8:赤茄子はどの種類でもいい訳では無い
「お水です」
「ありがとうございます」
杠葉はメニューと共に水の入ったグラスを差し出す
礼を述べて受け取った客である男はどこか疲れているように見えた
目の下には隈ができ、顔色も青白い
肌には潤いが足りていないのか、季節は初夏であるのにも関わらずに粉が吹いている
先程まで話していた三人は、流石に騒いではいけないだろうと声のボリュームを小さくした
「この、トマトのそぼろ丼をお願いします」
「はい」
杠葉はカフェの裏の野菜畑へと移動した。
大ぶりなものから小ぶりなものまで、沢山実った真っ赤に熟れているトマトを鋏で収穫している。
パチリ、という音と共に手の平にはトマトの実が収まった。
裏口の扉から戻って来た彼女はあるものが目の入る。
それは男性が読んでいたある雑誌であった。
「ふむ、成程、そういう事でしたか」
「何か分かったんですか?」
「あら黒木さん、何がでしょう?」
「成程と言っていましたし、あの男の人を見ていたようですから」
「鋭いですねぇ。でも内緒です、確証がありませんから」
唇に人差し指を当てて微笑む。
こっそり話を聞いていた政春と桃花も、尋ねた瞬も、彼女の後ろに漫画であるような桜の花弁が舞っているのが見えたような気がした。
姉のような、母のような、妹のような、不思議な印象を抱かせる杠葉。
三人が固まっている間に、彼女はキッチンへと戻って料理を作り始めた。
そぼろの香ばしい匂いと、トマトの甘酸っぱい匂いが鼻を掠める。
それは男性も同じであったらしく、読んでいた雑誌を鞄へと戻して料理が運ばれて来るのを今か今かと待ち構えていた。
「お待たせ致しました。トマトのそぼろ丼でございます」
「ありがとうございます」
男性は両手を伸ばして受け取った。
すぐに木のスプーンを手に持つと、大きな口を開けて頬張り出す。
頬を一杯に膨らませ、次から次へと口の中へご飯と具材を放り込んでいく。
最後に白味噌の味噌汁を飲み干すと、彼は一つ息を吐いて椅子の背に体重を預けた。
血色を取り戻した肌は僅かに赤らんでおり、柔らかい表情をしている。
彼の食べっぷりは見ていて清々しいものであった。
「お勘定、お願いします」
「はい。此方へどうぞ」
きっちり750円を支払うと、彼は店から出て行こうとする。
しかしそれに杠葉が制止の声をかけた。
何事かと様子を伺っている男性に彼女は茶色の紙袋を手渡す。
乱暴には扱わないで欲しい、とだけ伝えると杠葉は彼を見送った。
不思議そうな表情をしながらも、好意に甘えて受け取って出て行く。
「何を渡したんですか?」
「あら梶さん。梶さんは何だと思います?」
「えぇ……うーん、本とかですかね?」
「いいえ、違いますよ」
「ならば薬ですか? 頭痛薬とか」
「残念。黒木さんもハズレです」
「食べ物! 杠葉さんの料理を美味しそうに食べてたし!」
「あら、近いですね。ですが違いますよ」
三人が思い付いた物を挙げるがどれもハズレばかり。
杠葉が彼に対して分かった事と、手渡した物は絶対に関係があるはずだ。
しかし、自分達と彼女が見ていた光景はほぼ同じであったと言えるだろう。
であれば、彼女は男のどのような姿や仕草から導き出したのか見当もつかない。
頭を悩ます三人を見て杠葉はくすりと笑った。
「ヒント! ヒント下さい!」
「そうですね……先程の男性が読んでいた雑誌に手掛かりがありました」
「でもその雑誌は男の人が持ち帰っちゃったし」
「確かにな。俺は表紙すら覚えていない」
「私も!」
その日はどれだけ考えても思い付かなかった為、長居するのも迷惑だろうと帰宅した。
そして翌日、再び三人がchlorisへと歩みを進めている。時、前方にあの男性が歩いているのが見えた。
昨日と同様に黒いスーツを着ている。
男性は足早にchlorisへと向かっているのが分かった。
彼らは頷き合って男の後を少しだけつけてみることとする。
店へと着き、彼は杠葉の元へと向かうと嬉しそうに何かを話し始めた。
何度も頭を下げ、笑みを零し、そして、ふと辛そうな悲しそうな表情をした。