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王子様は従者様  作者: みや毛
14/17

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年内に完結と言ったのに結局この通りです。申し訳ありません。場面転換の関係で長くなってしまい読みにくくなりました、重ねてお詫び申し上げます。

クリスティアーノと目を合わせそうになって、ジラルディーノは即座に床に視線を落とした。思えば一度目、反乱を抑えんと自ら前に出たクリスティアーノはジラルディーノに「何故」と問うた。愚かなジラルディーノはそれを当たり前に素通りしていたのだが、今思ってみればあれも見えていた結果の何故、だったのだろう。考えてみれば王子がわざわざあのような統制も取れていない反乱に姿を見せるなどおかしいことだったのだから。


「クリスティアーノ殿下、何故」

「君に伝えるとまた変わってしまうと思ったから。手配はしたけれど気に入らなかったかな?」


何も言おうとしないジラルディーノに対し、レオファードは少し戸惑ったように問いかける。クリスティアーノは臣下に裏切られているようには思えない穏やかな声で小さく首を傾げた。あの正義感の強い門兵も思えばクリスティアーノの小細工であったのだろう。台本と揶揄したのもあながち間違いではなかったと疲れた息を吐きながらジラルディーノは腕を組んだ。


「聞きたいことがあるんだろう。人払いはしたけど手短に頼むよ」

「……いつから、ですか」

「君の名を知った日からだよ、サジタリアス卿。パニジアの大公閣下からのご下命は周辺諸国の平定だね。征服を面倒がる彼の方らしい。そして」


クリスティアーノはただ静かに答えた。その声は大きくはないが小さくもなく、人の耳にすっと入っていくような心地の良さがある。不思議と、見透かされていた不快さはない。こういった端々の長所からしみじみと、これは王になるべく命なのだというのを実感する瞬間が、ジラルディーノは昔から嫌で嫌でたまらなかったとそんなことを思い出す。床だけを見ていた視線を少しあげて様子を伺うと、視界の端に映り込んだクリスティアーノが悲しげにこちらを見ていた。


「ジラルディーノ兄上が、それに合わせてここに戻られることも。到達の仕方は変わったらしいけど」


億劫に息を吐き出してゆっくりと腕を組む。反乱も国難といえば国難である、であるのならばクリスティアーノに予見が出来ないはずがない。そしてそれを止められなかった、いや、止めなかったのだとすれば。初めからこれは最初から利用されていたのだ。パニジアの密偵など何の意味もない。ジラルディーノ達はとっくの昔に手のひらの上だったのだ。


「……やはり、お前の目的は」

「廃位です。いや、王家の取りつぶしの方が正しいかな」

「……え、ちょっと!?どういうこと!?」


何の未練もない、あっけらかんとした答えに面喰らいそうになったジラルディーノを押し留めたのは突如後ろから聞こえてきた高い声だった。視線だけで振り返ると、朧げな記憶の中で見たことのあるカサンドラが狼狽えた様子を隠さずに突っ立っていた。その様子に、つい呆れる。これが本当に貴族教育を受けた人間なのか。いくら伯爵位とはいえ王家の人間の会話に割り込み、というか、急に首を突っ込み、あまつさえ立ち姿さえ頼りない。まるで下町の子供のようだ。これで成人を迎えたというのだからミュラーのマナー講師というのはよほど無能だったのだろう。隣にいたレオファードもどうやら似たり寄ったりの感想を抱いたようで、うんざりとした表情のままクリスティアーノに肩をすくめた。


「クリスティアーノ殿下、コレを城内彷徨かせてたんですか?」

「言い方。苦手だっていっても最低限の礼儀は払った方がいいよ」

「態度に出さないと妙な勘違いするじゃないですか、この手のお花畑は」

「え、え、え」


いくら王太子の側近といえ、やはり淑女と侍従。ましてレオファードは相当な猫被りである。辛辣極まりない態度にやはり面食らったか、およそ令嬢らしくない声を上げてカサンドラはレオファードとクリスティアーノとを忙しなく見比べる。


「レ、レオはそんなこと言わない……」

「は?」


まずいな、とぼんやり他人事でジラルディーノが思った瞬間、冷えた声と共に素早くレオファードの腕が動いた。トラウマ、というほどでもないが何となしに首をさする。そして呆然と声をあげたカサンドラはといえば、女子という対応もされず、壁に叩きつけるように中に持ち上げられた。


「ぎっ」

「どこで聞いた」

「サジタリアス卿!」


駆け寄ったクリスティアーノにカサンドラの首を掴み上げる腕を取られ、本意ではない態度を示しながらも解放する。たった数秒でも相当の苦しみだったのだろう、カサンドラは崩れ落ちると咽込んで、怯え震えながら、ただ自分を見下ろすだけのレオファードを見上げた。


「いや……っ、なに、こんなの、設定と違う……」

「一体何を言ってるんだか」

「怯えてる。控えてくれないか」


クリスティアーノの静かだが鋭い静止に片目を瞑り、レオファードはカサンドラから視線を外した。それだけでカサンドラは安堵したように見えたが、それでも突然のレオファードの変貌に戸惑いを隠せず唇を小さく振るわせていた。その姿にジラルディーノはカサンドラについての僅かな記憶を掘り起こし、やはり首を傾げる。様子が、おかしすぎる。そんな部屋の空気を切り替えるようにクリスティアーノが一周を見回してしっかりと声を上げた。


「それじゃ、手短に話そうか」


 


ここで一様に座れるソファでもあれば皆腰を下ろしたろうが、ジラルディーノの元居室には王族として必要最低限の家具しかない。その上、人を寄せ付けなかったものだから談話用のスペースは本人の意向でそもそも作られておらず、1人用の椅子、休憩用のソファ、そしてベッド、これらしか役に立てるものはなく、ましてやこのうちで最も高位であるところのクリスティアーノが兄の部屋だからと腰を下ろさないので何となく互いに距離をとって皆が立ったままに様子を伺っていた。そういえば、今回は休憩用のソファをまともに使ったことはなかったなとジラルディーノがのんびり思い出しているところ、クリスティアーノの小さな咳払いが聞こえた。


「知っての通り、セレスティアの民は自分で考える力を無くしてしまっている。それは災難がないときもだ。予言の力は、決して民を愚かにするためにあるわけではない。それに、いつまで受け継がれるかもわからない力なんだ、それに頼りすぎては人間として良くない。だから最も優れていると評価されている僕の代で終わらせる必要がある」

「何故です?暗愚の目はともかくとして、異能の自然消滅まではまたないのですか?」

「僕でこれだ。力が弱まった王が生まれたときどうなるかなんて、わかるだろう」

「……そうですね」


優秀であるだけ信頼が失われるのが早い、そんな話ではすまないことをレオファードも理解している。この国民は主体性に欠けるくせ、糾弾ばかりは一人前ときた。たった一度のクリスティアーノのサボタージュで亡命を考えるほど、国への愛着がないわりに批判は素早い。そんな人々の頂点がやがて異能なき者となった日は一体どんなことが起こるのか、想像に難くなかった。力なく首を振るレオファードを一度見て、クリスティアーノは先を続ける。


「不可解だが王家を出ると異能の発現が起こらないということもあって、僕と陛下を処刑すれば後腐れなくそれで終わりだ。とはいえ、今は各部署も向上心のあるものがいないから、刑の執行前にある程度の人事を組まないといけないけど……」

「な、なんで?どうしてクリスが処刑されないといけないの!?」


悲鳴のような声を上げたカサンドラに視線が集まる。その一瞬に大袈裟なほど肩を振るわせて、おどおどと視線を彷徨わせた後、縋るようにクリスティアーノを見上げた。それをことさら優しい微笑みで返し、クリスティアーノは柔らかく答える。


「生きていると罪人に落としてでも力を使わせろという人が出てくるからね、それじゃ何も意味がないだろう?」

「……お。おかしい、よ」

「なぜ?」

「く、クリスは自分のために生きてもいいって言った時、笑ったじゃない」

「ああ」


信じられない、そんな驚愕を顔に浮かべて震える女に、クリスティアーノはふわりと笑う。先ほどからしているのは現実の話で、男に対しては死の話でしかない。それでも笑顔は崩れず苦渋の表情を覗かせることもない。あたたかな童話のような男であるのに、決して夢の中にはいない。その異様さをきっとカサンドラは本当の意味で理解できていないのだろう。


「うん、確かに笑った。一体何を言ってるのかなって面白くなっちゃって。君には失礼なことをしたね」

「え……?」

「いいかい、そんなことはあり得ないんだよ。僕は王になるためだけに育てられてきたんだ。その体の全ては国に捧げないといけない」


駄々を言う子に言い聞かせる様に、泣く赤子を宥める様に、クリスティアーノは寄り添いながらも杭を打つ。その髪、その血の一滴までこの国のものである。その自認を強制されずとも自ら飲み込み、義務への鬱屈も自由への羨望なく立てる者がクリスティアーノ・ルブルム・セレスティア。責任から全て逃げ出した自分とは正反対の生粋の為政者だ。


「城下の荒れた路地裏で子供が飢えて死んでいた頃、僕はお腹も減っていないのに豪勢な食事をしていた、襤褸の家で家族が身を寄せ合ってやっと暖をとっている時、僕は大人3人も寝られるベットの上で夜更かしをしていた、貧しい街で靴も買えない人々が怪我と病にうめく日は、僕は半日しか着ない服を何着も仕立てられていたんだ。無条件にそんな豊かな暮らしができる理由がわかる?それは、いつかこの命を国に捧げるためだからだよ」

「…………」


カサンドラは一瞬納得しかけた様に見えた。だが、それでもそれは受け止められないというように声の出せない口を小さく開けたり閉じたりしている。それに悲しげに目を伏せて少しだけクリスティアーノが微笑む。その笑顔が断絶の証だというのだけはわかったのか、カサンドラの瞳は悲しみに揺れていた。


「僕は王になるためだけの命だ、だから、そんなこと考えたことはなかったんだけど……うん、君の言葉のおかげで少し欲張ろうと思ったのは事実だよ」


カサンドラに向けていた視線を外してクリスティアーノは胸元に手を当てる。


「僕は僕のために、大切な国を未来のために壊す」


誓いか、またはたまた懺悔であったか。クリスティアーノはほんのわずかに顔を曇らせたがそれもすぐに迷いのない表情へと変わり、ゆっくりとレオファード達の方へと顔を向けた。


「そこで、貴方たちのことを利用してしまった。許してくれとはとても言えない」

「つまり。僕が殿下を連れ戻すところまで計算通りですか?」

「いや、予知通り。阻止せず好きにさせただけだ」


少し拗ねた様なレオファードに苦笑して肩をすくめて見せる様はまるで彼らの間には確かに信頼がある様に見える。しかし結局のところレオファードの主はパニジア以外にありえはしないし、この城で出会ってからというもの、クリスティアーノはレオファードを名前では呼んでいない。互いに一線を引く態度は律儀と言えるかはたまた薄情と言えるか。その微妙な距離感を見ていたジラルディーノだったが、躊躇いがちに少し逸れて向けられた視線を感じてひっそりと息を呑んだ。兄の心情を思い直視はすまいとした配慮でもこのように背を伝うものがある。


「……その。兄上は、お元気でしたか」

「……ここまではな」

「貴方の平穏を乱してしまいましたね、本当に、申し訳ございません」

「王太子、クリスティアーノ」

「はい」


震えた声には気が付かれている。きっと、会話をするのはこれが初めてだ。一度目のクリスティアーノへ向けた憎悪の叫びは決して会話と呼べるものではなかったし、二度目では相槌さえろくにしなかった。しかし、この時だけ。最後のこの時であるなら、ジラルディーノ・セレスティアとして振る舞う最後の日としてなら、会話をしなければならないと思った。顔を上げてみると、気遣うような赤い目が体を射抜いて、流石に顔から肩の方へと視線を外す。ジラルディーノは己のばくばくとうるさい心臓の音をなんとか堪え、ゆっくりと言葉を繋いだ。


「ここにくるまで街を見た、そうでなくても城から追いやられて他の国を見た。言い切れる。この国の民は大概が甘ったれだ、幸福を享受したいが努力を厭い、責任からは逃げ、怒りを示すことだけは立派にしてみせる。そんな国だ。それなのにお前は何故、そこまで出来る、お前ほどの存在が命を賭けるほどのものがこの地にはないだろう」

「……そうかもしれません。でも、最期まで、理想の王でなければ貴方にどう胸を張れるでしょう」

「…………」


クリスティアーノはすこしぎこちなく、それでいて晴れやかに微笑んだ。ジラルディーノのから何もかも奪い取りこうして国の頂点に立ち、愛に溢れている。聡明な弟は、幼いながらもそれに気がついていて、それを歪だと思っていたのだろう。周りに遠巻きにされる出来損ないの王子、才能がないのを棚に上げて当たり散らす兄、それを蔑むことも憐れむこともなく、クリスティアーノは今この瞬間でさえ、ジラルディーノの兄弟でありたいと思っているのだ。あの出立の日、いつか憎悪と共に国に戻ると見えていても、ただ航海の無事を祈り再開を願った。その日から何もこの男は変わらないのだ。本当に、吐き気がする。黙り込んだジラルディーノを見て、クリスティアーノはあっさりと視線をレオファードにずらした。


「そんなわけだ、サジタリアス卿。人事の話はこちらも早くまとめるようにするから処刑もなるべく早めにね。貴人の死は娯楽になるだろう。それで皆の気が済むのなら、それでいい」

「クリスティアーノ殿下、しかしそれは」

「ま、待って!」


いままで怯えて黙り込んでいたカサンドラが処刑の一言に弾かれる様に顔を上げた。よほど怖いのかかちかちと奥歯がぶつかる音が静かな部屋に響く。


「あ、あたしは、どうなるの……?クリスも、王様も殺されたら、あたしは、どうすればいいの?」

「ああ、そっちの勘違いって、解消されてなかったんですねえ」

「ひ」


嫌そうな声を出すレオファードにカサンドラがあとじさり、クリスティアーノの背後に逃げ隠れる。それに露骨に溜息を吐きつつ、レオファードはこめかみを指先で叩きながら説明を始めた。


「まず第一に。クリスティアーノ殿下が貴方を選んだのは消去法かつ政略であって恋とかじゃないんで」

「……え?」

「確かにクリスティアーノ殿下は人気です。学園でも女生徒にキャーキャー言われてましたし、かといって勘違いもせず女生徒と懇ろにもならず過ごしていました。令嬢がたも熱い視線は送るものの、自分たちからアプローチはしません。よく教育されてるのもありますけど、一番の理由は殿下の婚約者になるメリットがないからです」

「え、だ、だって、王子様の婚約者でしょ、えっと、王家との繋がりとか、いろいろ……」

「ミュラー嬢。座学成績よかったですよね?王妃殿下の話を知っていればわかるでしょう」


指摘されてびくりと肩を揺らしたものの、ぴんと来てはいないのか顔を曇らせておろおろと視線を彷徨わせている。もはや答えなど期待していないレオファードはやる気なくジラルディーノ手で指し示した。


「こちらにおわすジラルディーノ第一王子殿下の母君は先々代王姉殿下が降嫁なされた王家の血を引く侯爵家の出、国内序列はセッツァに次いで2位の由緒正しい家門の出であらせられます。陛下とも幼少の頃から仲睦まじく、政略でありながら恋愛結婚に近しい良い関係であったと聞き及んでいます。さて、そこで問題。そんな王妃殿下と予言の力も強い陛下からお生まれになった第一殿下の目が赤くなかったら、どうでしょうか」

「…………あ」


一度カサンドラはこちらを見て思い出した様に目を瞬かせた。ジラルディーノのはといえば、そんなこともあったなと他人事の心地でレオファードのけだるい説明を流し聞いている。視界の端に見えるクリスティアーノの指先が少し動いたが、それで何か感じるものができるわけでもなく。


「ジラルディーノ殿下の誕生に、国内の貴族たちは序列も忘れて強く非難しました。王家の血を継いでいながら役立たずを産んだ女、王の閨事に使用人を控えさせて置かないはずもないのに面白おかしく不義の子を孕んだとまで嘲られたこともあるそうです。王妃殿下は気丈な方であったそうですが、そんな中傷が日常になった結果」

「サジタリアス卿」

「……失礼。まあそんなわけで、国内貴族は新たな王を望みはするけれど、その胎を差し出すのは渋るようになったんです。誰だって自分が投げた石を投げ返されたくはないものですし、ねえ?」


クリスティアーノの固い声にレオファードは小さく頭を下げてわかりやすく軽薄な笑みを浮かべた。それに淡い嘲りをのせ、クリスティアーノに隠れているカサンドラを見やる。


「そんなところに、頭のふわふわした女が殿下の側をうろつき出した。しかもお誂え向きに予言の力も持っていた。となると、どうなるかといえばそうなります。カサンドラ・ミュラー、おまえは羊に選ばれただけだよ」

「う、そ……」


冷たい現実を突きつけられたカサンドラは恐々とクリスティアーノを見上げた。赤い瞳を見つめる横顔は心細く頼りない。震える手で腕を掴み、乱暴に揺する。


「ねえ!クリス、嘘でしょ!?あたしのこと、好きだって、言ってくれたよね!」

「……うん。だって、君は婚約者になったからね」

「え……?」


この部屋で唯一の味方らしかったはずの男の言葉にカサンドラは今度こそ打ちのめされた様だった。腕を掴んでいた手をだらりと下げると、よろめいて一歩下がる。カサンドラのその様子にクリスティアーノは目を伏せ、ゆっくりと口を開いた。


「きみには、理解ができないかもしれないけどね。貴族というのは誰かを好きになったからその相手を婚約相手にするんじゃない。婚約相手になった人を愛する義務があるんだ」

「……そ、そんなの!嘘ってことじゃない!騙したの?!」

「何言ってるんです、それが普通ですよ。むしろ、好みのタイプと違ったからとか言って愛人をつくる貴族よりよほど真っ当な考えです」


そこでレオファードは一度ジラルディーノを見た、そもそも交流さえまともにできない貴族もいる、と言いたいのであろう。とはいえジラルディーノは、そもイグレーンと添い遂げるつもりがそもそもなかったし、貴族として生きるつもりもなかったのだからその義務などはなから無効――少なくとも本人はそう思っている。なのでその視線をしれっと受け流して、まず第一のことも理解できていない、婚姻を「恋愛ごと」とも思っていそうな女を眺める。


「少し前から、そうじゃないかと思っていたけど。お嬢さん、君はカサンドラ・ミュラーではないね」

「っ」

「それはやはり、どこかの工作員という……」

「違う、何か……そう。人格とか、性格が違うんじゃないかな。この子は、この子の身体は、確かにカサンドラ・ミュラーのはずだ」


クリスティアーノの言葉は珍しく要領を得ないものだった。しかしそれに思うことがあったのか、カサンドラはひゅ、と喉を鳴らした。それだけは気がつかれたくはなかった。まるでそんな表情だ。それに初めてジラルディーノは興味を持つ。というのも、ジラルディーノもある意味で一度目とは中身が違うようなものだからだ。一度目のカサンドラとはまるで様子が違う、それがもし、ジラルディーノと同じ生まれ変わりの様なものであるならば。あの女には予知の力があると言った。それはもしかして、ジラルディーノと同じ様に知っていたからではないのか。


「ここ数年、君は予言をしなくなったね。でしゃばるのはよくない、という話はしてたけど、多分予知をできなくなった……あるいは、わからなくなったんじゃないか?」

「……」

「君、学園ではかなり細かく先を把握してたね。その時から期間限定かと思っていたんだけど、想像通りだとすると君には不幸な巡り合わせになってしまう。だから婚儀は遅らせていたんだけど……陛下はそれを勘違いしたらしい」

「愛した相手との子でなければ、赤目は生まれると。要するに托卵を提案したわけですね」

「だから言い方……まぁその通りだけど」


何も喋れなくなり俯いてしまったカサンドラを見るに図星なのだろう。やはり、知っていたのだ。同じ死に戻りなのかはわからないが、ジラルディーノとて、わかっているのは「生まれてから海難事故に遭うまで」

と「反乱を企てるまで」だ。難破後ジラルディーノとして生きていた10年とジルとして生きることにした10年は全く違う。だから予想してないことへの対応は出来ないし、王子として好きに金を使えていた時代、予習したつもりの平民の暮らしは実際のところ大きく違っていた。まぁ、王子としての意識が抜けず散々だった一度目に比べたらまったく苦でもなかったのだけど。他の者に気が付かれないように苦笑し、脱線していた意識を向こうの話に合わせる。どうやら国王と王子が女を取り合っている、という真相は思っていたよりもあっさりとした理由だったらしい。


「そんなわけで色々な思惑の末にクリスティアーノ殿下の婚約者におさめられた。それだけのことを、愛だなんだと浮かれていたのはおまえだけだ。この程度のことを察することもできなかったのか」

「……じゃあ。じゃあ、どうすればよかったの。わたし、好きでこの世界に転生したわけじゃないのに。確かに好きだったけど、1番好きなジャンルじゃないし、最推しだったわけじゃないし、でも、王子様と結婚するくらいじゃないと、とてもこの世界で生きていけないのに」


一瞬、知らぬ人間の声を聞いた様に錯覚した。怯えていても鈴を転がすようだったカサンドラの声は、温度のない平坦なものへ変わっていた。俯き気味の大きな瞳が、前髪の隙間からどろりとした色を覗かせる。


「安い敷パッドより高級なシーツはずっとガサガサで、新作のドレスよりジャージの方が肌触りもいいし、宮廷料理より、わたしのずぼらな手料理の方がずっとずっと美味しいのに!こんな時代遅れの世界で、普通に暮らすなんて耐えられるわけないじゃん!!あんたらが現実に勝てる要素なんて色恋しかないの!!」

「何を言って……」

「勝手に盛り上がってたのはそっちもじゃない!それでわたしだけが悪いって言うの!?……わたしだって、帰りたい……帰りたいよ……」


滑らかな髪を乱しながら頭をかきむしり、どこも見ていない両眼から涙を流してカサンドラは座り込んだ。女の言う言葉は何も分からない。だがその身勝手な叫びに、ジラルディーノはふと、少し前ののことを思い出した。


――何も、誰も!民も、王も、貴様らも!私に何一つ期待をしてこなかったくせに、今更私に何かを求めるのか!?


ああ、同じなのだと。先見ではなく、体験として先に己の一生を知ってしまったものは予言者とはまた別の生き物になってしまう。自分のことだけを救うために二度目を使う。それはクリスティアーノのような人格者に生まれなかったからではなく、どうせ死んだのだからという自棄からだ。なんて身勝手、なんて無責任。逃げることだけ立派で、立つことだけで精一杯のろくでなしども。カサンドラとジラルディーノで違うのはただ一点。夢でしか生きられなかったか、現実から逃げていたか、きっとそれだけなのだろう。






「なんとも、気持ち悪い感じでしたね」

「そうだな、だが、あの娘の予知が偽物だと分かっただけで十分だろう。あとはアレに任せておけば落ち着きも取り戻すだろうさ」

「……処刑まで持っていきたかったですけど。僕としては」

「お前は無血にしたいのかそれなりにケジメをつけたいのかどちらなんだ」

「それは本命次第ってことで」


泣き崩れるカサンドラが落ち着くことはなく、少し焦った様子のクリスティアーノが急かすようにジラルディーノ達を先に行かせた。その視線にどこか惜しむような影が見えたのを気付かないふりをした。もう一生、クリスティアーノが処刑されようとされまいとジラルディーノに彼と会うことはないのだから。あの短時間でさえ、喉に迫り上がってくるものを堪えるのに必死だったのだ。口元に手を当てて咳払いを一つすると、察したレオファードが小さく吹き出した。そこにいちいち睨みを飛ばす、なんて律儀なことはしない。ただもとから高いレオファードへのヘイトを高めるだけだ。ひっそりと。

さて、ジラルディーノにおける一番の緊張の舞台が終わって早々だが、当然これで終わりではない。クリスティアーノの差配によってその場所、王の座す謁見の間の前までほとんど見張りのいない城の廊を歩くことになった。前に立つ者に威圧感を与える扉を見ても、先ほどのように全身が粟立つ感覚は無い。来てしまったな、という諦めがあるだけで。その横顔を眺めていなレオファードは穏やかに楽しげに微笑んだ。


「クリスティアーノ殿下よりは抵抗ないだろ」

「だからといって、気楽だとでも?」

「ま、今更もう帰るは聞かないから」


本来兵が2人がかりで開ける重厚な扉をレオファードは1人で許しなく開ける。広い部屋には、左右二列に屈強な近衛たちがいたはずだが、今そこにいるのはたった1人だった。赤い長い絨毯の先。段上の玉座の男は、儀礼知らずの侵入者の姿を一瞥し、つまらなそうに嗄れた声をあげる


「貴様か」

「楽しげですね。退位を前に」

「おかしいか」

「多少は。ですが、なんとなく納得もいっています」


あまりに不遜な軽口を咎めるものはない。裏切り者に刎頚を命じることができるその者は、冷えた眼差しながらレオファードへの怒りなどを覚えているように見えなかった。かといって歓迎しているふうには見えないが。その王の寛容とは違う様子にレオファードは微かに眉を上げて、潜めた声で王に問う。


「陛下も、クリスティアーノ殿下と同じお考えだったのでは。あの方と貴方に違いがあるとすれば」


あえて言葉を切ったレオファードに、王は老獪な笑みを浮かべた。ひび割れた笑い声が不気味に響く。地を這うようなそれが蛇のように思えたのはジラルディーノだけではないだろう。見過ごしていたわけではない。クリスティアーノには及ばないが、クリスティアーノが生まれるまでは歴代でも力あるものであったその王にもこのことが見えていないはずはなかった。だとするなら、どこから。それはおそらく、あの日、ジラルディーノを厄介払いした、あの日からではないのか。


「推測通りだ、儂はこの国の何もかもを憎んでいる」


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― 新着の感想 ―
[一言] そう言えばそうですよね。 王様だって、色々見えちゃってるんですよね。
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