30.【窮屈な生活】 改
王城の客間で寝起きをするようになって一週間。その間、私は殆ど部屋から出ることなく、卵と一緒に一日を過ごしていた。
私が部屋を出るのは、魔核による魔力供給の時のみ。魔核による魔力供給は、竜王の間にある竜の口へ魔核を入れることによって行える。その竜王の間の扉を開くことが出来るのは、竜王の指輪、または腕輪を嵌めている人間だけ。つまり、国王陛下と私だけとなる。
竜王の間の前室では毎朝、魔力の高い者が当番制で魔力供給を行う。竜王様の卵を片時も離せない私は、人目のない夜明け前に竜王の間にケリーさんと一緒に向かい、誰も来ない間に部屋に戻ってくる。
卵を人目に晒すことを極力避ける為ではあるのだけれど、自分が竜母であることを知られたくない私にとっても、ありがたいことだった。
その間も常に近衛隊の騎士さんが護衛をしてくれるのだが、王城の中まで護衛が必要なのか甚だ疑問だ。そして部屋に戻ってからは宿舎に居る時よりも豪華な朝食を取り、もうすぐ孵るであろう卵に話しかけたり、豪華な飾り掘りをされたピアノを弾いたりして、一日を過ごしている。
実はこのピアノは、この部屋に来た翌日に運び込まれたもので、どうやらレオさんが私が寂しがらないようにと、クラウドさんを通して頼んでくれた物らしい。
一日中というわけではないけど、一日の大半をピアノを引いていると言っても過言ではないくらい、私はこのピアノに助けられている。このピアノがなければ、私は一日何をして過ごしていいのかわからなくなるのだから。
竜王様の卵が孵るのは、予定ではあと一週間。卵にまだ大きな変化は見られないが、初めて見た時より少しだけ、水色が濃くなったような気がする。
ベットに横になり、硬い割にはつるつるとした感触の卵を撫でながら、独り言を呟く。
「竜王様は、私の事好きになってくれるかな?」
「竜王様の鳴き声ってどんなだろう」
「早く竜王様と外を散歩したいな」
「早く出てきて一緒に遊ぼう」
「一人は寂しい」
「......レオさんとキャロルさんに会いたいな」
我慢していた言葉を口にすると、会いたい気持ちが増して寂しさが込み上げてくる。
ここに来た当日は、キャロルさんが一緒に泊まってくれた。
後悔の念が強く子供のように泣いてしまった私の涙を、キャロルさんが受け止めてくれたから、朝には冷静さを取り戻すことが出来た。一人で過ごす私を思って、ピアノを弾けるようにしてくれたレオさんがいたから、少し前向きな気持ちになれた。二人がいるから私は今、この部屋で寂しさに一人耐えることが出来ている。
天蓋付きのベッドから下り、近くにある窓から騎士団の宿舎がある東の方角へ目を向けると、突き抜けるような青空の下、白い石造りの宿舎が並んでいるのが見える。
あそこで過ごした時間より、既にこの部屋で過ごした時間の方が長い。それなのに、私の居場所はあそこだとさえ思えてしまう。この息苦しい王城ではなく、レオさんやキャロルさんのいる宿舎に帰りたい。
窓の外から、馬の樋爪の音や騎士さん達の賑やかな声が聞こえる、あの部屋が懐かしい。騒がしい食堂で三人で食べた料理の方が、一人この部屋で食べる豪華な食事より、美味しいと思えた。
私は一日に何度も溜息を漏らし、二人と過ごした楽しい時間や風景を思い出した。
食堂での騎士さん達の賑やかな食事風景、練習場で見た若い騎士さんの頑張る姿、レオさんと一緒に行ったマルシェ、クレイの背中で感じたレオさんの温もり、一緒に泣いてくれたキャロルさんの涙。一つ一つが私の心を温かくしてくれる。
その日の夕食前、部屋の扉を二回ノックする音が聞こえた。こんな時間に人が訪ねてきたことは、この部屋に来てから一度もなく、私は不思議に思いながら「どうぞ」と承諾の返事を返した。
「騎士団第三部隊の、クラネル卿とラッセル卿が訪ねて来ま......」
扉を開けた近衛隊の騎士さんの言葉を聞き終わる前に、私は部屋を飛び出しそこに居たキャロルさんに飛びついた。
「キャロルさ~ん」
「ユイ様!」
驚く彼女にぎゅっと抱きつくと、自然と笑顔が零れた。
「レオさんにも会いたかったですよ」
「光栄です」
レオさんに笑いかけると、彼も穏やかに微笑んでくれた。
「早く部屋に入って。話したいことがいっぱいあるの」
急かすように二人の手を引いて部屋に招き入れると、私はソファーに座るように促した。
私の向かいにレオさん、その隣にキャロルさん。私の膝の上には、竜王様の薄水色の卵。キャロルさんの露草色の瞳が、瞬きもせず卵を見つめる。
私はくすりと笑って、先にレオさんにお礼を述べた。
「レオさん、ピアノの件ありがとうございます。とっても嬉しかった」
「少しは暇つぶしになったか?」
深い紫の瞳を細め、優しく問いかけてくるレオさん。
「少しどころか一日中弾いてる。他にすることなんてないんだもん」
「ユイさんは、侍女を付けていないらしいな」
「そんなのいらない。子供じゃあるまいし自分の事は自分で出来るから」
私の正直な気持ちを聞いて「子供じゃないって......」と、呆れたように苦笑いするレオさん。
「それにキャロルさんみたいにおしゃべりしてくれる訳でもなく、黙って側にいられても息が詰まるんだもん」
「それはキャロルがおしゃべりだと、言いたいのか?」
「副隊長「レオさん」」
私とキャロルさんの声が重なり、思わず顔を見合わせて笑いあった。レオさんはちょっと気まずそうにしている。
「ここの生活は窮屈で、やっぱり私には合わない。早く宿舎に帰りたい。こんなドレスなんて私には似合わないし、うっとおしいだけ」
私は今着ている、薄緑色のドレスの裾をヒラヒラさせながら、文句を口にした。
「うっとおしい......ユイさんは、やっぱりユイさんね。普通の女の子は綺麗なドレスを着たら喜ぶのよ。まぁ私も嫌いだけど」
「私は、キャロルさんとレオさんがくれたワンピースの方が好きです。あの服の方がずっとずっと着心地がいいし、私らしい」
二人がくれたワンピースはキレイに洗濯され、この部屋のクローゼットに収められている。
「そう言ってくれて嬉しいよ」
レオさんが深い紫色の瞳を細めて、優しい笑みを頬に浮かべる。
「あっ、あれって副隊長とお揃いですよね?」
キャロルさんが瞳をキラキラさせながら、問いかけてくる。
「ち、ち、違います。たまたまですよ。店員さんが薦めてくれた服が......あれで」
慌てて否定した言葉は尻窄みになる。
「副隊長......」
キャロルさんが何か言いたげに、レオさんの顔を見ている。やっぱりレオさんに迷惑かけちゃったみたい。
「たまたまだ」
レオさんもそう答えたが、ちょっと不満げに見えるのは何故だろう?
「ユイさん、竜王様の卵って触ることって出来るの?」
「大丈夫だよ。まだ私以外触ったことないけど」
「えっ? 陛下も?」
「はい。誰も」
一瞬動きが固まったキャロルさん。
「そんなの触れるわけないじゃん」
「どうして?」
「陛下より先に触るなんて有り得ないわよ。無理無理無理」
両手を身体の前で振りながら、拒絶するキャロルさん。
「そう、なのかな?」
「いや、俺も絶対無理だ」
レオさんにも、全否定されてしまった。
「こんなに可愛いのにねぇ」
卵を撫で撫でしながら呟くと「「そういう問題じゃない」」と二人に言われ、私は首を傾げた。
どうやら私の考えはちょっとズレてるらしい。なにが無理なんだろうね?
私は膝に乗せている卵をもう一度撫でながら、心の中で呟いた。




