22:魔女の手渡す紫のケーキ
いきなり響いた大きな音に和寿は肩を跳ねさせた。
驚いた表情で見てくる彼に、杠葉は取り繕うように曖昧に笑う。
それに違和感を覚えるも踏み入る訳にはいかずに彼もまた微笑み返した。
するとスマホのコール音が小さく鳴った。
急いでポケットをまさぐっている様子から彼のものなのであろう。
幾つかのやり取りを交わすと、慌てて立ち上がった。
「申し訳ない、会社から急用で呼ばれまして」
「いえいえ、お仕事頑張ってくださいね」
代金を渡すと、早足で店を出ていくその背を見詰める。
客が誰も居なくなったその瞬間に、杠葉は深く溜息をついて眉間を指で摘んだ。
頭が痛くて仕方が無い、身体が燃えるように内部から熱を発している。
けれどこの症状が風邪などで発症しているものではないと分かっていた。
唯々ストレスからくる一種の自律神経失調症なのだろう。
「ああもう、本当に嫌になる」
「何かあったんですか?」
独り言を呟いた筈なのに、それに対して返答が来たことに驚いてそちらを見遣る。
すると不思議そうに彼女を見詰める瞬の姿があった。
珍しく荒々しい口調で話しているのを聞いてしまったからであろう。
「あら黒木さん……お気になさらず」
「そ、そうですか」
杠葉は再び笑顔を貼り付けた。
違和感を感じるものの、そう簡単に踏み込めないことを本能で感じた瞬は口を噤む。
彼女も一人の人間であり、何か不満があったとしても可笑しくはないだろうと納得し、またその人間味のある部分を見れたことに多少の喜びを感じた。
すると珍しく凧と優一郎が居ないことに気が付く。
あのべったりくっついていることがデフォルトな二人だと思われているがきちんと仕事をしており、また優秀な人材である為、沢山の仕事を回されているのだ。
「今日はお一人様なのですね」
「政春は講義がないらしくて。桃花は煩かったんで置いてきました」
「あらあら、喧嘩する程仲が良いと言う奴ですね」
「……否定はしません」
気恥しそうに目を逸らしたが生暖かい目で見られているのに気が付き、更に恥ずかしさが増してしまった。
今までずっと誰かしらと共に来ていたのだから、多少なりとも違和感を抱いても不思議ではない。
ブラックコーヒーを頼んだ彼は背もたれに体重を掛け、深く椅子に座った。
眼鏡を外して皺を伸ばそうとするその姿に疲れを感じる。
「お疲れですか?」
「最近講義で映像をずっと眺めてることが多くて……目が熱くなったり、痛んだりするんです」
「目は大切になさって下さいね」
温かみのあるその笑みだけで、何かが癒される気がしてしまった。
自分からの御褒美だ、と言って杠葉がテーブルに置いたのはブルーベリーヨーグルトチーズケーキ。
その艶やかな紫色が食欲を唆る。
柔らかい生地にフォークを刺して口へと運ぶと、甘酸っぱい香りが鼻腔を擽った。
ヨーグルトとチーズで味がまろやかにされており、ベリーの酸っぱさが苦手な人でも食べやすいであろう。
タルトの様なクッキー生地が食感を与えてくれている。
ブラックコーヒーに使われた豆はグァテマラで、上品な酸味と甘い香り、苦味とのバランスが良い品種である。
コクが深いものなので、今回のさっぱりとしたケーキには丁度良いと感じた。
「ブルーベリーって目に良いんですよね」
「ええ、後は大豆やパプリカなども含まれる食材ですね。今回使っているヨーグルトやチーズも乳製品の一種なので目に良いと言われております」
「へえ……若しかして、杠葉さんは料理の専門学校とかに通ってましたか?」
「残念、違いますよ。私は理数系の大学に通っておりましたので」
思わず聞き返してしまった。
まさか自分達と同じ理数系のコースを選択していただなんて思いもしなかったのだ。
「でも、根っからの文系なんですよね」
「え、桃花と同じなんですね。確かに杠葉さんは文系な感じがしました」
そう言われて納得してしまった。
カフェに居る時にそっと耳を澄ましてみると、よく客からお勧めの本や文献を聞かれていることが多いと感じる。
かかっている音楽も彼女のチョイスによるものだと言われてからは、勝手にずっと文系だと思っていたのだ。
恥ずかしそうに頬に手を当てて微笑む彼女に、先程の様な刺々しい雰囲気は見当たらない。
少しだけほっとして彼は一口、珈琲を口に含んだ。