意思
そんな小さな出会いが起きてから数日たったころ。
あれから明里は姿を現さなかった。澪里はあの〝出会い〟を夢とすら思いこんでいった。
だが、それは現実であった。
春の始まりを主張するように、桜が咲き始めた頃。濱木医院の庭先に明里が姿を現した。
「明里ちゃん!?」
「あ、澪里・・・ちゃん・・・・?」
たどたどしい明里の挨拶に澪里はクスリと笑う。が、その後ろにいる異形の者に澪里は後ずさった。
「それ・・・なに?」
「・・・・あたしの式」
「シキ?」
明里は無言でコクリとうなずいた。
「妖と契約して、主従関係になると従者を式というの。あと、主人を式持ちといって、妖にとって式持ちに仕える事はとても名誉なことなの。」
「明里ちゃんは式持ちなの?」
「我々の主を侮るな。」
突然毛むくじゃらの化け物が喋り始めた。
「金雀枝!主のご友人に失礼じゃろう。控えよ。」
すると今度はどこからか妖艶な女の声がした。
「樒。姿を見せて。」
「はい。」
すると空間の一角が歪んで美しい女が姿を現した。
「樒。隠れるのはダメっていつも言ってるでしょ。」
「申し訳ありませぬ。」
「あと金雀枝に敵意を向け過ぎだ。抑えろ。」
明里はそう小声で言って樒の額に手を当てる。すると段々樒の姿が薄れて終いに消えていった。
「金雀枝も。少しだまってて。」
明里は金雀枝を牽制してから澪里に向き直る。
「澪里ちゃん。手伝って欲しいんだけど・・・・今いいかな?」
「いいけど・・・・何するの?」
「外に出て、あたしと会合に出て欲しい。」
「外!?」
澪里は意外なほど驚いた。
と、言うのも澪里は生まれ持った持病のせいで外になど滅多には出ない。無論医者や家族、明里以外の人にも会ったことがなかった。
それよりも、心配事が一つ。
「その会合って、妖怪とか、幽霊がいるの?」
明里が無言でうなずくと、澪里は少し肩を落とす。
「怖い?」
突然明里の掌が澪里の頬を撫でる。病気がちなせいで蒼白な顔に色白な手が重なる。だが、澪里とは違い明里の手は温かく、白くはあるが健康的な肌をしていた。
「うん。けど・・・・行きたい。」
それは澪里が初めて自分の意思を伝えた瞬間だった。
「分かった。・・・・中に入ってもいい?」
濱木医院を指さしながら遠慮気味に問う明里に頷いて見せて、澪里は医院のドアを開けた。
澪里の部屋へ二人が入る。金雀枝はいつの間にやら姿を消しており代わりに、薄浅葱を基調とした漢服を纏う女性が現れた。
「鈴玉二人分の着物を用意して頂戴。」
「かしこまりました。」
鈴玉は抱えていた籠からいくつもの布を取り出しては仕舞う事を繰り返した。しばらくすると鈴玉は二人分の着物と帯と下駄を置いてこう言った。
「ではご主人。こちらでよろしいでしょうか?」
「ええ。ありがとう。帰っていいわよ。」
鈴玉は「では。」とお辞儀をすると籠を抱え直して部屋を出て行った。
澪里は鈴玉が置いて行った着物をまじまじと見始める。
一つは小紫の生地にいくつか扇子が描かれた物に紺藤の帯。もう一方は鮮やかな桜の描かれた薄桜色の和服。帯は撫子の花のような紫味のあるピンク色だ。
「綺麗。」
「でしょ。鈴玉、センスがいいの。あ、こっちが澪里ちゃんの。」
そう言って明里は桜柄の方を澪里に手渡した。