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孤児の来歴

作者: ケンタッキー

 航宙艇は亜空間の闇を抜けワープアウトすると、予定通りシリウスから一光年の距離にある宇宙空間へ実体化した。ここまでくればあと一息、目指す地球まで目と鼻の距離だ。M13球状星団を出発してからの、気の遠くなるような長い旅程ももうすぐ終わる。

 二万五千光年、亜空間ジャンプを繰り返す百年にもわたる長旅を経たことによって、ボクは百二十五歳になっていた。でも五十年ほどは、M13と銀河系の間を隔絶する虚空をコールドスリープのカプセル内でやり過ごしたから、実年齢は七十五歳ぐらいになるだろうか。もっとも、船内のラボで生成した細胞の老化を遅らせる薬剤と、生体活性機能を備えたリクライニングシートの効果で、運動らしい運動もしていないのに三十代の肉体を保持しているのだが。

 ここドーム状の操縦室兼居室の中央には、直径二メートルほどのホログラム天球儀が据えられている。そこにはプロクシマ、プロキオン、アルタイルといった太陽系の近傍恒星系が浮かんでいる。そして、天球儀の中心部分には人類のルーツ、太陽系が輝いていた。シリウスのそばに緑の光を放ちながら待機する(やじり)のような船体、それがこの小型航宙艇999(スリーナイン)号だ。999とはいっても、大昔の地球でもてはやされていた天かける蒸気機関車とは似ても似つかぬ姿だが。

 ボクが『コーヒー・飲みたい』と思考すると、脊髄(せきずい)に移植されたマイクロチップが艇の操作を管理するマザーコンピューターに指令を送信し、ほどなく鉄腕アトムそっくりの雑用ロボットが湯気の立つコーヒーを運んできてサイドテーブルに置いた。

「どうぞ、ノブオ様」

「ありがとう、アトム」

 アトムには感情がないし、与えられた指令を淡々とこなしているだけだから別に礼を述べる必要もないのだが、ついついこのロボットが人間ではないことを忘れてしまう。

「ハチも、ハチも、ハチも何か飲みたい! 」

 ボクが着座するリクライニングシートの隣に陣取るハチが、鼻面(はなづら)でこちらを見上げ、首輪に内蔵されたマインドコーダーからのテレパシーで催促してきた。このデバイスは情動を読み取ってテレパシーで会話を可能にできるすぐれもので、装着することで知能を有する生物となら相手問わず意思の疎通ができる。

「ミルクでいいのか? 」と尋ねると、ベロをひらひらさせたハチが、一声吠えた。

ボクが『皿・ミルク・ハチへ』と思考すると、アトムは一礼して操縦室を出てゆく。そして、注文の品を手に戻ってくると、ハチの寝そべるフロアの上にミルク皿を置いて立ち去った。

びちゃびちゃ音をさせながらミルクを飲み終えたハチが、一つ大きなアクビをすると、毎度のごとくボクに“お話”をせがんできた。

「ハチの前にいたノブオのトモダチってどんなやつらだったんだ? みんなハチみたいにいい子だったのか? 」

「そうだな、おまえの前にいたのも愉快なやつらだったぞ。最初のトモダチはボマーって名前で、ハチと同じワンコだった。でも秋田犬じゃなしにゴールデンレトリバーって犬種でね、陽気でお茶目なやつだったなあ…… 」

「次のセバスチャンもワンコか? 」

「いや、セバスチャンはワンコじゃなしにニャンコだ、マンチカンって種類のね。ものぐさで気分屋だけど、いい話相手だった」

「んで、んで、ハチの前に遺伝子ぷうるから培養したくろおんがゴクウだな? 」

「ちゃんと覚えてるなんてハチは利口だな。そう、ゴクウはリスザルっていう種類のおサルだった。やたら騒々しいやつだったが、そのくせ寂しがり屋でね」

「ノブオもおサルだな? ゴクウはノブオに似てたのか? 」

「いや、ニンゲンはおサルに近い種族だけどおサルじゃないから、ゴクウはボクとは似てないよ」

 ハチがこうも歴代の“トモダチ”の話にご執心なのは、自分と先代のトモダチたちを比較して、ある種のライバル心を持っているからだ。

「じゃあ、じゃあ、ハチはどんなやつなんだ? ノブオはハチのこと、どう思ってる? 」

「うーん……そうだな、ハチは知りたがりでちょっと焼きモチやきかな。あと、いままでで最高にいい子だと思ってるよ」

 一番だと言わないとハチは納得してくれない。遺伝子操作で八歳児程度の知能があるが、精神もそれに合わせて少し複雑になっている。

「そうだ! ハチはとってもいい子、ハチはノブオと一番のトモダチ! 」

 ハチはくるんと巻いた尾っぽを激しく振ると、ワンワン嬉しそうに吠えた――

 人類が銀河系を離れてM13球状星団に移住を開始したのは、紀元六十世紀のことだった。それから千年もの長旅を経て目的地に辿り着いたご先祖たちは、居住可能惑星を発見して開拓に励んだ。更に長い年月が経過すると、星団内にあった植民惑星は百を数え、総人口も百億を超えていた。

 だが、終焉は突然やってきた。百二十一世紀を迎え繁栄を謳歌していた入植者の子孫は、つまらぬ理由から星間戦争を勃発させ、熾烈な報復合戦を繰り広げた挙句、全植民惑星は消滅するか生物の住めぬ不毛の星と化した。

 ボクが植民惑星の一つ、ニューバンコクを旅立ったのは、その醜い殺し合いが飛び火し、故郷が惑星ごと消滅してしまったからだ。

 これでもニューバンコクにいる頃は結構な資産家だった。画一的だったロボットのデザインを、大昔のアニメキャラクターにするアイデアが大当たりし、ボクは若くして巨万の富を手に入れた。そして、大枚はたいて購入したのがこの999号だ。半永久的な恒星間航行が可能な最新鋭の小型航宙艇だ。

 故郷が消滅したとき、宇宙クルージングに出ていて一人難を逃れたボクは、ニューバンコクの悲劇を知って打ち(ひし)がれた。同胞が誰もいないんじゃ生きてる意味がないと思った。

「――じゃあ、じゃあ、ノブオは住んでる星がなくなって死のうと思っていたのか? 」

 ハチがボクの膝に頭を乗せてきた。ボクはその頭を撫でてやりながら答えた。

「ああ、地球にゆくことを思いつくまでは絶望してた。自棄(やけ)になって、この船であてどもなく宇宙空間を彷徨(さまよ)ってたよ。死に場所を探してね」

「でも、でも、死ななくてよかった。死んでたらノブオはハチに出逢えなかった。ノブオは一番のトモダチと地球にこられなかった」

 ハチの無邪気な顔に見つめられて、なぜだかボクは目頭が熱くなった。


 ディギーの宇宙船『忠誠号』は漸次速度を落とし、いまや船足は光速の〇・二%までに減速していた。コンソール上の計器類で増減する数値をチェックしながら、船長のヴァルは「万事順調」と満足げに低く(うな)った。

 生命活動の不活性化処置から目覚めて一年、聖地巡礼の遥かなる旅はいよいよ終盤に差し掛かっていた。アーオン星系が、天文司祭たちの主張どおり伝説の心霊族がおわす星ならば、忠誠号のクルー三人はディギー族を代表し、高貴なる種族の拝謁に浴する栄誉を賜るだろう。

「船長、アーオン星系の外縁部に突入した模様です。この先順調にゆけば、十八月の半ばには到着ですね」

 ヴァルの席から左前方、クルーの一人であるウォンが、荒い息をさせ興奮を隠しきれないといった様子で報告した。ウォンが属する派閥の実証派は、心霊族の存在自体には懐疑的ではあるものの、他星系への到達というディギー族にとって初の快挙に感動を抑えることができないらしい。

「ウォンよ、おまえたち実証派の畏れ多い不遜は、まもなく心霊族の謦咳(けいがい)に接することで、猛省を余儀なくされるというわけだな」

 ウォンの言葉に、すかさず右前方の座席からクーンが噛み付いてきた。彼女の派閥は報恩派。太古の昔、無知蒙昧な蛮族にすぎなかったディギー族に知恵を授けて後、星々の彼方へ去っていったという伝説の心霊族へ盲目的な憧憬を抱いていた。自然、実証派と報恩派は政敵の間柄にあった。

「おやそうかい? 私はきっと報恩派の迷信が証明され、身の置き所がなくなるんじゃないかと密かに同情してたんだが? 」

 隈取(くまど)りがある目の青い瞳で冷ややかな視線を送りながら、ウォンも負けじとやり返す。

「どこからその自信が湧いてくるのかわからぬが、いまこそ全ディギー族は太古の恩に報いるべく心霊族の御前に(かしず)き、忠誠を誓うべきだというのに、このディギーの面汚しが」

 クーンは白い長毛に覆われた顔を怒りに歪め、牙を剥き出してウォンを睨み付けた。

「ほう、本音では忠誠に事寄せてお偉い種族に媚び(へつら)い、何かしらのおこぼれに与ろうという魂胆じゃないのかね? だが生憎とそんな種族は子供のお伽噺(とぎばなし)の中にしか存在しないのだよ」

 ウォンは舌を口外に殊更はみ出させて作り笑いをした。この挑発に、クーンは唸り声を発して立ち上がった。ウォンもすぐさま反応して立ち上がる。

「二人ともいい加減にしろ! 教義上の対立をこの船に持ち込むなと命じたはずだぞ! 」

 船長のヴァルに一喝されると、いまにも飛び掛らんばかりの二人はしばし睨み合い、やがて互いにソッポを向いて着席した。

 やれやれとヴァルは嘆息した。ことあるごとに(いが)み合う二人の部下には、ほとほと手を焼かされている。 そもそもヴァルが船長に選出されたのは、宇宙飛行士としての豊富な経験もさることながら、いずれの派閥にも属していない中立性を買われてのことだ。とはいえ、忠誠号がやってきたググルル星系の第五惑星ディギーでは、実証派と報恩派という二大勢力の力が拮抗(きっこう)している以上、この一大プロジェクトに両派の者をメンバーとして加えないわけにはゆかなかった。

 とりあえず、教義の違いからくる対立を棚上げするには、角突き合わせる両者を忙しくさせておくにしくはない。それがヴァルにできる消極的な、そして、唯一の方策だった。

「ウォン、プラズマエンジンの冷却装置だが、稼働率に〇・三八%のロスがある。ちょっと点検してきてくれないか」

「了解しました、船長」

 ウォンは立ち上がりクーンに一瞥を向けると、気密ハッチを開けて出ていった。

「クーン、アーオン星系にある惑星について、現時点でわかる範囲でいいから調査結果をまとめてくれ」

「早速取り掛かります」

 ウォンの背中を憎々しげに睨んでいたクーンは、そう返事をすると自分のコントロールパネルに向き直った。

 ヴァルは、これでしばらく落ち着けると一息ついた。

 そもそも、かつてのディギー族に派閥は存在しなかった。神霊族を絶対神と(あが)める強固な信仰のため、疑義を差し挟む余地などなかったのだ。その原理主義に偏った狂信により、自然科学は長い年月の間、発展を阻害されてきた。

 だが、そんなディギーも統一国家が成立してより数百世代を経るに至り、ようやくにして科学発展の黎明期(れいめいき)を迎えた。すると、社会のあらゆる規範を束縛してきた信仰への猛烈な反動として、科学に基づいた合理主義のみを絶対視する一派が台頭する。実証派の誕生であった。この極端から極端への揺り戻し現象は、ディギー社会を二つに分断した。

 船長のヴァルは年端(としは)もゆかぬ頃より英才教育を施され、宇宙物理学やロケット工学など数多の学問を修めた。長じては宇宙飛行士として長年にわたりキャリアを積んできた、いわば科学の申し子といえよう。その意味において実証派としての資質を備えている。その一方で、心の深層では大いなる種族、ディギーの蒙を(ひら)いたとされる心霊族への(あらが)いがたい心酔を抱いていた。氏族の古老らが語る数々の伝承を聞くうち、幼き日のヴァルの心には心霊族を主人として仰ぎ、また、護られたいという狂おしいまでの渇望を持つようになった。この依存性がある従属心は理屈で説明できるものではない。ディギーとして生を()けた者の種族的な本能だった。ゆえに、ヴァルとしては心情的に報恩派のほうが遥かに共感できた。

 ここアーオン星系を周回する大小様々な惑星のうち、既に入手したデータを検討すればゴールは恐らく第三惑星。かつて未開人だったディギーが、心霊族の威徳を慕い宇宙の深淵を越えて訪れてきたことを知れば、高貴なる種族は我々の健気(けなげ)さをねぎらってくださるだろうか。ヴァルは瞑目し、その輝かしい瞬間を思い描くと、恍惚とした歓喜に包まれてしばし我を忘れた。


 何かがおかしいとは思っていた。それを発見するのが、いや、受け入れることが遅れたのは、事実を直視すまいと目を背けていたからだ。孤独でいたくない、ただそれだけをよすがに二万五千光年の宇宙空間を超えてきたというのに、これじゃ余りに残酷すぎる結末じゃないか。

 ボクの左目に内蔵された網膜ディスプレイに映し出されているのは、999号との距離を徐々にせばめ大きくなってゆく赤錆色の惑星、人類のルーツである地球だ。海も干上がりクレーターの痘痕(あばた)だらけで、記録映像の地球とはまるで別物だった。おまけに月すら存在せず、地球を取り巻く岩石の輪となっている。

「ふざけんなよ…… 」

 絶望から(しぼ)り出される言葉は嘆きしかない。

「ノブオどうした? なぜ悲しんでる? 」

 心配そうなハチに問われて、説明しても状況が飲み込んでもらえると思えなかったが、ボクは網膜ディスプレイを船内ディスプレイに切り替えた。操縦室の前方にある壁面一杯がスクリーンとなり、そこに地球の成れの果てが大写しになる。

「これが地球か? 前に観た映像と違うぞ」

 ハチが怪訝(けげん)そうに鼻を鳴らす。

「地球だよ、間違いなく。でも、これでなぜ通信傍受ができなかったのか、生命反応がなかったのか、やっと謎がとけた―― 」

 長旅の途上、地球方面より届く何らかのシグナルがないか注意を払っていたのだが、何もキャッチできなかった。また、定期的に太陽系観測をしていたが、生命活動の痕跡すら掴むことができず、ずっと合点がゆかなかった。

「――地球は滅亡していたんだ…… 」

 様々なヒントから導き出される答えは一つしかないのに、ボクは都合のよい解釈で自分を(だま)し、答え合わせを拒否し続けていた。こうして目の前に現実を突き付けられるまで。

「でも、でも、いってみたら誰かいるかも知れない。待っているかも知れない」

 ハチはあくまで前向きだ。

「ああ、そうかもな…… 」

 待っているのは“誰か”じゃなしに落胆だけだろう。夢も希望も失くしたボクは否定する気力すらなかった。そして、船内ディスプレイに広がる赤茶けた大地をぼんやりと眺めながら、(にわ)かに(もた)げてきた暗い決心とともに999号へ着陸指示を与えた――

 ――倒壊した高層ビル、寸断された道路、閑散としたスタジアム…… 。宇宙艇から百年ぶりに外に出て見渡す光景は、地平線の彼方まで続く人類文明の朽ちた残骸のみだった。

 網膜ディスプレイに表示される放射能レベルの数値は赤字で明滅し、マザーコンピューターより内耳マイクに送信される音声が、向こう数万年の間、この惑星が高等生物の生存には適さないことを告げている。

 ボクは隣のハチを見下ろした。身体にフィットしたシルバーメタルの宇宙服を着用しているが、頭部のみ透明の膜に覆われ、そこだけがワンコらしい。スピスピ鳴らされる鼻音からすると、この殺伐とした光景に困惑しているようだ。

「船に戻ろう、ハチ」

「探さないのか? ノブオはニンゲンがいないのか探さなくていいのか? 」

「無駄だよ、生体反応がない。少なくともボクらぐらいの大きさのやつはね」

 ボクが踵を返して宇宙艇に歩みだすと、内耳マイクからハチの悲しげな遠吠えが聞こえてきた。ボクは泣くまいと唇を結んだ。

 999号に戻り宇宙服を脱ぐと、ボクは操縦席であるリクライニングシートに倒れこんだ。もう何もかもがどうでもよかった。ハチもすっかりしょげ返り、リクライニングシート脇のフロアにうつ伏している。

 打ち砕かれた希望を(つくろ)うのは現実から逃避すること、それしかない。ボクは思考力の低下した頭で沈思黙考した。そして、ようやく考えをまとめるとハチに語りかけた。

「ハチ、一つ相談なんだけどさ、ボクたちは、しばらく眠ったほうがいいと思うんだ」

「ハチはまだ眠くない、新しいトモダチがいなかったからとっても悲しいだけ。ノブオは眠りたければ眠ればいい」

「そうじゃないんだ。何時間か眠るんじゃなしに、何年も何年も、ずうーっと未来まで眠るってことなんだ」

「未来か? どのぐらい未来だ? 」

「いつかこの地球へ、ボクらみたいに宇宙から誰かやってくるまで」

「誰か? 昔の映画に出てくる“えいりあん”みたいなやつか? だったらハチは怖いから嫌だ」

「そんなやつがきたらボクとハチでやっつければいいじゃないか。でも、ボクがくると思ってるのは、ニンゲンやおサルなんかの元々が地球出身の生き物だよ」

「ワンコかも知れないのか? 」

「うん、確かハチみたいに遺伝子操作で賢くなったワンコの星もあるそうだよ」

 ワンコの場合、とんでもない未来まで待たないとニンゲン並みの知能には進化できず、自力で宇宙を飛べないことは伏せておいた。

「うん、だったらいい。ノブオがそうしたいんなら、ハチはノブオと一緒に眠る」

「それじゃ決まりだ―― 」

 いつの未来にか、宇宙船から地球に降り立つ者があるだろう。他の星系に移住した人類か、さもなくば、遺伝子操作で進化の道筋をつけられた猿や犬、イルカなどの末裔が。

 ボクのご先祖がM13へ出発した時代には、テラフォーミングによって居住可能惑星を増やす試みが盛んに行われていたという。その過程において、一部の惑星には非人類のみが放たれた。わざとそれらの惑星を放置することで自然な進化の道のりを辿(たど)らせ、自力で宇宙航行生物に到達させるという、壮大かつ馬鹿ばかしい実験だ。

 よしんば、破滅志向のある愚かな人類が(ことご)く死に絶えても、地球種であるいずれかの高等生物が、回帰してきてくれるかも知れない。

 ハチはコールドスリープのカプセルで、いつ覚めるとも知れぬ眠りに就いた。ボクはやり残した仕事に取り掛かった。

『大事な話がある・きてくれ』

 この先、船の未来を(たく)せるのは、死とは無縁の存在だけだ。アトムへの指示はマザーコンピューターに伝えておけば済む話だが、長年ともに過ごしたアトムには愛着を超えた感情移入をしているので、直接指示を与えることにした。まあ、気分の問題でしかないが。

「お呼びですか? ノブオ様」

「うん、この船に搭載されてる遺伝子プールに、何種類の生物がリストアップされてるか知りたいんだ。動物は勿論、植物から菌類、細菌類まで全部で? 」

「性別を省いた総計ですと、八五二万三四〇一種類になります」

「……そうか、じゃあ君に指示を与えたい。この惑星の放射能が各々の生物の生存に安全な値になったら、食性なんかの兼ね合いも考えながら順次解凍し、この惑星上で繁殖させてもらいたい。頼めるかい? 」

「ご期待に()えるよう努力いたします」

「じゃあ、お願いするよ。あと、もしボクの生命に危険が迫っていても救命処置はしないこと。この命令に付随して、ボクの死後もハチのことをよろしく頼む、守ってやってくれ」

「……それがご命令ならば従います」

「任せたよ。そして、もしも未来に宇宙船で誰かやってきたら、ハチをコールドスリープから蘇生させ、お客様を999号まで案内してくれ。くれぐれも失礼のないよう丁重にね」

「ハチ様をお客様にお引き合わせすればよろしいのですか? 」

 ボクが大きく(うなず)くと、アトムは「承知しました」と返事をし、深々と(こうべ)を垂れた。

「さて、これが最後の命令だ。これから言う薬剤を調合してカプセルに詰め、水と一緒に持ってきてくれないか―― 」

 ボクがアトムに指示を与えてから三十分ほどすると、アトムは二個のカプセルと水の入ったグラスを持ってきた。青と赤のカプセルで、青いほうが早く溶け、ボクを昏睡状態にするはずだ。そして、やや遅れて赤いカプセルが溶け、中枢神経を麻痺させることで生命活動に終止符を打つ。

「ハチ、嘘ついてゴメンな、一緒に目覚めることはできない。ボクはもう疲れちゃったんだ…… 」

 ボクは二つのカプセルを掌で転がし口に(ほう)り込むと、グラスの水を一気に(あお)った。


 実証派が唱える定説は根底から覆された。けれど、唖然として立ち尽くす政敵を横目に、報恩派であるクーンの表情もまた晴れない。

「船長、これはいったい…… 」

「わからん、ただ一つ言えるのは、ここ第三惑星にはかつて非常に高度な文明があった、そう推測されるというだけだ…… 」

 三人が(たたず)む小高い丘からの眺望は、緑に呑み込まれゆくメガロポリスの廃墟だった。それが視界の途切れる遥か彼方まで延々と続いている。周囲に目を転ずると、草花が咲き乱れる草叢(くさむら)の上を色とりどりの蝶が乱舞していた。

「こ、これは心霊族が滅亡したという―― 」

「わからんといっているだろう! 」

 ヴァルの癇癪にクーンは思わず飛び退り、毛足の長い尾を股に挟みながら謝罪した。

「この近くにシグナルの発信源があるはずです、生存者がいるかも知れません」

 それまで茫然自失としていたウォンが口を開いた。

 忠誠号がアーオン星系の第三惑星を目標として定め、この惑星を周回する数多の岩石群とともに衛星軌道を巡っているとき、生命反応で(あふ)れ返る地表面より一定間隔で発信される信号をキャッチし、そのそばに着陸したのだった。

「そうだ、着陸地点からこちら方面のはずだ、探すぞ」

 ヴァルはそう言うと、都市の廃墟に背を向けた。すると視線の先に、草を掻き分けながらこちらに向かって歩いてくる人影を認めた。

「あれは、心霊族の生存者でしょうか? 」

 すぐさま銃を抜いて構えたヴァルやウォンとは別に、どういった対応をするか決めかねている(てい)のクーンが狼狽気味に尋ねた。

「止まれ、さもなくば撃つ! 」

 クーンの問いには答えず、ヴァルはその人影を見据えて警告を発した。

「お待ちください、私は怪しいものではありません」

 その声は耳ではなしに、頭の中に聞こえた。あっけにとられ辺りを見渡しても誰もいない。その間にも人影は歩調を変えず近づいてくる。それに従い奇妙な姿が明瞭になってゆく。背丈は標準的なディギーより頭一つ低い。四肢もあり二足歩行をしているが、ディギーとは随分違う姿だ。第一、体毛が全くなく、鈍い金属光沢を放つ体表のところどころに、ひび割れた塗料の破片がこびりついている。やけに丸っこい頭部から二本の凸角が突き出していて、顔には一対の真っ黒な瞳があった。

「こいつは自律人形だ! 」

 妙にぎこちないカクカクした動きから察したのか、ウォンが叫んだ。

「おっしゃる通り私はロボットです。名はアトムと申します」

 再び頭の中に声が聞こえた。

「ならば訊こうアトムよ。おまえは神霊族のことを何か知っているのか? 」

 銃を構えたままヴァルが質問する。

「あなたがたの思考から推測すると、神霊族とは人間と呼ばれていた種族のようです。私は人間の一個体であるノブオ様という方にお仕えしておりました」

「我々にいったい何の用だ? それとも、そのノブオ様という神霊……人間が会いたいと言っているのか?」

「私はノブオ様のご命令で、あなたがたをお待ちしておりました。ノブオ様のお友達とお引き合わせするよう(ことずか)っていたのです」

「何? 生存者がいるのか? 」

 ヴァルは俄かに元気を取り戻すと、三人は顔を見合わせ頷き合った。

「それではノブオ様の船、999号にご案内いたします。どうぞこちらへ…… 」

 忠誠号のクルーたちは、アトムに促されるまま後を()いていった――

 ――アトムが“船”と呼んだ999号は、およそ船らしからぬ代物だった。全長は恐らく忠誠号の倍はある。そっくり同じ大きさの長っ細い三角錐(さんかくすい)を底辺で二つ繋ぎ合わせたような船体が、半ば地に埋もれ横たわっている。表面は水銀のような光沢があり、錆や汚れの一つもない。或いは、船体に何らかのフィールドが張り巡らされているのかも知れない。

 三人を先導するアトムは、入り口らしい場所が見当たらないにも(かかわ)らず真っ直ぐ船体へ歩いてゆく。すると、突如として船体にポッカリ丸い入り口が開口し、船体と同じ材質と思しきスロープがせり出してきた。

「すごい技術力だ! 我々より千年、いや、それ以上は進んでるかも知れません! 」

 ウォンが興奮を抑えきれないといった様子で叫んだ。アトムとディギー族を乗せたスロープが、一行を自動的に船内へと運び入れた。

「おや、ついさっきまで神霊族の存在を否定していた者とは思えん浮かれようだな」

 すかさずクーンが皮肉った。

「二人とも口を慎め、我々がディギーの代表使節だということを忘れるんじゃない。幼稚な振る舞いで品位を汚すな」

 そう部下たちを(たしな)めたヴァルだったが、彼もまた期待に胸が高鳴っていた。

 アトムに案内された三人は、継ぎ目のないアーチ型の短い廊下を進み、ドーム状の部屋へと通された。

「この方が私の主人―― 」

 アトムはカクカクとぎこちない動きでディギー族の三人に(うやうや)しく(こうべ)を垂れ、天球儀を向いたリクライニングシートを回転させると、鎮座する“それ”を紹介した。

「――ノブオ様でございます」

 “それ”は着衣の骸骨、ディギー族がこれまで見たことのない骨格の(しかばね)であった。

「こ、これは…… 」

 そう言ったきり、ヴァルは二の句が継げなかった。

「では、これよりノブオ様のお友達、ハチ様をお連れします」

 絶句するディギーたちを尻目に、アトムは部屋を退出していった。

「船長、見てください、これ天球儀です! 」

 ウォンの声で我に返ったヴァルは、骸骨の背後で光を放つホログラム天球儀のそばへと回り込んだ。中心部分にひときわ輝く星がここアーオン星系だろう。ゲドバやバファランなど近傍の恒星系も全て網羅されている。そこから位置関係を割り出すと…… 。

「あった! あれが我らの母星、ググルルです! 」

 クーンが天球儀の一点を指差して叫んだとき、頭の中でアトムの声がした。

「その星は、おおいぬ座のシリウス、かつて人間からそう呼ばれておりました」

 三人がハッとして顔を上げると、いつの間にか隔壁にポッカリアーチ形の出入り口が開き、そこにアトムが立っている。

「シリウスは白色矮星の伴星があり人類の入植地として適さないため、第五惑星をテラフォーミングにより居住可能とし、寒冷地に耐性のある生物を放って実験的放置がなさました」

 三人の方へ進みながら、アトムは説明した。

「ノブオ様のお友達であるハチ様は、長らくカプセルにて仮死状態だったため少し精神が混濁なさっていますけれども、どうかお許しを」

 ヴァルが三人の前で立ち停まったアトムの視線を追うと、隔壁に開いた出入り口から、おずおずとこちらを(うかが)う顔がある。

「ハチ様、どうぞこちらにおいでください」

 そうアトムに促されて姿を現したのは、ヴァルが期待していた心霊族=人間ではなかった。

「アトム、どうしておまえ変な顔になってる? そいつら誰だ? ノブオの匂いしないけど、どこいった? 」

 やや警戒しているのか頭を下げ、上目遣いでこちらを窺いながら近づいてくる四つ足の生物。しかし、その体毛に覆われた鼻面は妙にディギーと似通っている…… 。

「おまえらワンコだな? ノブオみたいに立ってるけど、ハチみたいな匂いしてるからわかるぞ」

 ヴァルは一瞬で理解した。このディギーのカリカチュアみたいな生物が自分たちと同属であることを。いや、他ならぬ先祖の姿であることを。そして、心の奥底から衝き上げてくる激情が、魂の雄叫びをあげよと命じた。

 ヴァルにつられウォンとクーンも遠吠えをあげた。そして、ハチもまたディギー=犬族たちの合唱に加わった。


《終わり》


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