52.【男の意地と触れない手】 改
買ってきたばかりの『願いの紐』を手渡した時、彼は申し訳なさそうにしながら受け取ってくれた。
「レオさんの為に買ってきた」
私のこの言葉を聞いて、無理やり受け取らせてしまったのではないかと、不安な気持ちが膨らんだ。
二コルズさんが言っていた、彼と噂になっている女性に誤解を与えてしまうのではないか!? 誤解を与えてしまうから、受け取るのを躊躇ったのではないか!? 彼にお礼をしたい気持ちが強すぎて、私は彼に無理をさせてしまったのではないのだろうか......。
胸の奥がぎゅっと痛くなる。彼に噂になっている女性がいると聞いた時も、冷静なふりをするのが精一杯だった私に、胸の痛みが教えてくれる。彼の事が好きだと......。
彼といるとドキドキするのも、彼がイケメンだから当たり前なんだと思っていた。こんなかっこいい人に見つめられたら、優しくされたら誰だってドキドキするものだと。
だけど、それだけでこんな風に胸が痛むはずはない。私が気付かなかっただけ、気付こうとしなかっただけで、彼を好きだと気付くチャンスはいくらでもあったのに......。私はなんて、バカなんだろう。
自分の気持ちに気付いてしまえば、溢れ出す気持ちが言葉になって出てしまう。
「好きなのは髪だけじゃないよ」
なんて余計な一言を言ってしまったんだろう。アメジストを選んだ理由をただ伝えたかっただけなのに。気付いたばかりの気持ちが彼にバレてしまうことが怖くて、私は思い切り不自然に話の方向を変えてしまったが、それを彼が気にすることはなかった。
もしかしたら、私の気持ちを受け取ることが出来ないからと、気付かない振りをしてくれたのかもしれない。
しかし話を変えるために振ったレオさんの魔法についての質問が、今まで考えもしなかった事に気付かせてくれた。
レオさんが雷の魔法を使えると言った時、雷という言葉が引っかかった。雷って、あの電気の雷だよね? アメリカの映画で雷の電気を使って、元の世界に戻るお話あったよね? 雷を小さくする事が出来たら、もしかして......。
小さな雷を出す事が出来るのかも、それで充電出来るのかも分からない。スマホが故障する可能性だってある。けれど、身体が勝手に動き出し、私は自分の部屋へと走って向かった。
クローゼットの隅に追いやられた鞄を取り出し、画面の消えたスマホを手にして、逸る気持ちを抑えながらレオさんの部屋に戻ると、ソファーで彼とノアが不思議そうな顔をして私を待っていた。
電気の事を彼に上手く説明出来ない私は、雷を極限まで小さく出来ないかと彼にお願いをした。私の言ってることが理解出来ない様子だが、それでも協力してくれるという彼。
彼の両人差し指の間を、何本もの小さな閃光が飛ぶのを目にし、もしかしたらと高鳴る胸。
彼は少しでも成功確率を上げようと、何度も何度も繰り返し指先に意識を集中させる。初め指の間を何本も飛んでいた閃光が、細い一本の糸のようになる頃には、レオさんの額にうっすらと汗が滲んでいた。
「レオさん、もしかして辛いんじゃない? 無理言ってごめんなさい」
「辛くはない。今まで強くする努力をしたことはあっても、小さくすることはしたことがなかったから、ちょっと苦労してるだけだ。この方法は、魔力操作と集中力の鍛錬にはいいかもしれない」
「可能性が出てきただけで、今日はもういい。充電はまた」
「俺なら大丈夫だ。やってみよう」
今度でいいから、という言葉はレオさんによって遮られた。普段やらない事をしたのなら、間違いなく疲れているはずなのに、頑なに作業を進めようとする彼を止めようとした時『男の意地だな』ノアの声が聞こえた。
『意地?』
『やらせてあげなよ。あいつの為に』
レオさんが何故意地になっているのかはわからないが、彼の為というノアの言葉を信じて、私は彼にスマホの充電をお願いした。
「ユイさん、少し離れててくれないか。上手くいくとは限らないから」
レオさんに言われて、私はノアを抱いてソファーから離れた所で様子を見守った。左手にスマホを持った彼は、右手の人差し指を充電の差し込み口に触れるくらいまで近づける。指先から出た糸のように細い閃光は、差し込み口に吸い込まれるように静かに流れていく。
そして数秒後、スマホの充電中の赤いランプが点灯したのが見え、私は慌ててレオさんに駆け寄った。
「ランプが点いてる。充電し始めたみたい。レオさん、少し時間掛かるかもしれないけど、辛くなったら言ってね。全部じゃなくていいの。少しだけ充電出来ればいいから」
「そんなに心配しなくて大丈夫だ」
差し込み口を瞬きもせず見つめる彼の表情で、この作業が集中力を必要とするんだと分かった私は、ただ黙って彼の隣に座り続けた。
長い沈黙の中、彼の額に浮かんだ汗に気が付き、私はポケットの中からハンカチを取り出し、彼の前髪をよけ額の汗をそっと押さえる。
「レオさん、もう止めて。充分だからお願い」
私がそう言うと、大きく息を吐いて差し込み口から指を離し、ソファーに背中を預けるように脱力した彼。レオさんのそんな疲れた様子を見たのは初めてだった私は、申し訳なさで胸がいっぱいになった。
「レオさん大丈夫? 無理させてごめんなさい」
「そう何度も謝るな。これで音楽は聞けるのか?」
そうだ、まだちゃんと充電出来てるとは限らない。故障がないとは言えないんだ。彼の言葉にハッとした私は、彼からスマホを受け取ると電源ボタンを押して起動させた。
緊張で汗ばむ掌の中で、真っ暗だった画面にアルファベットの文字が浮かび上がる。ロック画面が表示され、指紋認証でロックを解除する。見慣れた有希と一緒に撮った待受画面が出た時は、微かに手が震えた。
そして音楽アプリを開くと、お気に入りフォルダの『再生』をタッチして、祈るような気持ちで音が流れるのを待った。
イントロが流れるまでの数秒はとても長く、胸のドキドキが全身を包んで、息をするのも忘れる程。そんな私の様子を、静かに黙って見守ってくれているレオさんとノア。
三人の意識が私の掌のスマホに集中してから数秒後、ゆっくりと流れ始めるイントロ。私は嬉しさの余り、隣に座っているレオさんに思い切り抱きついて「やった~!!」と大きな声を上げて歓喜した。
「レオさん、ありがとう。嬉しい、嬉しいよ~!! 本当にありがとう」
彼に抱きつき感謝の言葉が止まらない私に『ユイ、ぐるじい』というノアの声が......。驚いてレオさんから身体を離すと、私とレオさんの間に挟まれたノアが怒ったように私を見上げていた。
「あ~!! ゴメンね。ノア」
『ユイ、ひどいよ。僕の事忘れて、こいつに抱きつくなんて』
ノアの言葉で我に返った私は、レオさんに思い切り抱きついてしまった事に気が付き大慌てした。
「レオさん、ごめんなさい。ごめんなさい。なんで抱きついちゃったんだろう。あ、あの、ごめんなさ~い」
顔から火が出そうとは正にこのことだろう。
恥ずかし過ぎて身の置き場がない私に「そんなに謝らなくて大丈夫だ。それより、また音楽が聞けてよかったな」とレオさんは、優しく微笑んでくれた。
「レオさんの魔法って凄い。十五分くらいしか経ってないのに、もう48%も充電出来てるなんて」
「じゅうごふん? よんじゅうはちぱーせんと?」
「えっと、これ急速充電したとしても、二刻くらいかかるの。なのにレオさんの魔法だと、四半刻で半分も出来てるの。やっぱりレオさんって凄いね。
無理させちゃってごめんなさい。でも本当にありがとう。感謝しきれないよ」
興奮が収まらない私を見て笑うレオさんの手が、私の頭に伸びてきた瞬間、私は頭を撫でられるんだと思った。だけどレオさんは伸ばした手を止め、拳を握ると「続きをしよう」と笑みを消した。
下ろされた手に、どうしようもない寂しさを感じた私は「今日はもう充分です」と作り笑顔で答えるしか出来なかった。
触ない手が、彼の気持ち......なのかなぁ。




