、温もりに包まり目を閉じた。
『ユイ、お疲れさま』
ノアの労いの言葉を聞き終えると、私はそのまま意識を手放し、疲れた身体をまどろみの中に放棄した。
ふわふわとした感覚の中で目を覚ますと、時間はもう直ぐ昼になるところだった。
「えっうそ! 四時間も寝てたの?」
『ユイ、寝すぎ』
「びっくりだね」
私の隣でノアも一緒に寝ていたのか、呆れた顔をしながらもあくびをしている。
「やっぱりお布団に入っちゃったのが、いけなかったんだと思うんだよね」
意味がわからない様子のノアに、私は話を続けた。
「お昼寝とか、ちょっと休みたい時って、床にゴロンとするくらいが丁度いいんだよね。ベッドに入っちゃうと、寝すぎちゃうわけよ」
『床で寝るの?』
不思議そうに問いかけてくるノアに、日本では家の中では靴を脱ぐのが一般的だと説明すると『ここでも、そうすればいいんじゃないの?』と言われ「確かに!!」と、私は目から鱗が落ちるとはこのことかと関心をした。
この国では、海外のように靴を履いて生活するのが当たり前だと思っていた為、日本式の生活に変えようという考えが思い浮かばなかった。
日本食がここまで浸透しているこの国なら、もしかしたら畳もあるかもしれない。そう考え魔物討伐から帰ってきたレオさん、キャロルさんと一緒に夕食を取っている時に聞いてみたが、二人とも畳の存在を全く知らなかった。
どうやら、日本の文化が浸透しているのは、食に関してだけらしい。
日本では部屋では靴を脱ぎ、床に直接座ってゴロゴロしたり、布団を敷くことも普通だと言うと驚かれた。畳がないのならラグマットでも敷き、その上でだけは靴を脱いでゴロゴロ出来れば幸せだと言う私に「業者を呼んで作ってもらえばいい」と言うレオさん。しかし、私が買えるような安価な商品を取り扱っている業者が、王城に入れるのか疑問に思った。
「王城に入れる業者は、もちろん決まっている」
予想通りの答えが返ってきて、ため息をつくと「宮廷に頼めば「嫌です!」」 レオさんが口にしようとしている事が分かり、被せるように私は否定した。
「そう言うと思った」
レオさんとキャロルさんは、的中した私の答えをクスクスと笑った。
「とりあえず業者に来てもらって、幾らぐらいするのか聞いたらいい」
「値段の見当がつかないんだけど」
「人が寝転がれる大きさだと、金貨3~5枚ってところだろうか。
街の業者だと銀貨2枚あれば充分だと思うが」
ラグマット1枚に30~50万円。恐るべし王族御用達業者。
もうすぐ貰える給金が金貨5枚と昨日買い物した残りが金貨2枚弱。買えないこともない。
しかし、即答出来る金額でもない。
「ねぇ、値切ったり出来るの?」
私の言葉に二人は顔を見合わせた後、思いきり噴出した。
「王族御用達業者で値切るとか聞いたことない」
「ですよねぇ」
「そこまで欲しい物でも、宮廷に買ってもらおうとしない所がユイさんよね」
「ちょっと意地もあるかも」
私の言葉に「わかる」キャロルさんはクスッと笑ってくれた。
「すぐに買わないにしても、値段が分かった方がいいだろう。明日の午後にでも来てもらえるよう手配しておくよ」
レオさんの言葉に驚いて、そんなに急がなくていいと言ったのだが「今すぐ来いと言わないだけましだ」と当たり前のように言われ、王族御用達も大変なんだと勝手に納得をした。
次の日の午後、絨毯専門業者のウォーカーさんがレオさんの執務室を訪れ、私はそこに呼ばれた。王族御用達業者と言っても何があるか分からない為、念のために間取りの似たレオさんの寝室でサイズを測ることになったのだ。
執務室の隣のレオさんの寝室に入るのはもちろん初めてで、入ってはいけないところに足を踏み入れたような、恥ずかしい気持ちになった。一人が勝手に意識し、ドキドキする気持ちを落ち着かせる為に深呼吸をすると、今度は好きな人の寝室の空気を思い切り吸い込む変態になったような気持ちになり、一人慌てて息を吐き出した。
もう、私は何をやってるのよ。意識し過ぎ。落ち着け、落ち着くんだ。
心の中であたふたしていると、レオさんに「顔が赤いけど大丈夫か?」と聞かれ「ちょっと暑いですね」と顔を仰ぎながら誤魔化した。「暖房が効きすぎたかな?」と、暖房の魔道具を弱めに変えてくれるレオさん。ごめんなさい。うそです。私は、なんだか彼に申し訳ない気持ちになってしまった。
心の中で彼に謝っていると「どれくらいのサイズをご希望ですか?」とウォーカーさんに問われた。ベッドとソファーを少し移動して、ギリギリ入る大きさが希望ではあるのだけれど。
「私と竜太子様が一緒に座れる大きさがいいです。竜太子様は、まだ成長されるので大き目がいいですね」
「それだと、ベッドより大きいくらいがいいでしょうか?」
「ノアってどれくらい大きくなるの?」
『大人になると、この部屋くらいになる』
「......えっ?」
ノアの言葉に驚いて、思わず言葉を失った。寝室の広さは20畳以上はあるだろう。
想像より遥かに大きい事に驚く私に『大丈夫。小さくなれるから』とノアは軽い口調で答えてくれたが、部屋の中くらい元の大きさで過ごさせてあげたいと思っていた私は、考え込んでしまった。
「ユイさん、竜太子様はなんて?」
「この部屋くらいには大きくなると」
目を見開き驚く二人に聞いてみると、レオさんもウォーカーさんも竜王様を見たことがなかった為、そこまで大きくなるとは知らなかったようだ。
「とりあえず、ベッドと同じくらいのサイズでお幾らになりますか?」
ノアが大きくなった時のことを、今考えるのはやめることにした。そうしないと、話が前に進まない。
「防汚魔法は付与しますか?」
どうやら安価な絨毯と違い、汚れが付かないように防汚魔法の付与をする為に、金額が高くなるとウォーカーさんが教えてくれた。
「魔羊の絨毯を基本とするなら、普通なら防汚魔法ありで金貨4枚、なしで1枚といったところでしょうか」
なんと四倍の値段。掃除機もコロコロもない世界、防汚魔法があるなら絶対に付与して欲しいところだが......。
「ですが、今回は防汚魔法ありで金貨2枚でどうでしょうか?」
ウォーカーさんの申し出に驚くと「材料費と魔法付与の賃金のみで結構です」と言われた。
「竜太子様とユイ様に使っていただけることは、当店にとってもこれ以上ない栄誉です。それだけで、いい宣伝になりますので、損することはございません」
完璧な営業スマイルを向けるウォーカーさんは、腕のいい営業マンなのだろう。
「ありがとうございます。心苦しいですが、お言葉に甘えさせていただきます。あと請求は絶対に、私の方にお願いいたします。もし宮廷に何か言われても、宮廷に請求したりしないでくださいね」
私の言葉を聞いてウォーカーさんは「さすがはユイ様ですね」と営業スマイルを崩して笑った。
「今日こちらに伺う前に、出来れば請求は宮廷にするようにとご連絡をいただいておりました。そして、ユイ様なら自分に請求するように言われるかもしれないとも」
「向こうも分かっているようなので、私に請求でお願いいたします。宮廷に請求するのなら、注文はいたしませんので」
にこやかな笑顔の私に「噂通りの方ですね」とウォーカーさんは、営業ではない笑顔を向けた。
「街ではユイ様の事をこう噂しておりますよ。人懐こい笑顔で気軽に話しかけてくれる、心優しい竜姫様。奢られるのが嫌いな庶民派で、ロブ・ナイト様の想い人だと」
「つっこみどころ満載なんですけど。姫でもないですし、レオさんに申し訳ないですし。もうレオさん、ちゃんと否定してくださいよ」
「気にすることでもない」
レオさんにとっては気にするような事ではないのかもしれないが、私にとっては大有りだ。私の片思いなのに、あろうことかレオさんが私を好きだなんて、間違いにも程がある。
噂だけが一人歩きを始め、外堀を埋められていく感覚。彼の思いが私にないのに、それを彼が否定できない状況になっていっている気がして怖くなる。
レオさんは何故、はっきりと否定しないのだろう。私が彼を好きだという事に気がついていないのだろうか。それとも、受け入れる気がないことをはっきりと伝えたから、気にもならないのだろうか。
彼の気持ちが分からず、私は只々戸惑うことしか出来なかった。




