54.【いつも通りの自分で】 改
次の日の朝、私は手伝いをするために、調理長のクックさんに言われた四の半刻に間に合うように、ベットから起き上がった。
騎士服の白いシャツに後ろが編み込みになった臙脂色のスカート、そして上にはグレーのカーデガンを羽織り、少し伸びた髪を一つに纏めあげて、鏡の中の自分に「がんばれ」と呟き頬を両手で叩いて気合を入れた。思ったよりも瞼の腫れは少なく、これなら気付かれることはないだろう。
ベットの中で泣く私を見て、ノアは何も言わずに側にいて、時々涙が伝う頬を優しく舐めてくれた。側にいてくれるノアの温もりが、悲しみに沈みそうな私の心を助けてくれ、スマホから流れる音楽が、前向きになる勇気をくれた。
彼が誰とも付き合わないということは、誰のモノにもならないということ。それが分かっているだけでも、幸せなことのような気がした。自分以外の誰かを愛する彼を見なくてすむのなら、これ以上悲しみが深くなることはない。
例えこの先彼に受け入れられることがなくても、私が思いを口にしなければ、ずっと彼の側にはいられる。そう、私はずっと彼の友達でいればいいのだ。
無理をして、彼を好きな気持ちを捨てるつもりはない。彼の特別な存在になることを諦める事は出来ても、彼を好きな気持ちはきっとずっと変わらない。
私は鏡の前で思い切り口角を上げて笑顔を造り、いつも通りの自分でいると決めた。
ノアを肩に乗せ、夜明け前の暗い階段を下り外に出ると、食堂棟の前には既に討伐服に着替えた騎士さん数人が、運動をしながら待っていた。
「皆さん、おはようございます」
いつも以上に明るい声で挨拶をすると「ユイ様、どうしてこんなに早いんですか?」と口々に言われた。
「今日から食堂を、お手伝いさせていただけることになりました。一生懸命頑張りますので、よろしくお願いしま~す」
無駄と思えるほどの元気を演じて、私は食堂棟奥の調理場にいるクックさんの下へ向かった。
調理場で忙しなく動き回っているクックさんに声を掛けると、彼は大急ぎで私のところに駆け寄って来る。
「クックさん、今日からよろしくお願いします」
「竜太子様、ユイ様、こちらこそお願いしますだ」
頭を下げる私に戸惑うクックさんだが、私はそれを気にも止めず「私は何をすればいいですか?」とお手伝い出来ることを教えてもらうことにした。
食堂を手伝うと決まった時、クックさんには予め言っておいたのだ。「私が頭を下げたりするのは、挨拶の一部だから気にしないで欲しい」と。
最初戸惑っていた騎士さん達も、今では日常の挨拶として見てくれているので、そのうちクックさんもそうなるだろと、私は確信している。
クックさんと話をしていると、中年の少しぽっちゃり体型のオレンジの髪が印象的な女性が、何かを手にして近寄ってきた。クックさんの奥さんのキャシーさんだ。
彼女は手にしている物を私に差し出すと「うちの旦那が、ユイ様には絶対にこれだと言って聞かないんですよ。私は普通の方がいいって何度も言ったんだけど」と少し目尻を下げ、申し訳なさそうにした。
疑問に思いながら手渡されたそれを広げると、それは絵に書いたみたいに可愛らしい、ヒラヒラのレースがついた白いエプロンだった。
「ユイ様に、絶対に似合うと思ったんだべ」
満面の笑顔のクックさんを見て、何も言えなくなった私は、平静を装い「ありがとうございます」とお礼を口にした。こんな可愛すぎるエプロン、似合わないよ~!!
心の中で頭を抱え悶絶する私に「無理しなくていいですよ」と声をかけるキャシーさん。でもその隣では、期待に満ちた笑顔を向けるクックさんがいるのだ。私の挨拶を受け入れてくれたクックさんの為に、もうここは覚悟を決めるしかない。
「お気遣いありがとうございます。ちょっと可愛すぎて私に似合うかわかりませんが、使わせていただきますね」
ぎこちない笑みを見せる私に「ほら、ユイ様も喜んでくれたべ」と満足気なクックさんと「申し訳ありません」と謝るキャシーさん。
私は早速、可愛すぎるエプロンを身に付けた。
「それで、私は何をしたらいいですか?」
私の問いに「そうだ、早くしないと騎士さん達が来ちまう」と慌ててクックさんは調理場に戻っていき、キャシーさんが仕事のやり方を教えてくれることになった。
初日の今日は調理場で作った料理を配膳台に並べたり、ご飯、汁物、皿など無くなった物の補充、テーブルの掃除などをお願いされた。
居酒屋でのバイト経験もある私には、それほど難しくないと思われた作業は、予想以上に体力勝負となった。まず一つ一つの大皿に盛られた料理の量が多く、兎に角重い。それを何十個も配膳台に並べていくのだけれど、奥の方の配膳台に持っていく時は、一旦休まなければ落としそうで怖かった。
この世界に来てから、余り身体を動かしていないのも原因かもしれない。私は今日から、部屋でこっそり筋トレをしようと心に誓った。
そして配膳台に2/3程料理が並んだ五の刻前、食堂の扉が開かれ、冷たい風と共に沢山の騎士さんが一気になだれ込んできた。
肩にノアを乗せたままお皿を運ぶ私を見て「ユイ様、何してんですか?」と問いかけてくる騎士さん達に「おはようございま~す。今日から食堂のお手伝いで~す」と言いながら、私は次々に出来上がってくる料理を運び続けた。
一通り配膳台が埋まるくらい料理が出された頃「ユイ様、ご飯と味噌汁はまだあるかしら?」とキャシーさんに言われ、慌てて確認に行くと、食堂が開いてまだ四半刻くらいだと言うのに、5個用意されているおひつは残り僅かになっていた。
「え~!!もうないの!?」
次々と来る騎士さんの人数を考えれば、当然といえば当然とも思える。
慌ててキャシーさんに報告に向かうと、既に新しいおひつにいっぱいの炊きたてのお米が準備されており、私はそれを持って急いで空になったおひつと取り替えた。
おひつ5個を新しいものと取り替えると、今度はお味噌汁。そして空になった大皿をさげ、出来立てのお料理をまた運ぶと言うことを、幾度となく繰り返した。おそるべし騎士さん達の食欲。
食堂を出ていく騎士さん達に「いってらっしゃ~い」と笑顔で声を掛けていると、後ろから「ユイさんおはよう」と聞きなれた声が聞こえ、私の胸がチクリと痛んだ。笑顔を作り振り向くと、討伐服を着たレオさんが立っていた。
「忙しそうだな。大丈夫か?」
「これくらい大丈夫ですよ」
「可愛いエプロンだな」
「クックさんの趣味みたいです」
苦笑いする私を見つめるレオさんの視線に、顔が赤くなったのがわかった。
「目が少し赤いようだけど、どうかしたのか?」
さっき会ったキャロルさんでさえも気付かなかった変化を見逃さない彼に「また音楽が聞けることが嬉しすぎて、眠れなかったの」と言って誤魔化した。
「無理はするなよ」
そう言って優しい笑みを漏らせる彼に「行ってらっしゃい。気を付けてね」と声を掛けると、レオさんは少し照れくさそうに「行ってきます」と言って食堂を後にした。
きっと上手く笑えてたはず。今の私に出来る精一杯の強がりに、彼が気がつくことはない。
六の刻を過ぎ魔物討伐隊の騎士さん達が少なくなると、時間をずらすようにして第一部隊の近衛隊、第二部隊の王城警備隊の人達が入って来た。
私とノアを見つけて、当たり前のように驚く騎士さん達。魔物討伐隊の人達と違い、少し距離を感じるのは、気のせいではない。
私とノアに気軽に声をかけてくる人がいない中、私はニコルズさんとマードックさんを見つけて、空になった大皿を持ったまま声を掛けた。
「ニコルズさん、マードックさん、おっはよ~ございま~す」
「ユイ様、どうされたんですか?」
朝早い時間でも可愛いニコルズさんは、ピンク色の瞳を大きく開けて驚いている。
「今日からお手伝い始めたんですよ」
「竜母様がお手伝いって......」
またマードックさんが渋い顔をしている。
「竜母様じゃなくて、ユイです」
「そうではなくて、私が言いたいのは、ユイ様が食堂のお手伝いなどする必要はないと言うことです」
「だって、毎日暇なんだもん。それならお仕事してた方が楽しいもの」
「あなたという人は......」
マードックさんお決まりの、呆れた表情は今日も健在だ。私はケラケラと笑うと手にしている大皿を片付けるために、洗い場へと向かった。
そして食事が終わり食堂を出ていく二人に「いってらっしゃ~い」と声を掛けると、驚いた顔をして振り返った後、ニコルズさんが可愛らしい笑顔で「行ってきます」と返してくれた。
マードックさんは安定の仏頂面だったけど、少しだけ口元が柔らかだったのは気のせいではないだろう。
そして騎士さん達が全員食事を終えたのが七の刻少し前で、それから食堂のスタッフ全員で朝食を取ることになった。この時既に、私はバテバテ。自分の体力を過信していたのか、食堂の仕事を舐めていたのか、どっちにしろ情けないことには変わりない。
『ユイ、大丈夫?』
「流石に疲れた~!」と弱音を吐くと、突然私のお腹から魔物でも飼っているかのような音が聞こえ『ユイ、そんなにお腹空いたの?』と呆れたようにノアに言われた。
忙し過ぎて気付かなかったけど、この世界に来てここまでお腹が減ったのは初めてだ。




