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王子様は従者様  作者: みや毛
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大変申し訳ございませんでした

なんとか着地点が思いついたので年内に完結できればと思っています

セッツァ公爵家の名を知らぬものはこの国にいないだろう。セレスティアで唯一の公爵家であり社交界、国政に深く関わりのある非常に力のある一族だ。この家門を敵に回したら最後、といってもいい。特に、現当主の娘であるところのイグレーンは王家との婚姻まで決まっていた。それが第二王子でないことが些か影を落としていたが、公爵家の持つ権力を考えればその程度の欠点があった方が望ましいのである。

カイロス──否、レオファード・サジタリアスはイグレーン・セッツァの再従姉弟関係にあった。現公爵夫人はパニジアの辺境伯家の生まれで、その縁を辿り大公からの命を遂行すべく義弟としてこの国に潜り込んでいる。自分の持つサジタリアスの姓はあまりに知れ過ぎているので名前まるごとを変えることにはなっているが、今のところ首尾はなかなか。次期国王の地位がほぼ約束されている第二王子とはそれなりの関係が築けているし、今のところこの国に問題はないように思える。まあ、気になる点なら山ほどあるが。

すれ違う使用人たちの出迎えに片手を上げて応じてレオファードは足を進める。目当てのドアの前に辿り着いて軽く身だしなみを整えて一呼吸。静かにノックをすると美しい声が許しを出した。


「義姉上、婚約者殿とはどう?」

「……どうもこうもないわ、おまえも知っているでしょう」


帰ってきてすぐの言葉がそれかといいたげに振り返った女が眉を顰める。長いまつ毛を伏せてため息を漏らす、その仕草だけでも絵になる彼女だが婚約者であるところの王子には一切響かないらしい。イグレーンは読んでいた本を閉じ、さらりと美しい髪を耳へかける。


「相変わらずよ、義務的に茶会の誘いをするだけで交流の一つする気もない。ずっと本を読んでいるだけだったわ。帰ってもいいと言われたけどそうもいかないからただそこにいただけ」

「うわぁ……」

「でも、悪意は感じないわ。本当にどうでもいいって感じ」

「それもどうかと思うけど。パニジアとの繋がりを補強するための婚姻だろ?」

「フフ、可愛い弟にいいことを教えてあげるわ」


ゆっくりと足を組む淑女らしからぬ姿が泰然と微笑む彼女によく似合った。イグレーンは社交界では完璧な淑女の鑑と持て囃されるけれども、彼女の本性は中々性格が悪いのだ。貴族らしい、といえばそうかもしれないがよく周りに賞賛されるような慈悲の姫、という感じでは全くない。

その形の良い唇が紡ぐことには、そもそもこの婚約はあの第一王子を臣籍に移すためのものだという。現当主もイグレーンも織り込み済み。遠縁から養子に迎え入れた「義弟」がいるので大抵の貴族は誤解してくれているが、セッツァの後継者はイグレーンだ。王家に嫁ぐのではなく、王子を婿として迎え入れる婚姻。それを知らない関係者はあのジラルディーノだけだった。もとよりクリスティアーノが生まれてから結ばれた婚姻だ、最初から現国王はジラルディーノに王位継承権を渡すつもりなどなかった。本人の気性が荒いともっぱらの評判なので本人に伝えず留学なり何なりさせて厄介払いをした隙に正式にクリスティアーノを立太子させて、婿入りのことも明らかにするつもりなのらしい。


「……本人の同席無しに?素行不良の王子とはいえそこまでやるか?」

「素行は大して問題ではないわ。そもそもいてもいなくてもいいものなのよ」

「目の色が薄いから?馬鹿馬鹿しいね」


いくら何でも子に対するやり方だろうか。関わるのも面倒という姿勢がありありと見える。そう、セレスティアに対する気になる点というのは異能に対する過剰なまでの崇拝がひとつだ。パニジアにはそのような異能はない。魔法はもう神話の中の存在となった。人の手から離れ、自然の恵みから調合する魔法薬、ポーションがその面影を残すのみであった。そんな中、未だ衰退せず神秘を身に宿すセレスティア王家は興味深いが、危うさを感じる。いつその異能が消え失せるかもわからないのに国民全てが依存しているように思える。確かに冷害や嵐、川の氾濫など先んじて知れていれば心強いけれども、ある程度季節的なものであれば毎年のデータを作って備えておくとか、予言がなくてもやれるかことはないのか、と思うのがレオファードであった。そんな弟の不満気な顔に苦笑するイグレーンだったが、ふと、思い出したように口元に手をやる。


「……ああ、そういえば彼が声を荒げたのは初めてかも」

「何かあった?」

「クリスティアーノ殿下がお出でになったの、あの怖がり方、並のものではないわね」


兄の婚約者に挨拶がてら突撃しに行ったのだろう。あのひとは人に好かれるタチだが兄にだけは邪険にされているのを実は結構気にしている。にしても怖がる、か。聡明な姉にはそう見えたらしい。普通、うっとうしがるものではないだろうかとレオファードは首を傾げた。


「……あの兄弟に関わりは全くないのでしょう?」

「あぁ、殿下の方はなんとか話をしたいらしいがすっぽかされたり逃げられたりばかりだってよく愚痴られるよ」

「そうよね。なら何故あそこまで過敏に反応するのかしら。有能な弟が憎らしいとはいえ、普通走って逃げ出すまでする?」


いくら何でも過剰すぎる。そんなに嫌うほどの交流はないはずだが、何があの王子をそうさせるのか。レオファードからすると、ジラルディーノはいつだってつぎはぎの人形のように哀れに見えた。




「サジタリアス…!?」

「流石に、記憶にあるらしいね」


濡れた前髪の向こうでくつくつとカイロス──ではなかった男が笑った。なぜだか嬉しそうに見えるのは漸く面倒な芝居なしに話ができるようになったからだろうか。ジラルディーノは驚きに目を見張ったが、一度息を吐いて苦々しく問いを吐いた。


「大公に国取りでも命じられたのか?革命の旗印に私を担ぎ上げようとでも?」

「まさか。そんなに大きなことを起こすほどセレスティアに価値はない。ただ、このまま国が荒れて亡命者でこちらが流れても困るんだ。閣下は面倒ごとが嫌いなタチでね」


まあそうだろう。パニジアとセレスティアの同盟関係は国主であるところの両名のさほど仲が悪くなかったから続いているだけのもの。破棄する理由はないが特に拘って続けるほどの理由はない。ただお互い侵攻をしないための制約のようなものだ。それに、セレスティアは王家の異能以外に目立ったものがあるわけでもない小国。王が健在であれば国政は荒れず財政は傾いていないしそれなりに常に安定している、という平和なだけで、他国に垂涎のまととなるような存在でもない。まあ、それほどのはっきりした力があるのなら隣国が血を入れようと婚姻を求めてくるのではという意見もあろう。だが、もうこの世界に安定した神秘はない。次の代には途絶えるかもしれないものに手を出すほど周辺諸国は夢見がちではなかったのだ。


「僕が成せと命じられたことは一つ、セレスティアを安定させることさ」

「……?」

「分からなくてもいいよ、ただ、予言に頼りきりの国は見てられるもの、じゃなくてね」


レオファードの言うことはジラルディーノもわかる。だが、それでも自分が焦がれてつかめなかったものだ。どんなに現実から浮いたまやかしのように見えてもそのように言い捨てられることには思うこともある。肩をすくめる音から目を逸らして鼻を鳴らすと、向こうは戯けた調子で話を続けた。どうやら、カイロスとは違いよく喋る性格だったらしい。ジラルディーノからすればどうでもいいことだが。


「君に求めることはひとつ、弟と話し合うこと。すげかわれという気はない。君にカリスマがないのは自他共に認めるところ、ってやつだろ?」

「……ことわ」

「おっとごめん、言い間違えた」 


カイロスであったならジラルディーノの拒絶に困った顔をしただろう。だがもう、目の前の男はレオファードなのだ。それを忘れていつも通りにべなく返事をしたジラルディーノに予想していなかった衝撃が襲う。


「がっ…!」

「君に命じることはひとつ、だった」


壁にもたれるように座り込んでいたジラルディーノの首をレオファードは片手で押さえつける。両手でないので殺すつもりでないことはわかったが、それでも込められる力に容赦はない。苦しみにもがきながら腕をかきむしられても好きにさせる余裕さえある。これにとって自分は生きていても死んでいても構わないのだ。そう確信させるほどこちらを見る目は冷たい。だからもはや頷くほかないのだ。赤くはないジラルディーノにとって持つものはもはや、命しかないのだから。抵抗が渋々やめられると首元の手はするりと解けた。


「まぁ、万事任せてよ。大多数に悪いようにはしない」

「ゲホッ、かは……うるさい、私は民のことなど、どうだって構わない!」

「うん、だから?言っとくよ。僕は君に難癖をつけて突き出して処刑に持ってくことくらい簡単なんだ」


首を絞めたとは思えない人懐っこい笑顔でレオファードは笑いかけてくる。その平坦さにジラルディーノは顔を顰めた。この十年下町暮らしだった。なるべく近寄らないようにはしていたが貧民街に足を踏み入れたこともあるしギルドの中にも気性荒く悪辣なものもいる、依頼人だって横柄なものも少なくない。それに、ジラルディーノはそもそも悪意の中にいた人間だ。つけるのも向けられるのも慣れている。けれど、こうして直接の脅しを喰らうのはそう多くはない。久々に、宮廷の毒を薄めたような空気を思い出してしまった。


「……大仰な戯言だな。そんな些事を気にする余裕が今のセレスティアにあるのか」

「へえ、悪知恵なら結構回るんだ。でも、別に気を払ってもらう必要はないんだよ、人を処分することにね」


ふと思い出したのはあの罵声と哀れみの飛び交う処刑場。あの日初めてジラルディーノは大衆から声を向けられたと言っても過言ではない。あれを繰り返すなど二度とごめんだ、ごめんだが、レオファードはそんなことさえせず秘密裏に処分することを躊躇わないと言う。それもそうだろう、そも、セレスティアのジラルディーノはほとんど死んだ王子だ。それが本当に死のうが生きていようが問題はない。繰り返すが、もはやジラルディーノが持つものは命しかないのだ。苦い思いに奥歯を噛み締めながらゆっくりと、口を動かす。


「……………………わか、った」

「よし、改めてよろしく、ジラルディーノ殿下」


当然よろしくなどする気はない。白々しくも差し出された手を一瞥さえせず無視していると、さして気にしたそぶりのないレオファードが小気味良い音を立てて手を打った。


「そうそう、髪は切ろうね。顔がわからないから」

「はぁ!?ふざけるな、うわぁ!?」


名案とばかりに口にしたそれに思わず顔を向けるとその手にはいつの間にやら鋏が握られていた。ゾッとして逃げ出そうとしたがもう遅く、先ほどのように――流石に首は閉められなかったが――体を押さえつけられたジラルディーノの耳にシャキ、と呆気ない音が届き、久しぶりに大きくひらけた視界が見えた。


「うん、さっぱりした。こうしてみると結構似てるね」

「………………」


湿った前髪が床に落ち、目元には短い毛がまとわりついた。見られたくない目、見たくない世界、それから守るために伸ばしていた脆い鎧はあまりにも簡単に崩れてしまった。

サジタリアス。それは、家紋に蠍を掲げる大公の懐刀。主の命は何の犠牲を払っても遂行する執念深さと悪辣さで有名な一門の名であることをジラルディーノはざっくりと切られ床に散った髪を見て思い知るのであった。そして、改めて思う。自分はこの男とよろしく、なんてやっていける自信などないと。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新、ありがとうございます。 いやー、レオファードだけでなく、元婚約者さんもなかなかの性格だったんですね。
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