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chloris  作者: 梓蝶
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1:A・シリトー



「運」ってやつは、たえず変わる。

いま後頭部にがんと一撃くらわせたかと思うと、次の瞬間には砂糖をほおばらせてくれたりする。


問題はただひとつ、へこたれてしまわないことだ。



A・シリトー






からんころん、と心地よい木のベルの音が響き渡った。


革靴の踵が歩く度にコツコツと木の床をノックし、少し息を吸い込むと爽やかで、且つあたたかな香りが肺を満たす。




この店を見つけたのは本当に偶々であった。


希望していた大学に入学出来たものの、やはり勉強は桁違いに難しい。

自分から積極的に話しかけることの出来る性格でもなかった為、交友関係も上手くいかない。



そんな日常にうんざりと嫌気が差して、ふらふらと街を彷徨っていたところでふと目に入ったのだ。

気分転換にと扉を開けて入ってみる。




「あの……すみませーん」


「はぁい。あら、珍しいお客様ですね。どうぞお好きな席にお座り下さい」





奥のキッチンから現れたのは年若い女性。


年齢は大体20歳から20代後半だろうか。

胸下辺りまでの艶のある黒髪を緩く下でまとめ、白色のブラウスに黒色のスキニーパンツ。

そして茶色のカフェエプロンを身につけている。



優しそうな雰囲気を纏いながら、にっこりと此方へと微笑みかけた。

その笑顔を見た途端に何故か安堵の息を吐いてしまった。





「お水、お持ちしました。此方はメニューです」


「あ、ありがとうございます」





1人で訪れた為、テーブル席に態々座る必要性はないだろうとカウンター席へと座る。

カウンター席からは奥のキッチンが少しだけ見えるようになっていた。

女性が綺麗に磨かれたグラスに入った水と薄桃色の小さく薄いメニュー表を持ってやって来る。

彼女からは何かほんのりと甘く、優しく、そして落ち着く香りがした。





「(何がおすすめなんだろう……でも疲れているから甘いものでも頼んだ方がいいのかな)」



「何を頼むか迷っていらっしゃいますか?」


「えっ……あぁ、はい」


「ふふ、どうやらお疲れの様ですのでこちらをどうぞ」




カウンター越しから話しかけられた。

彼女を見ると、何故だか少しだけほっとした。

にこにこ微笑んでいるからであろうか。


そっと出されたのはティーカップに入れられた紅茶。

陶器の真っ白さに温かみのあるミルクティー色が映えていた。




「アシュワガンダティーです。少し苦味と渋味があるので牛乳で煮出した後に、蜂蜜を入れてみました」


「え、でもこれって」


「私からのサービスですよ、お気になさらず」





優しい言い方なのにその言葉には逆らえなかった。

息を吹きかけて少しだけ冷まし、ゆっくりと口へと運んだ。

程よく甘さのある紅茶が身体を巡る。

芯から温められた感じがした。




「美味しい……」


「ありがとうございます。気分はすっきりしましたか?」




そう言われてハッとした 。

確かにモヤモヤとしたつかえが取れたような気がしたのだ。

何故分かったのだろう、驚きに染まった瞳で彼女を見上げた。


すると唯一言


「勘、ですよ」

そう言って微笑まれただけであった




「(この人だったら、僕のこんな下らない悩みでも聞いてくれるかな? 一緒に考えてくれるかな?)」




今日知り合ったばかり、それに会話という会話をした訳でもない。

それでもこのモヤモヤとした心のつっかえを取り払えるのならば、と考えて思い切って話しかけた。





「あ、あの……少し聞いて欲しいことがありまして」


「はい、何でしょう?」


「僕、大学生なんですけど、勉強も交友関係も上手くいかなくて……こんな性格だし、運動も勉強も得意なわけじゃないし、もう頭の中がこんがらがってどうしたらいいかわかんないんです」






ドロドロと心のモヤが口から言葉となって溢れ出した気がした。

俯いている為に彼女の表情は伺えない。

彼は内心後悔していた。




「そうですねぇ……焦りすぎているのでは?」


「焦り、ですか?」



「そうです。聞いている限りですが……勉強が分からない、自分は運動も出来ない、友達が出来ないのはこんな性格が悪いんだ。こういう思考が雁字搦めになって貴方を縛っているのだと思いますよ」




嫌な顔ひとつせずに彼女は言った。

微笑みながら、まるで息子を見るかのように穏やかで暖かい瞳で。

思わず彼は涙が出そうになった。


唇を噛み締めて、拳を膝の上で握って溢れ出しそうな涙を引っ込める。




「一息つきましょう? 人間の人生、万事塞翁が馬ですよ」


「それって」


「はい。今は不幸でも、次は幸福かもしれません。人間の人生なんて予測出来るわけないのですから」




ことり、と陶器の小皿が置かれた。

黄色の小ぶりな可愛らしいお菓子が乗っている。

爽やかな香りが鼻を通った。





「レモンヨーグルトマカロンです。リフレッシュ効果がありますから、どうぞ」


「……何から何まで、本当にすみません」


「大学生といってもまだ子供なんです。大人に甘えてもいいのですよ」




そっと彼の頭に手が置かれた。

そのまま優しく撫でられる。

耐えきれずに涙がボロボロと零れ落ちる。


本当は甘いはずなのに、マカロンはどこかしょっぱかった。





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