渇望
「土屋さん!」
紅里が呼びかけたのは、体格の良い上背のある男だった。
勝色の着物と檳榔子黒の気品ある羽織からは裕福そうな印象も持てるが、三白眼のあの瞳で睨まれたら誰っだって動けなくなりそうなものだ。
土屋は猪口を片手に持ったまま体ごとこちらを向いた。その顔には、やや迷惑そうな表情が浮かんでいる。
「紅里・・・・」
「見つかった?」
紅里の問いに土屋がキッと眉をあげた。
「紅里!いい加減にしろ!何でんなことしなくちゃ・・・」
「お願いです。」
二人のただならぬ雰囲気に十時も口出しできずにいたが、それを破ったのは意外な人物だった。
「お二人とも、およし。五郎も、怒鳴るんじゃないよ。」
ゆっくりとした口調で間に入ったのは、土屋と対称に優しそうに微笑む女だった。五郎とは土屋の名だろうか。
それより女、と分かったのは腰ほどのさげ髪をしていたからで、服装は狩衣を纏っていた。
ただ、紅里も十時も見知らぬ女だったため一瞬戸惑いを覚えた。妖には妙ななりの者は多いが、人しか入れないこの場にはいささか場違いにも思える。
女は自ら名乗った。
「どうも羽柴家六代目の椛と申します。お見知りおきを。」
美しく四十五度のお辞儀を決めると、椛は十時の顔をまじまじと見つめた。
「もしかして、貴方が十時さん?三丁目の饅頭屋の次男坊?」
「ああ、まあ。よく分かりましたね。」
「跡取りの坊ちゃんとは違って、細身なものだからね。覚えてないかしら?昔、貴方の子守りを頼まれたこともあったのよ。」
三十に手が届きそうな十時の子守りをしてるなんていくつなのだろうか。と、紅里は思ったがそのまま事態の成り行きを見守る。
「はぁ。それはどうも。」
「それに五郎がよく貴方の話しを・・・・」
「姉さん!」
土屋が強引に話を区切るのを見て椛は可笑しそうに笑ったが、すぐに興味の対象が紅里へと移ったようだった。
「お二人は?まだ小さいのにこんなところに来て。」
「どうも。紅里です。こっちは、友人の澪里。」
澪里がぺこりと頭を下げる。それを見た椛は慈しむ様に目を細めた。
「まあ。あの怖ーいお札を作ったのは貴方なの?凄いわ~」
「いえ。・・・あ、それよりも椛さんは土屋さんの友人ですか?」
椛は少しだけはぐらかすように微笑んだ。しかし、本人の口から述べられたのは事実のみの話しだった。
「私は、羽柴陶吉の三女。五郎も三男、それも妾の。ですから、放っては置けなかったのかもしれないね。」
不思議な話の始め方に紅里はやや首を傾げる。
「土屋さんって三男なんですか?ゴロウだから五男じゃあないの?」
「俺の父親が当主の次男でな。二郎ってんだ。」
土屋が一つため息をついて猪口に口を付けた。それを見やった椛が話を継ぐ。
「五郎は決して跡取りにはなれない子です。ですから、彼はあまり教育を受けなかったのです。陰陽道に関しては私が教えました。」
「そっか。正規の手続きを踏んでない人から、これまた正規の手続きを踏まずに修行したから私は〝下等〟何て呼ばれるのね。」
「そう投げやりにならないでも、私の妹は全く同じことをして陽長の補佐にまで上り詰めています。」
「それって、帰蝶に認められたってことじゃねえか。」
「ええ。結局の所、自分の味方かそうでないか、ということなのよ。」
「おい。やめろ。お前ら敵陣で敵の総大将の悪口言ってんのと変わらねえぞ。」
「私は認められたいわけじゃない。」
二人にいさめられて椛と十時は渋々口をつぐんだが、帰蝶への反感は変わらないようだった。
十時もしばらくはムッとした顔をしていたが、すぐに何かにきずいたように
「そんなこと俺らに話していいのか?」
と、疑問を投げた。
「確かに、とんでもない暴露話をされた。」
紅里も頷く。
土屋は口に付けかけた猪口を離して、照れ臭そうに目を逸らす。
「・・・・まあ・・お前らの事信用してるしな。」
「照れてんのか~?土屋君~」
言いながら十時が小突く。
その様子を見て、澪里は強く渇望した。先程の紅里と十時のやり取りもそうだ。なんの気兼ねなく、気の置けない仲間との日常的なやり取り。澪里が喉から手が出るほど欲し、憧れたものだった。何故自分が押し黙ったままでいなければならないのか、悲しくなりもした。が、唯一〝友〟と〝仲間〟と呼びあえるであろう存在に、約束してしっまたのだから仕方がない。
だが、それすらも危うくなる程、澪里が夢見た情景がそこにあったのだった。