44.【自己肯定と与えられたチャンス】 改
飲み会の三日後、夜七の刻過ぎに、俺は防音の魔道具を手にしてユイさんの部屋を訪ねた。
キャロラインと一緒に夕食を共にした時、後で部屋を訪ねる事を伝えていた為、扉を二度叩くと直ぐにユイさんが扉を開けてくれた。
「もう仕事は終わったんですか?」
笑顔で俺を迎え入れてくれたユイさんは、そう言ってソファーに座るように促してくれた。俺の向かいのソファーに腰を下ろした彼女の膝の上には、定位置だと言わんばかりに竜太子様が飛び乗る。
「この前言っていた、防音の魔道具を持ってきたんだ。隊長が進言してくれたようで、ユイさん専用に支給されたらしい。これからは遠慮なくピアノが弾けるぞ」
防音の魔道具の入った箱をテーブルの上に差し出すと、彼女は嬉しいような困ったような、複雑な表情を浮かべながらそれを受け取った。
「本当に貰ってもいいんでしょうか?」
「上の人は、歓喜したらしい。『ユイ様が喜んでくれるモノをやっと贈れる』そう言ったそうだ」
彼女は「必要以上に高価な物はいらない。日常生活に困らなければそれでいい」そう言って、大抵の物は受け取らない。その為、それ相応の贈り物をしたいと思っている宮廷としては、困っていたらしい。
彼女は苦笑いしながら「それなら遠慮なく、いただくことにします」と言って、手にした箱をそっと開け、中にある防音の魔道具を取り出した。
防音の魔道具は両掌に乗るくらいの大きさで、平たい正方形の台の上に半円形の黒い石が取り付けられている。魔力を込めて触ることで動き出す。詳しい原理はわからないが、音を遮断する結界のような物が張られると以前聞いたことがある。
テーブルの上に置き黒い部分に触ると、彼女の魔力に反応して半円形は赤く変化して、防音の魔道具が稼働し始めた。
「ここが赤く変わる以外、見た目には変化ないんですね」
変化を見逃すまいと部屋の中を見回す彼女に、俺は一つだけ約束をして欲しいと告げた。
「この防音の魔道具を使用するのは、夜ピアノを引く時だけと約束して欲しい。
この魔道具を稼働したままで生活をされると、不測の事態が起こってユイさんが悲鳴をあげたとしても、誰も気付くことが出来ないんだ。だから、もしもの時の為に、約束して欲しい。
そしてユイさんの生活音が全く聞こえなくなって、この魔道具を使用していると判断してから、一刻以上過ぎても解除されなかった時は、念の為部屋の扉をノックさせてもらう。それで反応がない場合は、合鍵で部屋に入ることを了承してくれ。
生活音を聞かれる事で、不愉快な思いをさせているかもしれないが、周りの気配や違和感を見逃す訳にはいかないんだ。すまない」
俺が頭を下げるとユイさんは「何で謝るんですか」と、ちょっと怒り気味に問いかけてきた。
「それは私の安全を考えてのことですよね!? 私はレオさんに守ってもらってるってことでしょ!?
なのに、なんでレオさんが謝るんですか! それより、私がここに居ることでレオさんに負担をかけているんですね。全然気付かなくてごめんさない」
心底申し訳ないという顔をする彼女に「それは違う」と、俺は否定の言葉を返した。
「俺達騎士はいち早く危機を察知する為に、常に周りを警戒しているんだ。ユイさんがここに居るからじゃない。これが当たり前の日常なんだ。それが出来なければ、強い騎士にはなれない。だから謝る必要はない。何も負担になんかなってない」
「それだと気が休まる時がないってこと?」
今度は心配そうに俺の顔を見つめてくる。
「常に最大の警戒をしている訳じゃない。警戒の強さは変えられるし、慣れれば意識しなくても出来るんだ」
「やっぱりレオさんって凄いんだね」
少し瞳を潤ませながらユイさんが言ったその言葉に、俺の心が大きく揺さぶられた。
『お前は見た目にしか価値がない』
周りにそんな風に思われているのではないかと、ずっと思って生きてきた。だから俺は誰よりも強くなりたかった。自分は価値のある人間なんだと、証明してみせたかった。
しかし騎士団で実力を認められ、魔物討伐主要部隊の副隊長になっても、俺は自分自身を認めることが出来なかった。
だけど、ユイさんが言ってくれた何でもないたった一言が、俺にも生きている価値があると言ってくれた気がした。見た目ではない俺を、初めて認めてもらえた気がした。
「レオさん、いつも守ってくれてありがとうございます。そしてこれからも、よろしくお願いします」
彼女が言ってくれた感謝の言葉に胸が熱くなり、俺は思わず目頭を押さえてしまった。
「レオさん、どうしたの? 私、何かいけないこと言った?」
俺の様子を見てユイさんは慌てて立ち上がり、竜太子様を連れたまま俺の隣に座って「大丈夫だ」と言う俺の顔を覗き込んできた。
「レオさん?」
不安な顔をする彼女に向けて「ありがとう」と呟くと、首を傾げてきょとんとした顔をされた。
他の誰でもなく、ユイさんが言ってくれた言葉だからこそ、込み上げて来る感情を抑えられなかったんだろう。涙が溢れてこないように、俺は目頭を抑えたまま天を仰いだ。
「ユイさん、頼みがある。少しだけでいいから、ピアノを聞かせてくれないか」
「そんな事でいいの?」
「あぁ、ユイさんの歌は気持ちが安らぐんだ」
「そんな事でいいなら、よろこんで」
ユイさんはそう言って立ち上がると、俺の隣に竜太子様を座らせたままピアノに向かった。そして、無言で見つめあう俺と竜太子様。
ユイさんの優しいピアノの音色が流れ始めると、突然頭の中に聞いたことがない声が流れ込んできた。
『お前にとって、ユイが特別な存在なのは嘘じゃないみたいだな』
何が起こったか分からず固まる俺を見て『僕だ』と言って、竜太子様は羽を広げた。
『反応はするな。ユイに気付かれたくない』
『私の声も聞こえますか?』
『大丈夫だ。そのまま何もないような顔をしろ』
『かしこまりました』
それから俺達は微動だすらせず、頭の中で会話を続けた。
『僕が思っていたよりは、本気らしいな。なら、お前にチャンスをやる。僕との約束を守って、それでもユイがお前を選ぶなら、お前のことを認めてやる』
『約束とは?』
『お前からユイに気持ちを伝えることはするな。お前からユイに触れることもダメだ。
ユイの方からお前に思いを伝えること、それが僕がお前を認めるたった一つの条件だ』
『それで私の事を認めてくださるんですね?』
『二言はない』
『どうして私にチャンスを?』
『僕だって意地悪がしたい訳じゃない。お前の本気が分かったし、それにユイに怒られたんだよ。お前に意地悪をするなって。僕だってユイに嫌われたくはないからね』
陛下でさえも跪く竜太子様を怒るユイさんを想像して、思わず笑いが込み上げてきてしまった。
『お前ホントムカつくな。まぁ、ユイがお前を選ぶとは限らないけどな』
俺の顔を見上げた竜太子様の瞳が、ニヤリと笑った気がした。
『分かっております。だけど私は諦めませんので、覚悟しておいてください』
「ねぇ、二人とも」
突然頭の上から声がして、後ろを振り向くとユイさんが「二人して何話してんの?」と疑いの眼差しを向けてきた。
「何の事ですか?」
思わず敬語になってしまった。
「私がピアノ引くの止めても、気付かなかったじゃない。いつもならノアは、喜んでくれるし、褒めてもくれる。なのに今、二人とも何の反応もしなかったよね。
常に警戒しているはずのレオさんが、気付かないのは変だよ。絶対に二人共おかしい」
「少し疲れていて、ついうとうとしただけだ」
『僕がこいつと、話なんかする訳ないでしょ』
誤魔化そうとする俺達の言葉を聞いても、ユイさんの疑いの眼差しは変わることなく、俺達は不自然に視線を逸らせてしまった。どうやらユイさんは、変なところで勘が働くようだ。
気まずい雰囲気を払拭しようと「もう一曲聞かせてくれないか」と俺はそう言葉にした。
『うん。僕も聞きたいな』
竜太子様の言葉に「隠し事するノアなんて嫌い」とプイっと顔を逸らせる彼女。そして拗ねたまま、またピアノを弾き始める。
『なんで僕だけ怒られるんだよ』
竜太子様は納得いかない様子で、俺を睨みつけてきた。




