6:雨音
ぐぅぅ……
三人の内、誰の音であっただろうか。
この静かな空間ではとてつもなく響いた。
確かに先程の時計の音は十二時を指したのだから、空腹でも仕方が無いだろう。
政春は顔を真っ赤にして自分の腹を抱えた。
「お前な……」
「うん、わかってる、ごめん」
「ふふ、そろそろお昼ご飯の時間ですからね。よければ何か食べますか?」
瞬には白い目で見られ、杠葉には面白そうに笑われる。
それによって益々縮こまった彼を見て、遂に二人は吹き出した。
目の前に二つのメニュー表が置かれる。
今までの桃色の薄い物ではなく、少し厚みのある黒色の革の様な材質の本であった。
和洋中・フレンチの定食や、サンドウィッチ等の軽食に至るまで、レパートリーがとても豊富だ。
「俺は、"鱈と野菜の中華風炒め"で」
「僕は……"筍入りのタイ風カレー"を」
「はい、かしこまりました」
朝から頭を悩ませながら勉強してエネルギーを消費している為、彼らは定食を其々頼んだ。
杠葉がキッチンの奥へと姿を消し、ほんの数分で食欲をそそられる良い匂いが此方へと漂って来る。
特に、政春の頼んだカレーのスパイスの香りが胃を動かせた。
僅か十五分後、頼んだ定食が運ばれて来た。
「お待たせ致しました。鱈と野菜の中華風炒めと、筍入りのタイ風カレーです」
「いい香りだな」
「うん! 美味しそう!」
鱈も筍も五月が旬の食材。
メインに併せてじゃがいもとキャベツのスープ、金平牛蒡、菜の花のおひたし、生春巻きなどの小鉢が用意されていた。
一口食べると口の中が幸福感に満たされる。
夢中になって食べ進め、五分後にはもう殆ど料理は残っていなかった。
『ご馳走様でした』
「はい、お粗末さまです」
彼女はまるで母の様な瞳で二人が食べる様子を見詰めていた。
食後にと、政春にはジャスミン茶、瞬には白茶が出されている。
喉を通りすぎたお茶の温かさが心地良かった。
ほっと一息ついた後、二人は再び勉強を再開させた。
この空間にはカリカリとノートに文字を綴る音と、杠葉が食器の片付けをしている音のみである。
そのまま四時間程、手を止めなかった。
「ふぅ……明日の予習はこれでいいか」
「多分大丈夫だろう。助かった」
「ううん、僕こそ色々聞いて手伝ってもらったしお互い様だよ」
「お疲れ様でした。凄く集中していらしてましたよ」
若しかしたら学校で勉強するよりも集中出来るのではないか。
そんな考えが頭を過り、二人は顔を見合わせて笑った。
「お二人共、御自宅までどのくらいかかりますか?」
「俺は三十分程です」
「僕もそれくらいですね」
「……そろそろ、雨が降りそうです。降られる前にお帰りになられた方がよろしいですよ」
にっこりと笑いながらそんな言葉を紡ぐ。
しかし窓から外を見てみても、雨雲がかかる気配はない。
長居するのは迷惑であっただろうか、そんな不安が心を占拠した。
「ふふ、いいえ。違いますよ」
「え?」
「見ての通りお客様は少ないですし、長居も迷惑などではありません」
「なら、よかったです。梶、ここは杠葉さんの言葉通り帰ろう」
「う、うん」
瞬に急かされ、急いで政春も帰り支度を整える。
会計を済まして店を出た。
それから三十分程移動して家に着く。
すると、玄関の扉を開けて中へと入った途端にポツリポツリと雨粒が地面を叩いて音を鳴らした。