15:とろける甘さのホットチョコレート
疲れた様子で再びカウンターに突っ伏す凧を横目に次々と料理を運び出す。
今か今かと待ち構えていた遠山夫妻はもう既にスプーンとフォーク、箸を持って食べる準備は万端であった。
パプリカやかぶ、人参などの色とりどりの野菜が敷き詰められ、鯵が丸々二匹温かな湯気を立たせながらオーブン皿に盛り付けられていた。
ウイスキーでフランベされた大ぶりな浅利の身からは日本酒よりもマイルドな香りが漂っている。
シャンパーニュグラスにはスパークリングワインが注がれており、きめ細やかな泡が美しく光を通していた。
「いただきます!」
美味しそうに頬張る二人を見て、政春達の胃も空腹を訴え始める。
すぐ近くに座っている凧も腹が減ったのか杠葉を呼んでいた。
「ゆず〜、自分も腹減った」
「先程食べたばかりでしょう」
「ゆずの料理が美味しいのが悪い」
「責任転嫁って言葉、知ってますか?」
呆れたように笑う彼女に、凧も思わず笑い返す。
すると後ろから誰かに抱きつかれる感触がした。
驚きで目を見開く彼女が思わず振り向くと、そこに居たのは優一郎であった。
彼であったことに安心した杠葉は、また何時ものことかと頭を撫でる。
寝ぼけているのか、肩に頭をぐりぐりと押し付ける彼に凧は一発お見舞いした。
「いたい」
「痛い、とちゃうわ。ゆずにいつまで抱きついてねん」
「俺の気が済むまで」
「ほんまにアホか」
べりっとシールのように剥がされ、そしてカウンター席に無理矢理座らされる。
ぐずぐずと唸ってぼーっとしている優一郎は杠葉に縋るような視線を向けた。
それを受け取った彼女はどちらの味方にもなれずに苦笑を零す。
温かい飲み物を求められて、キッチンでブラックチョコレートを二枚と冷蔵庫から牛乳を取り出す。
細かくチョコレートを刻むと、泡立て器でかき混ぜながら鍋で温めていた牛乳の中にゆっくり少しずつ加えて温度を調節する。
マグカップに注いで持って行くと、両手で素早く掴まれた。
「ほっとちょこれーと?」
「そうですよ。ほら、飲んで下さい、優」
「うん……」
甘い物が大好きな彼は嬉しそうに飲み始める。
普段誰にでも優しく、また男らしい一面を持つ優一郎は寝起きが悪く、昔からよく杠葉に甘えることがあった。
凧はそれを何時も間近で見ていた為に耐性もあり、何事もないかのように接しているが、他人から見れば恋人が甘えているようにしか見えない。
顔を真っ赤にして俯き、見ないようにしている政春に気が付いた凧は注意するが優一郎は聞き耳を持つことはない。
痺れを切らした杠葉本人が彼を引っペがした。
「今、此処は営業中で、お客様がいらっしゃっているの分かりますか」
「うん……」
「あかんなこれ」
「完全に寝惚けてますね」
呆れるしかない。
二人は少し放置しておけば元に戻ると言って、優一郎をカウンター席の隅に寄せて座らせる。
すると言った通りに、彼は五分程経てば何時もの彼に戻っていた。
「あー……俺、寝ぼけてたのか」
「せやでアホ。しかも店でやりおって」
「うわ、それは本当に悪い。ごめんなゆず」
「もういいですよ」
キッチンでフロニャルドとタルトを作りながら答える
手伝うよ、と言って自分のエプロンを着けてキッチンへと入って来る彼に感謝を伝えると、力のいるタルト生地作りをお願いした。
手際良く生地を伸ばして型取りしていく。
追加で注文されたチーズのキッシュロレーヌを杠葉は急いで作っていた。
慣れた手つきで菓子を作っていく優一郎に杠葉は腕が上がったのだと実感する。
「腕、上がりましたね」
「だろ? でも俺はゆずと一緒に働きたいんだけど」
「それは後々ですね。今の私の職場はchlorisですから」
料理を作りながら会話をする。
お互いが相手に目を向けることは無いが、現在どの工程で、次は何が必要で、何をすれば相手が楽になるか考え、そして理解しながらサポートをした。
後ろを通る時に彼女の手元に調味料を置き、オーブンで焼き上がったキッシュロレーヌを取りに行く際にカスタードクリームと苺を切ったものを渡して行く。
一段落つき、優一郎は二人分のヴィンテンスの赤をブルゴーニュワイングラスに注いだ。
アルコール入りのワインを醸造した後に低温低圧の状態で蒸留を行い、アルコール分を取り除いた"脱アルコール製法"のワインである。
心地よいガラスが軽くぶつかり合う音を響かせて喉へと流し込んだ。
「マイクが今でも残念がってるぞ。『何故、城杠葉は此処に来なかったんだ!』ってな」
「あらあら、彼も無茶を言いますね」
「それだけお前に目をつけてたんだろ」
「私のあの時点での夢は、あの二人の願いを叶えることでしたからねぇ……ならば彼に、機会があればと伝えておいて下さい」
小さく笑う杠葉に癒される。
優一郎はふと人魚姫の置時計が視界に入り、気付かれないように少し悲しい顔をした。