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王子様は従者様  作者: みや毛
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大変お待たせしております、申し訳ない…

留学の日、ジラルディーノに付き添って来たのはたったの数人だった。前回はそれを腹に据えかねて無理にもう何十人かを引きずってきたのだっけ、工作をやり過ぎてしまったかと内心苦笑する。もっともここ数年は使用人を転ばせるよりはネチネチ虐める方が多かったけれど、十分過ぎる効果を示してしまったようだ。


「…仮にも第一王子に対してこれだけ、とはな」

「で、殿下……」

「あぁ、もういい。お前達もとっとと城に帰ってしまえよ、留学先で運が良ければ第二王子のおそばに侍れたのに、とか零されても不愉快極まりないからな」

「そ!そんな!そもそも殿下1人で留学など…」

「は!私の世話を出来るものがこの中に何人いる?ろくに部屋の掃除もしなかった役立たず共がよくもぬけぬけと!」

「ひ……!」


まず訂正、たしかに第一王子の職務に力を入れようと思った人間はいなかったがそれは自分の嫌われる努力のためだし、それでも部屋に来た人間については追い返そうとしたから誰も世話をしなかったのは当たり前だ。まぁ流石に着替えに髪の整え、おまけに食事と部屋の掃除までできるような王族なんて滅多にいないのでもう少し権力に甘えた男を演じてもよかったかもしれないと思ったが、それで何かに気がつかれても困る。だって自分はようやっとこの日を迎えられたのだから。一度息を吐き出して、とびきりの不機嫌な顔を作る。


「無能など要らぬ、去れ。顔も見たくない」


これでやっと、王族を辞められる、あの城から逃げ出せる。これでもう、失望の眼差しを浴びることもない、求められないことを嘆く必要もない。これからはそんなことが当たり前のただの平民へなるのだから。どうしたものかと顔を見合わせる使用人たちに背を向けジラルディーノが乗船しようとしたその時、澄んだ声がその身を貫いた。


「………お待ちください!兄上!ジラルディーノ兄上!」

「………………は?」


振り返った先にいたのは輝かんばかりの金糸を乱しながらこちらへと駆けてくるクリスティアーノの姿。なぜ、どうして、今日は厄介な第二王子を追い出しての盛大な茶会が城内で開かれていたはずなのに。着飾った弟が息を切らせてこちらにかけてくるのにぞっとして足が凍る。早く階段を登って、船に入ってしまえばいい。でも、あの愛しい王子の願いを聞き届けない人間がこの国にいるのだろうか。嫌だ、何も話したくない、やっと今日、逃げ出せるはずだったんだから。


「…気が変わった、あれの相手をしてやれ。お前達に出来ることなどその程度しかあるまい」

「は?あ、あの、殿下…?」

「耳がないのか愚図!第二王子を私に近づけるなと言ったのだ!貴様らの本望だろうが!」

「は、はっ!」


震える声を必死に抑えて、怒鳴りつけると使用人たちは間抜けな足取りで走り出す。ジラルディーノはもつれる足を不恰好に動かしてタラップを駆け上がった。


「…兄上!兄上!」


それを追う声がする。目だけで振り返るとあの純真な眼差しがこちらを見上げていた。従者たちに押し留めながら、大きく声を張り上げて。


「……僕は!クリスは信じております!必ずお会いできると!だから…!」




その先は聞かなかった。ジラルディーノの方はもう二度と、会いたくはなかったから。用意された部屋へと走り出すその瞬間ふと、頭に浮かんだのはひとつの疑問だった。


クリスティアーノは何故あんなに、不出来な兄を追ってきたのだろうかと。






気まずい。つい堪えきれずにカイロスに怒りをぶつけて逃げ出してきてしまったが、まるで子供の癇癪ではないだろうか。宿を衝動的に飛び出して鞄の重さが腕にきた頃、ジルはそんな現実にぶつかった。


「……適当に誤魔化して、帰るか」


逃げてきた方を一瞥したが、それでもやはり戻ろうという気は起こらなかった。何もかもが今更だ。あの国を救う義理は自分にはない、そうしてまた一歩宿から遠ざかろうとした時、ジルの頼りない腕がぐんと強く引かれた。跳ねた心臓を抑えて振り返るとそこにいたのはカイロスだった。だがその顔に人懐っこい、どこか気の弱そうな影はない。その両目はぞっとするほどに冷たく、ジルは寒気に肩を震わせる。しかしそれも何にもならずカイロスはジルの腕を取ったままに引きずるようにして宿へと足を進めた。 


「痛ッ、待て、やめろ!おい!」


静止の声はなんの役にも立たず、離したはずの距離は近づいていった。人目があればもっと大袈裟に騒げたのだが、カイロスはするすると器用に人気のない場所から路地裏へといった風に道を取るので誰にも止めてはもらえない。いっそ叫び出すかと思ったときにはもう飛び出した場所に逆戻りとなっていて、ロビーが無人だったため、最後のチャンスさえ掴めなかった。そのまま部屋に押し込まれ、後方からは鍵の閉まる音がする。


「優しいやり方は、もうやめにしましょう。貴方の逃避は、貴方を叩き割ることでしか阻めなさそうですから」

「何、を……」


何が何だかわからない、カイロスの声はまるで別人のようだった。思わず身を固くしたが、彼の腕を掴む力が弱まることはなくそのまま浴室へ。するとカイロスはジルの腕から手を外したかと思うと、頭を掴んで浴槽に押し込んだ。ごぼりと浴槽に息を吐いて暴れるがそれさえも押し込められてしまう、頭を沈められて、呼吸のために持ち上げられてを等間隔に数度。殺される、そんな原初の恐怖に視界が湯だけでないものに滲む。ぼやけた視界で、浴槽が黒く濁っているのが見えてそれにも肝が冷える思いだった。染めた髪が以前の金に戻っていく。それがとても恐ろしくて咳き込むとようやくカイロスの手が離される。怯えながら傍らに目を向けたが、その顔はあくまで事務的だった。いっそ、加虐を楽しむような顔をしてくれた方が良かったかもしれないのに。


「はっきり申し上げます、貴方には故国を変える義務がある」

「…げほっ、……そ、んな、あるわけ」

「いいえ、あります。貴方に例え才がなくとも、今まで生きてきたのは貴方の力だけではない」


声は毅然と、瞳は真っ直ぐにジラルディーノを射抜いた。それについ、息を呑む。その言葉は紛れもない事実に他ならない。


「貴方の血肉、貴方の知恵、そして、貴方の道具。たとえクリスティアーノ殿下に及ばぬとも、その為の金は膨大なもので、それは全て民の税によって作られたものだ。殿下はそれを忘れて、全てが御身の努力ゆえと勘違いをなさっている」


なんて正論。もちろんジラルディーノ自身の手際の良さもあったのだろう、しかし、ポーションのレシピも道具も、そして、その為の金はジラルディーノが働いた報酬ではない。それを好きにできる間に掠め取って育ててきたもの。そのひとつひとつで、平民は一月を安穏に過ごせたのかもしれない。誰もいない部屋、自分が掃除した部屋で毛布にくるまっていた夜も、街のもの達はまだ起きていて、薄布になんとか身体をおさめようとしていたのかもしれないのだ。そんなこと、分かっていた。ジラルディーノは聡明ではなかったが、育ち相応の考える頭はあったのだから。だが、それでも。


「…な、何も、誰も!民も、王も、貴様らも!私に何一つ期待をしてこなかったくせに、今更私に何かを求めるのか!?」

「えぇ、貴方は望まれなかった、愛されなかった。しかしそれでも責任は存在します」


血を吐くほどの渇望は、ただ幼稚と切り捨てられただけ。お前のせいという叱責も、お前は悪くないという慰めもない。ただジラルディーノがそういうものという扱いに終わっただけだとカイロスは言う。ジラルディーノのはその言葉に恐怖を忘れて奥歯を噛んだ。そんな呆気のない真実を認めたくないから、ここまで来たというのに。視界に入る痛んだ金の髪は見窄らしい現実を写しているようだった。何もされなかったのだから何もしない、そんな義理がないなどと言う言い訳は通用しない。ジラルディーノがジルでいられたことこそ最低限の投資をされてきた証左なのだから。


「死にたいのならば死ぬがいい、だが精算を済ませろ。ジラルディーノ・セレスティア」

「お、前、何様のつもりで」

「あぁ、そうか。挨拶がまだだったかな」


もはや主人の兄に対する礼を失した物言いにジラルディーノはカイロスを睨み上げた。それにようやく、冷たい顔が動いて忘れものを思い出したような表情が浮かぶ。どんなお人好しでもわかる、この男の本性がお人好しなどではないということくらい。彼は胸に手を当てて小さく頭を下げてから笑って、今更すぎる自己紹介を始めたのだった。


「僕はレオファード・サジタリアス、公国パニジアのスパイですよ」


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― 新着の感想 ―
[一言] ついにカイロス(偽名でしたけど)が本性を表してきましたね。 続き、のんびりお待ちしてます♪
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