13:ブレオニーの小さな棘
「瞬、今日も行ってみる?」
「俺は行くつもりだ。因みにこのアホもな」
「アホって何よ!」
今日の講義が終わり三人はフリースペースで会話をしていた。
二日続けてあの店に入れなかったが、今回こそはと意気込んでいる。
木曜日は取ってある講義がどれも難しく、この疲れを癒したいと思って長閑なカフェまでの道を少しだけ急いで歩いていた。
桜葉の隙間から薄い茜色の木漏れ日が道を彩る。
CLOSEの札も掛かっていない。
きちんと店内の照明も付いているし、換気の為に窓も小さく開けられている。
「今日は大丈夫だったね」
「そうだな。たった二日空いただけなのに随分長い時間に感じたよ」
「杠葉さん元気かなぁ!」
温かみのある木の扉を開ける。
すると何時もの笑顔で杠葉が出迎えた。
何か違う所を挙げろと言われれば、彼女が着けているカフェエプロンが茶色から黒色の物に替わっているくらいだろう。
黄蘗色の刺繍糸で彼女のイニシャルのKとY、そして桔梗の花が描かれている。
昨日一緒に居た男性からの贈り物なのだろうか、そんな囁かな好奇心が胸の内で膨らみ始めた。
うずうずとしている桃花の首根っこを掴み、制御をかけているのは瞬だ。
水の入ったグラスとおしぼりが置かれる。
久し振りのchlorisに気分が高揚していた。
「杠葉さん、今日はオススメありますか?」
「そうですね……梅グリアのアフォガートは如何でしょう」
「梅ガ、リ? アフォガート?」
「ふふ、バニラアイスにソースがかかった物だと考えて頂ければ結構ですよ」
辿々しい口調で復唱する政春に杠葉は苦笑する。
聞き慣れもしない料理名なのだから仕方が無いのかもしれない。
すると再び扉が開く音がする。
忙しなく開けられたそこから顔を出したのは遠山宏介と妻の凜であった。
凜は杠葉の元へと一目散に移動すると、彼女の両手を握って話し出す。
「杠葉さん! 私、産むことにしました!」
「あらあら、そうなのですね。私に出来ることがあれば何でも仰って下さいませ」
「本当に助かりました。私も、妻も多大な恩を受けまして、感謝しきれません」
「良いのですよ、私は知り合いの医者を紹介しかしておりませんので」
夫婦に揃って頭を下げられる。
そこまで感謝をされる事をしていない、と彼女は言うが、その受け取り方は本人次第なのだからあまり強く宥めることも出来ない。
少し困ったように微笑む杠葉に気付いた二人は落ち着きを取り戻し、政春らの近くのテーブル席に座った。
三人には梅グリアのアフォガートを提供する。
外は気温が夏に近付き始めて多少だが高くなってきている。
ひんやりとしたバニラアイスの甘さと、梅グリアの少しの酸っぱさが絶妙にマッチしていた。
「美味しい〜!!」
「うん本当に、凄く美味しいです」
「ふふ、ありがとうございます」
「ゆず〜、どこや」
すると今までに入ったことのない二階から杠葉へと呼び掛ける声が聞こえた。
呆れたように笑った彼女は、少しだけ失礼します、と声を掛けて二階へと上がって行く。
天井の更に上の空間から二種類の足音が聞こえてきた。
軽くて回数が多いのはきっと杠葉の足音だろう、もう一つの大きくて重たいのは一体誰のだろうか。
「ちょっと、待ちなさい」
「ええやん、大丈夫やって」
「今は営業時間内なんですよ! お客様がいらっしゃっているのですから自重をして下さい!」
「自分も客やから〜」
「貴方は身内の様な人でしょう!」
あの杠葉が語気を荒げて話している。
穏やかでゆったりとした話し方をする普段の様子からは考えられないことであった。
ドタドタと階段を下りてくる足音と共に姿を現したのは茶髪にピアスを着けた長身の男性、志麻 凧で、上下共にスウェットを着ており明らかに寝起きだと分かる。
その様子に目をつけた桃花は二人の掛け合いを聞き逃さまいとじっと聞いていた。
「あぁもういいです、何が飲みたいんですか?」
「フラットホワイトと、後は朝飯が欲しい」
「気分は?」
「想像に任せるわ」
頭を片手で抑えながらカウンター席に深く座る。
だるそうに机に突っ伏す彼は多少なりとも顔が青白い
僅かに鼻を刺激したのはアルコールの匂い、きっと二日酔いでも起こしたのだろう。
コーヒーカップに注がれた湯気の立つフラットホワイトが脳を覚醒させる。
眠たげな瞼を擦りながら彼はそのカップに手を伸ばす。
フラットホワイトとはオーストラリアやニュージーランドでよく飲まれている珈琲で、きめ細かく仕上げられたスチームミルクをエスプレッソに加えたものである。
あまり日本で提供されることは無く、稀であった。
「これ食べて下さい」
「……オープンサンドか?」
「そうですよ。季節外れですが柿の実を使ってあるので二日酔いには効くはずです」
「ありがとさん」
甘みのある柿に酸味のあるクリームチーズを合わせたオープンサンドを差し出す。
未だに気持ち悪そうな表情をしながら彼はそれらを口に含んだ。
「本当に馬鹿ですね」
「誰がや。ゆずら二人がザルすぎるだけやわ」
笑顔で毒を吐く彼女に凧は頬を引き攣らせた