5:置時計
「えっ……美味しい、紅茶と和菓子って合うんだ」
「苺タルトも甘酸っぱくて美味い」
「そう言って頂けると幸いですよ」
この店で販売されているお菓子は全て杠葉の手作りとなっている。
定番メニューに加え、季節の果物や野菜を使った体に良いものを提供している。
二人が勉強を始めると、彼女は五月のメニューを考え始めた。
「(若鮎に、草餅、柏餅、ちまき、躑躅や牡丹も良いかもしれませんね……洋菓子にはさくらんぼのパンナコッタとメロンのショートケーキと、あと数種類を用意致しましょうか)」
「ここはどうなるか分かるか?」
「ここ? うわぁ、僕もわからないや」
「参考書の例題や、授業での問題にも似たようなものはなかったんだ」
「うーん……」
ふと、前を見ると二人のペンを握る手が止まっていた。
どうやら難しい問題に頭を悩ませているらしい。
書きかけのノートには問題文章を図で簡略化したものが描いてある。
それから三十分程、悩んでいたが答えを導け出せなかったようだ。
瞬は眉間を押し、政春はカウンターに突っ伏している
その様子につい、笑みが零れてしまった。
「何処が分からないのですか?」
「物質収支の範囲なんですが……やっぱり僕は苦手で」
「俺も化学はここだけ曖昧になってしまっていて」
「あら、この範囲ですか。これはですね、まず未知量の物質が三種類ありますから各々をA、B、Cとおいて――」
問題文章を見せてもらうと、杠葉は持っていたボールペンで政春のノートに書き込みを始めた。
その姿に彼等は驚く。
自分達の描いた簡略図よりも更に簡略化されて、必要最低限の情報だけを与えられている。
口頭説明を交えながら記号と数値を書いて、次々と利用する式を書いていった。
大学の教授の説明よりも余っ程わかりやすくて、聞きやすい。
「後は最後にこの三式を連立させて、未知数を導けば終わりですよ」
「……凄いですね」
「うん、わかりやすいね」
説明が一通り終わると杠葉はボールペンをカウンターへと置いた。
彼女の雰囲気や話し方もあるのか、頭にすんなりと情報と知識が入ってきた。
しかし、彼らには疑問が浮かぶ。
『何故、杠葉は偏差値の高い大学の問題をすんなりと解くことが出来たのであろうか?』
ということだ。
「杠葉さんも京学院大学に通ってたんですか?」
「いいえ。私はそこへ通ってはおりませんでしたよ」
「でも、此処の専攻はかなり難しい筈です。杠葉さんがどうして解けたのか疑問なのですが」
「ふふ……さて、どうしてでしょうか? 当ててみて下さい」
「えぇ!?」
「さっきの問題より難問だぞ、梶」
うーん、うーんと二人して考え込む。
思い付いた答えを言い合うが、しっくりとくる答えはお互いに出ないようだ。
すると、その思考を打ち切るかの様に"交響詩・人魚姫"が時計から流れ始めた。
しっとりと落ち着いた、しかし悲しいメロディーが店内を満たす。
その時計はどうやら置時計のようで、キッチンと店内との境目に置いてあった。
縦長の時計で、スノードームの様な装飾が施されていた。
中には大きな船が停泊している立派な城の建てられた陸地に向かって、深海から手を伸ばしている人魚が飾られている。
きっとこの人魚が、あの有名な人魚姫なのだろう。
「杠葉さ――」
政春はつい、言葉を引っ込めてしまった。
彼の様子に気が付いた瞬は、視線を追い、そして息を飲んだ。
「(どうして、どうして、そんな顔をするんですか?)」
そこには何かを悲しむ様な、哀れむ様な。
そして――何かを激しく恨む様な表情をしている杠葉が、じっと時計を見詰めていた。