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「…流石にやり過ぎた、か?」
ずらり、と机に並べられたガラス製の器具たちを眺めると欠片ほどの良心がしくしくと泣く気配がした。これが誕生日プレゼントならまだいいが、王宮の錬金術師その新入りから強奪をしたものであるからだ。王子である私に否などないだろう、と気の弱そうな男を怒鳴り散らしてめでたく勝ち取った。どうみても最悪だ、ジラルディーノは乾いた自嘲を浮かべてまだ手には大きいフラスコの口を指で突いた。
ガラスは高級品だ、ジラルディーノの机に並べられたこれだけで金貨がいくつ積まれることか。だが、現在のジラルディーノは5歳、わがままを言っても許されると、思う、思いたい。まぁ嫌われてもいいからと無体を働いたわけではあるのだが。椅子に座り締め切ったカーテンを一度ちらと見て、これまた城の図書館から借りっぱなしの薬草図鑑を開いた。
カーテンの外には、明るい庭と賑やかな笑い声があるのだろう。だってクリスティアーノが「前」と同じように生まれたのだから。申し訳なさげに廊下に控えていた使用人たちも今は誰もいない、可愛らしく真っ赤な美しい目を持った第二王子は生まれながらにしてあらゆる人々を魅了した。もっともそれは、ジラルディーノというハズレがあったからというのもあるのだろうがそれはいい、どうせ世話だってろくに焼かれなかったのだから、何も変わらない、何も。「前」はあの輪の中に何故部屋に来ないと割って入って側妃やらメイドやらの顔を曇らせたものだけど今はその気もない。
母の、王妃の気は狂った。父は、国王はそれを修道院に送った。息子は1人とでもいうように触れ合いはより一層事務的なものになる、変わらない、何も。
じっとまたカーテンを見る、諦めていてもその光景を見たくないのはジラルディーノが持つ感情さえ変わらないからだ。
妬ましい。実の弟が。生まれただけで愛される彼と生まれただけで落胆された自分。その気持ちは今もある、だから見たくない。あれを直視してしまったらジラルディーノはまたクリスティアーノを憎む、それはつまりまた死んでしまうということだ。
(…だから憎ませてくれるな)
勝手なことを言っている自覚はある、それでもやはり全てを捨て去ることは出来ないのだ。カーテンの奥の窓から目を逸らすようにジラルディーノは強奪品を弄り出した。
◆
「殿下」
「………」
「……ジ、ジルさん。腰が痛いとか喉が渇いたとかありませんか…?」
「いえいえ、まったく。寄り道は結構ですよ。ワタクシとしてもピュッと帰りたいですからねぇ」
ジルは気まずげな表情のカイロスに貼り付けただけの笑顔を返して馬車の小窓から外を眺めた、もはや街の関所は米粒ほど。悲しいことにギルドで登録をされてしまったらばジルにはセレスティアへの同行を断ることは出来なかった、ある程度は本人の意思を聞くことがあるがジルに庇ってくれる優しい知り合いはいない。むしろ職があるなんて恨めしいと背中を叩かれたほどだ、きっと手形の跡がまだ残っているだろう。
「その、ジル、さん。改めて我がセレスティアの惨状についてお話ししても構いませんか?」
「話したいならドウゾ」
「ありがとうございます」
窓の外を眺めながら素っ気なく答えると安堵したようにカイロスが小さく息を吐き出す。国の平定に関わることに関してジルは本当に何一つするつもりはない、道理がないのだ。愛着も義理もない国や家族に対して何をしてやれと云うのだろう、勿論城下の平民達に比べれば不自由なく少年時代を過ごしたがそれも18まで、海難事故にあってからは慎ましい生活をしてきた。そもそも、王宮での18年とて第一王子にしてはかなり物の少ない生活をしてきた。
王族やいつか王家に加わる婚約者の為の礼服、ドレス、装飾品、剣、それらは全て国庫から出されるものだがクリスティアーノが事あるごとに理由をつけて国王や側妃から贈り物をされていたのに対し、ジラルディーノに向けては義務的な最低限なものだった。「前回」のジラルディーノはそれに腹を立て礼服やらをせびっていたが今のジラルディーノ、ジルにそんな欲はもうなかった。
(そも、あんな冷めた目で見られてはな)
何の役にも立ちそうにない子とそうでない有望な子。逆立ちしたって勝ち筋は見えない、わがままを言っていた時だってクリスティアーノは降ってくるような両親、両陛下からのプレゼントを悪い、といって固辞していたくらいなのだ。性格ですら及ぶはずもなく。
だからこそ、少し興味はあった。何一つの愛着はないけれどあそこまで仲の良かった、ジラルディーノの入れない輪の中にいた者たちがどうして1人の女を取り合って憎しみ合う事態になったのか。ちらりと一度カイロスの顔を見やると、ジルの視線を受けて頷き重々しく口を開いた。
カサンドラ・ミュラー伯爵令嬢、これといった功もなく財もない数多くいる貴族の娘。ミュラー家こそ伯爵位を得ているが小さな領地には特別な名産品もなく何かに優れていると言う噂も聞かない。少し前までは社交界にいたジルからしても印象には残っていない、それが王子の恋人になるのだから分からないものだ。
そういえばジラルディーノの婚約者であった公爵令嬢は今頃どうしているのだろうか、クリスティアーノの方へ行ったのだと思っていたがカサンドラがいるのだから他の男と婚約しなおしたのかもれないが、セレスティアと親交のある大国パニジアの高官の血筋の娘だったはずだ。それをむざむざと手放すものだろうか。
そこまで考えて軽く頭を振った。数度しか会っていない女のことなどどうでもいい、どうも「今回の」カサンドラは様子が違うらしいのだから。
さて、そんな平凡な──貴族なのだから器量よしというのも平凡として──少女がどうして王子の目に留まったか。それは彼女が大きなことから細かいことまでまるで読んだ物語を諳んじるように予言して見せたというのだ、そのおかげでクリスティアーノは王立学園の学園祭、その催しである模擬決闘試合で大怪我をせずに済んだのだという。
それを聞いてジルは唖然と目を見開いた、国王よりも深い赤を持つ王子が予見できなかったことを王家の分家筋でもない伯爵令嬢がしたというのだから。自然と、漏れた声は震えていた。
「カサンドラが…先見をしたと?」
「はい」
「ありえない。予知の力は王家だけの、しかも赤目だけのはずだ。ただの占いとは訳が違…違う、とぉ、思いますねぇ〜」
「あの、殿下。そう無理に御身を偽らずとも」
「誰がいつ何をしたっていうんです。貴族サマは変な勘繰りをなさいますね」
遅い取り繕いに気遣わしげな顔をするカイロスをやれやれと見遣って、ジルは気怠く片手をひらひら振った。
「というか、改めて申しあげますがジラルディーノ殿下とやらは素行不良で成績も思わしくなく剣の腕も冴えず、ついでに見た目も凡庸なハズレ中のハズレのはずでしょう?そんな不可思議な国の内情にどう使おうってんです」
「…私は、殿下をそのように思ってはおりません」
「はぁ?」
戯けるジルにカイロスは少しむっとした表情で言い返した、接点など一つもあるはずがない弟の使用人に否を挟まれるのが不思議でならずジルは首を傾げた。
「曰く、幼少の頃より植物に興味をお持ちで図鑑を借りられていたとか」
「表紙が好みだっただけじゃないですか?」
「創薬を始めとした錬金術に親しんでいたとか」
「高い道具を並べて悦に入ってたに決まってます」
「…手、手先が、器用と…」
「あぁ、城中の使用人を転ばせるのがお得意で」
重なる否定にカイロスの声はだんだん萎れていく、これは意地悪などではない、ジルは本当に賢さを隠しているというわけではないのだから。ただ、何の準備もなく平民の生活に混ざるのが現実的ではなかっただけ、何一つ得意なことも持たず悠々自適に暮らしたいなどと城下の子供でも考えない。薬草になる植物を覚え、獣の捌き方を頭にたたき込んだ。ポーションは高価な道具なくても数種は作れるように手技を身につけ、小道具程度は買わずに済むよう手先の器用さを磨いた。それだけのことを勝手に勘違いされても困る、ジルは頬杖を突いて窓の外をぼんやり眺めた。
「というか誰に曰くなのですか、そのろくでなし王子に関心がある人間がいるとは思えませんが」
「クリスティアーノ殿下です」
「………そう、ですか」
カイロスの毅然とした声にジルは一瞬息を止めた、何故クリスティアーノがと思う気持ちとほんの少しそうだろうなと思う気持ちがあった。前も、今も、あの弟だけは変わらないのだ。両親に、臣下に、民に、国そのもの、いや世界に愛されているといってもいい全てを持ったその男はジルにとって不幸なことに慈しみに満ちていたのだ。あの優しい弟に国王も側妃も本当の醜いことは伝えない、ジラルディーノは気難しい性格だからと近づかせようとしなかったのに対しクリスティアーノは澄んだ赤い瞳で問うたのだという。
──兄弟だったら、平気でしょう?
苦い思いが競り上がり、くっと喉を鳴らしてそれを逃した。因果な話だ、全てを持つが故もたないものの醜悪さなど理解できない。兄弟だからこそクリスティアーノを避けているのだと知りもしないでそんなことを当たり前のように口にする。
「今回の」クリスティアーノもそうだったからジラルディーノは必死で逃げ回った。自室の外へ出るのはクリスティアーノに1日がかりの王太子教育がされているときだけ、たまの休憩時間には鍵を閉めてカーテンを閉め切って、王家主催の舞踏会に茶会は仮病で休む、どうしても出なくてはならない式典では首を振るだけの受け答えしかしない。子供のように徹底した拒絶を繰り返した、もっとも一度式典が始まってしまえば王子の美しさに心奪われた令嬢達が押し寄せたから話しかけられることもなかったけれど。
そんなにしたのに、どうして。ちりちりと燻る苛立ちを無理に沈めて、ジルは窓の外から視線を外さずに口を開く。
「…殿下は、何故………カサンドラ嬢に?」
本当に聴きたかったのはそんなことではなかったけれど、それを尋ねられるほどの度胸は残っていない。カイロスはジルの沈黙を特に気にせず少し目を伏せて答えを返す。
「先見の力があるとのことで陛下から注意をしておくよう促されたようですが、その過程で…なんでもカサンドラはまるで心を読んでいるように不安を慰めるというのです」
「読心…珍しくもないが、仮にも王族がそんな隙を見せるものか?」
「クリスティアーノ殿下はお優しい方ですが、決して甘いわけではございません。それでもあの女は掻い潜って見せました」
「ふぅん…」
ジルは甘いと思うが、と思ったが弟のことを何も知らないことを思い出して退屈に溜息を漏らす。カサンドラの力は気になるがそれ以上の質問も浮かばず黙っていると、カイロスは思い出したように顔を上げた。
「ところで」
「あ、えっと、ハイ?」
「殿下には予知のお力はないのですか?」
「……あのー…セレスティアとまっっっったく関係のないオレが言うのもなんですけど、ちゃんと王国の歴史とか学んだんですよね?」
「私はその…あまり現実的でないものは信じられない性格でして」
「仮にも側近でしょう!!というか、その辺はガキでも分かることですよ?…そんなものがあったなら私の捜索が打ち切られるはずがない」
「そのことですが…」
まぁ今回の不思議な経験が見るものによっては予知になるのかもしれないが、確実にジラルディーノは死んだのだ。今でも首に突き刺さった刃の温度を思い出すことができるのだし、だからこそジルになろうと決心した。薄桃を隠す色眼鏡の縁を軽く撫でて、居心地悪そうに肩を窄めるカイロスを眺める。仮にもセレスティアに生活するものが予知を信じないなどあるのだろうか、それを口にしようとした瞬間馬車が大きく揺れて動きが止まった。カイロスは侍従らしい素早さで扉を開け業者にやや鋭い声で尋ねる。
「どうしたんだ?」
「は、すみません、車輪が良くないようでして」
「直せないか?急ぎなのだが」
「はぁ、やってみますが…」
「オレが見てもいいかい?」
ジルがカイロスの背後から顔を見せると、御者は少し驚きながらもぎこちなく頷いた。肯定を受けてジルは外に飛び降りて車輪をみる。するとなるほど、車輪と馬車を繋ぐフレームの枠組みが歪んでいる。これでは馬車は傾いた状態での走行を余儀なくされよう、ジルもカイロスも特別気にすることはないが御者は気になって仕方ないかもしれない。荷物からネジと適当な添え具になるものを取り出して車体の下に潜る。
直せないと分かっている、だがたかが1時間くらいであればそれなりに持ち堪えてくれるだろう。作業を終えて再び顔を見せたジルに御者は戸惑ったように目を瞬かせていた。
「まぁ、一回寄り道だな、応急処置なんで安全運転よろしく頼むぜ」
「あんた、よく分かるなぁ」
「御者さん、商売道具だろ、ちゃあんと見てやれよ」
「返す言葉もねえ、器用じゃなくてな」
苦笑と共に首の後ろを掻く御者にジルは皮肉っぽく笑って馬車の中に戻る、ふとこのまましれっと逃げればよかったかと後悔したが目の前のカイロスから逃れられるはずもない。恨めしくカイロスに目をやると、相手はジルの方に嬉しげな微笑みを向けていた。
「…ふふ」
「なんです、言っときますけど本当寄り道したくなかったんですよ」
「いえ、やはり多才な方だなと」
「…本職には敵いませんよ」
敬愛するクリスティアーノの言葉を信じ切っているカイロスにうんざりと頭を振って、少し汚れた掌を見る。本当に馬鹿な話だ、無い頭を捻ったところで結局何かの一番にはなれない。周りの期待にも自分の理想にも届かないこんな存在にクリスティアーノは何故興味を持っていたのだろう。
本当に馬鹿馬鹿しい話だ。