Sacred Song
首元のリボンを真ん中に調節して、姿見の前で、履き慣れないスカートを再確認する。
隣で口には出さないが、明らかに不服と言う顔をしている姫輝は、男子生徒用の制服のネクタイを何度も締め直す。
なかなか上手く行かないネクタイに、半ばイライラしながらも、気長に根気良く試行錯誤を繰り返す。
こう言った細かい事は、便利さを求められる事は無く、出来て当然と、一般常識で片付けられる。
「もたもたしないで下さい」
姫輝の胸倉を掴んでこちらを向かせて、ネクタイを締める。
「有難な」
「別に。遅刻するから行く」
隣に置いてあった鞄を持って、学校指定の靴を履いて、先に家から出る。
急いでドアを開けて出て来た姫輝は、施錠した事を確認した後、小走りで隣に並ぶ。
「お前は天邪鬼だな。一緒に行きたいから、ネクタイやってくれたんじゃないのか?」
「別に。カチューシャが外れないようにして、姫輝の髪色に合わせたからバレないとは思うけど。万が一外れたら私の所に来て」
姫輝は長い髪をカチューシャで上げて、出来るだけ短く見せている。
以前その手法は長らく使っていた為、素人がするより上手く出来る自信はある。
角膜に、用意された生徒証を映し出して、落ち度が無いか最終確認をする。
小型のデバイスをASCの代わりに使用している姫輝は、制服の内ポケットからデバイスを出して確認する。
今回の任務では学歴詐称、裏口入学、脅迫、その他色々としてはいるが、しっかりと脅してあるらしく、何も問題は無いらしい。
「初日から黒塗りの車で行くのか、何かマフィアみたいだな」
「別に。バスは人が多いし、テロにはうってつけだから危険。姫輝が車以外で行くのは許さない。触られでもしたら殺してしまいそう」
「私だってバスくらい乗れる。お前よりも長く生きてるんだぞ」
「そうですね。良いからバスには乗らないで」
マンションを出て車に乗ると、姫輝は早くもネクタイを緩める。
特に何事も無く学園に到着すると、周りにも送迎されて来た生徒が、次々と校門を通り抜けて行く。
車から降りて、主に銃火器が入った鞄を肩にかけて姫輝を待つ。
外観は宮殿の様で、学校と思えない程警備が巡回していて、あまり自由な行動は出来なさそうだ。
今年から共学を開始した、アイネクライネ学園は、特殊な科があり、授業ではエージェントになる為の教育を受ける事も出来る。
名門でもあるこの学園は、何人もの幹部をMI6に輩出している、MI6にとっては蔑ろに出来ない学園となっている。
特殊教育を受けるのはエージェント科と言う、明らかに他とは違う名前をしていて、銃やナイフ、色仕掛けなど様々な事を教えて貰える。
ヘリオライトのGz9、個人ランキング二位のOrchis、MI6副統括のパリス。
最高幹部に四人、そしてMI6の隊長にも多い。
セレナーデたちが普通に通っているこの学園で、通常任務として護衛をさせられる事になり、第二学年の途中から編入学することになった。
ネクタイを緩めたままの姫輝を突っついて、直すように促すが、本人は全く理解しない。
姫輝の夏服を引っ張って無理矢理屈ませて、首を絞める様にきつく締める。
きつきつの状態から少し緩めて手を離すと、姫輝は涙目でこちらを見るが、目を両手で隠して見えない様にする。
「こんな所で油売ってないで、早く職員室に行って来て」
背後からセレナーデに声を掛けられる。
隣の元エージェントは、興味無さそうに立っている。
「これが通常運転なので気にしないで下さい。それと、好奇な目で見られるのは何故ですか」
「知らない。こんな所で見せつけるからじゃない?」
それだけ言うと、セレナーデは元エージェントの少年を連れて、校舎に向けて歩き出す。
学校長室に入ると、違う校舎の理事長室に案内される。
「失礼します。本日からこの学園に通う事になった、アンジェリカと姫輝です」
椅子に座っていた老人は立ち上がり、姫輝の目の前で立ち止まる。
「なかなか良い体つきじゃないか。是非特殊科に入らんか?」
腕を触り始めた理事長を思い切り蹴り飛ばして、姫輝の手を引いて部屋から飛び出る。
校舎に警告音が鳴り響き、全ての通路が厚い壁で遮断される。
壁際にプラスチック爆弾を置いて爆破させるが、穴は愚か、罅すら入らない。
天井が開き、下りて来たのは警備員と、この学校の制服を着た生徒。
全員銃を構えていて、一歩でも動けば体に穴が空く。
それについてはディストーションで防げるが、反撃が出来ないまま逃げ回るのも面白くない。
「先手を取られましたね。どうしましょう」
「元は突然お前が理事長を蹴ったからだろ」
「はあ? ……何でもありません」
「何で怒ってるんだよ。兎に角、フラッシュバンを使って、その隙に天井から逃げよう」
幸い右手は姫輝の体で相手からは見えなくなっている為、フラッシュバンのピンを外す事が出来た。
撃発を外さないようにレバーを押さえて、作動しないようにして持つ。
ELIZAが手に看板を持って、真ん中に数字を映し出す。
五秒からカウントが開始されて、四秒目で、腕で目を覆ってフラッシュバンを投げる。
ディストーションを足場にして天井裏に入って、先に登った姫輝の手を掴んで引き上げてもらう。
視界が暗視に切り替わって、真昼の様に視界が明るくなる。
ASCとELIZAが体内に無い姫輝の手を掴んだまま、出口らしき所を探す。
フラッシュバンの効果から回復した警備と生徒が、サプレッサーを着けた銃を撃つ。
ディストーションで防ぎながら走っていると、前方に黒色の修道服を着た、セレナーデの邸宅の地下に居た、友希那と呼ばれていた少女が立っている。
あの時は手も足も出なかったが、今回は真正面からの戦い。
元ウラノスクイーンの右腕として、同じ人間に遅れをとる訳にはいかない。
ところが、友希那は下を指差して、天井にしゃがみ込む。
今度はスモークグレネードを後方に投げて、姫輝を引き寄せて腕を組む。
スモークグレネードが高速で回転して、煙を撒き散らして幕を張る。
友希那が開いた扉に飛び込んで、天井裏から落下する。
腕を組んでいた姫輝を下敷きにして、教室の床の上に着地する。
上から修道服をはためかせた友希那が音も無く着地して、にこにこと笑う。
「初日からお尋ね者とは、元気ですね」
言いたい事を抑えて、自然な笑顔で友希那はそう言う。
「元気なら姫輝さんと居れば出て……何時も元気ですけど」
「私も天使と居たら元気が出るぞ」
「もって何ですか、私はそんな事言ってません」
「言っただろ、今はっきりと」
「言ってませんから黙って下さい」
椅子に座った友希那は手元のデバイスを操作して、何かを入力していく、
その向かい側の椅子に腰掛けて、この後どうやってこの騒ぎの始末をするか、机に突っ伏して考える。
姫輝のデバイスに、ウラノスクイーンから通信が入り、それに姫輝が対応する。
「こんにちは……何か言う事は?」
「御飯は姫輝が作った物に限る」
「ははは、ぶん殴ってやろうか?」
「美味しいのに」
手の中のデバイスを映し出したウラノスクイーンは、部屋で控えている五人に謝罪をして、部屋から退室させる。
机の隣に置いてあったエレキギターを太ももに乗せて、ピックで弦を弾く。
そのメロディはウタの子守唄と同じで、無意識の内に歌詞を口ずさんでいた。
バラードに合わないエレキギターの音が、自動的に頭の中でウタの歌声に変換される。
「懐かしいだろ、お前の母もその学園出身でな。この歌は学園から抜け出して街を見ていた時、ひとりの髪の長い男性から教えて貰った曲でな」
「その男性は生きているのですか」
「日本に居ると聞いたが。会いたいなら行くと良い、九条家に居ると思う。蒼髪紫眼の美人だぞ」
通信を切断すると、友希那がこちらを見ていた。
白い髪を揺らしながら立ち上がった友希那は、部屋から出て行った。
警告音が漸く鳴り止むと、セレナと友希那が同時に入って来た。
椅子を引いてセレナを椅子に座らせた友希那は、その後に立って口を開く。
「自己紹介がまだでしたね。私は九条友希那。ウラノス・レイ・セイクリッドの、九条斑鳩の娘です」
「そしてもうひとり。同じ修道女をしている聖妃奈子は、ウラノスの姪」
「お父様は何かと色々な御家と繋がりが深いですからね。ライオットやウラノスクイーン、セイクリッドにレインワーズ、ナイトレイと全国の王族。全て知り合いみたいです」
「そして貴女の親とも知り合いだった。覚えてないだけで、会った事はあるんじゃない?」
三十六歳と言う若さでその人望、そして全く語られない過去と、謎だらけの人柄。
ふたりがレイの話をする時は、何故か優しい表情と口調になる理由が分からない。
それ程まで偉大な人間なのだろうか、ASCを開発して、理不尽な世の中に虐げられた人を救った人物。
その人が見ている世界を創る為に、Phantom Princessとして活動しているのか。
先程から黙り込んだ姫輝も、レイと言う人物を知っているのだろうか。
ELIZAが全世界の諜報機関のデータを抜き取り、角膜に映し出す。
顔の写真は無く、プロフィールも殆ど空白だった。
性別すら記入されておらず、記入されているのは呼称と使用武器。
呼称は世界最高峰の殺し屋、使用武器はコルトガバメントのカスタムが二丁。
分かっているのはそれだけで、FBIのデータですらそれ以上書いていない。
「モサドの局員に当たってみるか、それともドイツのBDN」
「そんな事しなくても、実際に会えますけど」
「是非」
「なら今から行く? 学校なんて休んでも問題無いし」
今までなら直ぐに行くと言っていたが、今は学校でしっかりと学んで、少しでも自分で字が読めるようになって、姫輝に迷惑をかけまいと決めた為、提案を断る。
チャイムが鳴ると、セレナは立ち上がって教室から出る。
「じゃあ後で」
そのまま扉を開けたままにして、廊下を歩いて行く。
「貴女たちもですよ。おふたりは第二クラスですよ」
「友希那は?」
「私は教員なので、おふたりに教える方です」
「凄い、頭も良いのか」
にこにこと笑う友希那に背を押されて、廊下を進む。
教室の前に着くと、友希那が扉を開いて、教室の中に入る。
廊下で立ち尽くして見ていると、手招きをされる。
恐る恐る足を踏み入れると、大勢の生徒が座っていて、一斉に視線が集まる。
「今日から新しく編入学して来たおふたりです。では自己紹介から」
姫輝が先に前に立ち、自己紹介を始める。
「雲母姫輝です。好きなのはアンジュ、体を動かすのが得意です。宜しく御願いします」
姫輝が頭を下げると、教室中から拍手が沸き起こり、同時に女子がざわつく。
戻って来た姫輝に背を押されて、真ん中に立つ。
「えっと……アンジェリカ・レインワーズです。エージェントをしてい……」
友希那が前に移動して口を押さえらる。
驚いて友希那の目を見ると、エージェントって事は伏せてと文字が浮かび上がっていた。
それをELIZAが体内で読み上げて、理解をする。
こくこくと頷くと、友希那は口から手を離して元の位置に戻る。
「あの……好きな食べ物は姫輝の手料理と、姫輝が作ったお菓子です。宜しく御願いします」
頭を下げると、同じく拍手が沸き起こり、少数の男子生徒が喋り出す。
「質問などありましたらして下さいね」
友希那がそう言うと、殆どの女子生徒が挙手をする。
「姫輝くんはその子と御付き合いしていますか?」
当てられたひとりが立ち上がり、少し前のめりになって口を開く。
「いや、付き合ってはないけど」
それを聞いた女子生徒は、一斉に騒ぎ出して、騒音に教室が包まれる。
再び女子生徒が当てられると、椅子から立ち上がって口を開く。
「姫輝くんはその子が好きなんですか?」
とんでもない事を聞いてくれやがったなと思いながらも、目を瞑って考える姫輝の返答に耳を澄ませる。
「そうだね。振られてしまったけどね」
笑顔でそう答える姫輝は、女子生徒の心を掴み、制圧して行く。
「ちょっと、振ってはないから」
小声で姫輝にそう言うと、「なら付き合ってくれるのか?」と、嬉しそうに言う。
「そう言う訳でもないけど……分かった、御願いします……皆には秘密で」
姫輝の熱意に負けて、最後はこちらが渋々折れる形になった。
「分かった」
姫輝はウインクをして、私だけにしか見えない様に笑ってみせる。
胸が異様な動きをして、動悸が起こる。
感じた事の無い鼓動の動きに、姫輝の顔を直視出来ない。
原因が分からないまま立っていると、初めて質問が飛んで来る。
「申し訳ありません、もう一度言ってもらって良いでしょうか」
「ああ、今まで彼氏とか居ましたか?」
「いえ、全く機会も無かったので居ません」
「おぉぉぉ! キタよ! ブロンドの美少女」
騒ぐ生徒を友希那が制して、空いている後ろの席を指差す。
姫輝の隣の席に座ると、友希那はホームルームを始める。
動悸を治めるのに必死だった為、話が全て頭を通過して、全く内容を聞いていなかった。
ホームルームが終わると、皆は立ち上がって、何処かに向かい始める。
他人事の様に見ていると、女子生徒の集団が姫輝を囲んで、教室から出て行く。
取り敢えず教室から出て、屋上を目指す。
エスカレーターで五階に上がると、屋上に行くには階段で行く必要がある様だ。
階段を一歩ずつ踏んで扉の前で立ち止まる、ドアノブを捻って扉を開けようとするが、鍵が掛かっている為開かない。
原始的な鍵にする事で、ハッキングや解析などで、簡単に開けられない様にしている。
スプリングフィールドにサプレッサーを装着して、ロックされているであろう金具目掛けて、三発弾丸をぶち込む。
見事に大破した鍵を、マガジンの部分で殴って落とす。
扉を開けて外に出ると、図々しい太陽が雲の間から顔を出していた。
日陰を見つけて、Arsenalからシートを取り出して敷く。
その上に腰を下ろして、背中を床に着いて空を見上げる。
「それは嫉妬と言うのですよアンジュさん」
修道服にコスチュームチェンジしたELIZAが、手を合わせて祈る様に目を瞑る。
「嫉妬なんてしてない。唯全員死ねば良い、それだけ」
「重症じゃないですか。独占欲が溢れていますよ」
「そもそも可笑しい。あの人との関係は解消」
「レイの言葉を思い出して下さい。一時の感情に任せて動くのは愚者である。今の貴女ですよ」
今そんな事を言われても知らない、動悸ももう無くなったし、思い出すだけでも頭に血が上りそうになる。
体が不調の時、それを調節するELIZAは何もしないし、姫輝はクラスの可愛い子たちと行ってしまうし、太陽は雲に隠れてしまうし、一緒に居てくれるのは、ウラノスクイーンから貰ったスプリングフィールドと、コルトガバメントだけになってしまった。
二丁を胸に抱きしめて瞼を瞑ると、衣擦れの音が微かに聞こえてきた。
暗殺者であろうが、いっそこのまま殺せと思い、瞼を閉じたまま寝たフリを続行する。
「迷える子猫が此処にひとりですね。最初の授業から居ないとは、貴女もなかなかの不真面目ですね」
「放っておいて」
「生徒なので出来ません」
「そう言う理由で来ないで。それだから教師は嫌い」
「なら私は帰ります。皆さんを待たせていますからね」
扉が開く音がした後、バタンッと閉まる音がして、再び風の音に包まれる。
気配が背後で腰を下ろして、頭を撫でられる。
「触るな」
「何かしたか、今日はずっと怒ってるけど」
「別に」
「またそれか」
姫輝は頭を撫でるのをやめて、正座した太股の上に、私の頭を勝手に持ち上げて置く。
再び勝手に頭を撫で始めた姫輝は、優しい口調で喋る。
「ひとりは寂しいもんな、私が無神経だった。だから次からは……」
「今までもひとりだったから寂しくない。今更姫輝が居なくなったところで何も変わらない」
「そうか。私は寂しくなるな」
「あの子たちが居るでしょ。早く行ってあげれば、私なんて煙たくて重いだけ。ウタが居てくれれば良かった」
手を止めた姫輝は、横を向いている私の体を仰向けにして、真正面から向かい合わせる。
大きな金色の瞳にのぞき込まれて、ELIZAがフォルダの中に逃げ込む。
「私じゃ駄目か。確かに至らないかもしれない、傷付けてしまうかもしれないけど……」
「そんなんじゃない。こっちに問題があるから今は放っておいて」
「一度だけキスしてみないか?」
「しないから」
上体を起こしてから立ち上がり、日光の当たっている場所に移動する。
伸びをして空を見上げると、太陽が完全に姿を現す。
「一回だけ頼む」
背後から腰に腕を回して抱き着いてきた姫輝を振り解こうとしたが、programで身体強化と体格操作をしていない為、普通の少女の力では振り解けない。
それを知っている姫輝は、私の体を持ち上げて、効率的な抵抗を許さない。
身長の高い姫輝と同じ目線になって、地面から十五センチ程浮く。
「下ろして……って。お腹触るな」
制服の上からお腹をまさぐられて、耳の中に優しく息を吹きかけられる。
漏れそうになる声を手で抑えると、面白がる姫輝が髪を掻き分けて、舌先を耳に這わせる。
「楽しいな、一時間目はサボってこのまま続けるか?」
「嫌……キスしたら良いんでしょ、するから離して」
巻き付けられていた手が離されて、地面に足が着くと、振り返る暇も無くキスをされる。
首を殆ど九十度に捻って、殆ど見えない姫輝の顔を確認しようと頑張る。
五秒程のキスが終わると、姫輝は満足そうに笑顔をこちらに向ける。
「どうだった? 私の初めては」
「正面からじゃなかったのが不服……初めてなの?」
「まあな、そんなに意外か?」
「初めてなら真正面からの方が良かった」
姫輝の顔を見上げて、今度はこっちから行ってやろうと思ったが、背伸びしても明らかに足りない。
どう足掻いても敗北にしか辿り着かず、出来るだけ目付きを悪くして睨むしかない。
今にも飛び掛かりたくなる様な怒りを抑えて、笑顔のままの姫輝を見るが、睨まれていると言う認識では無く、見つめ合いと言う認識で見ている顔だ。
「可愛いな……」
「殴るぞ」
食い気味に言葉を被せると、姫輝は笑って屋上から走り出して、階段を全部抜かして飛び下りる。
それを真似して階段を全部抜かして飛び下りると、思いの外床が滑り、尻餅を着いてしまう。
「大丈夫か、痣になったら大変だ……」
心配して見に来た姫輝が、姿勢を低くした瞬間を狙って、首に腕を絡めてキスをする。
勢いに任せて舌を入れると、歯でガリッと舌を噛まれる。
「いにゃっ……ちょっと、ふざけるな馬鹿! 馬鹿! 関係解消、もう知らない」
「おい。待てって」
この場から逃げ出そうと走ったが、姫輝に手を掴まれて引き止められる。
再び尻餅を着いて、廊下に座り込む。
「離して下さい。人呼びますよ」
「馬鹿、唯でさえ騒ぎを起こしたのに。二度目は駄目だろ」
「この変態、人を騙して楽しいか。触るな馬鹿」
「暴れるなって、泣くなよ」
手を離した姫輝から逃げて、知らない教室の自動ドアを潜る。
友希那と同じく修道服を着た少女が、ピアノを弾いていた。
修道女は椅子から立ち上がると、細い指で涙を拭ってくれる。
「どうしたのですか? 良ければ私にお話してくれませんか?」
「後で聞いてもらうから、今はピアノを聞かせて」
修道女は優しい笑顔で頷くと、椅子に座って鍵盤に指を置く。
静かに演奏を始めると、ここでもウタが歌っていた子守唄を演奏する。
修道女は綺麗な声で、ピアノを引きながら自己紹介を始める。
「私の名前は聖妃奈子です。Phantom Princess本部で、貴女ではない御方の銃を弾いた人です」
「なら、貴女がウラノスの姪ですか。ウラノスとはどんな人物なのですか?」
演奏を止めた妃奈子は瞼を瞑って、髪につけていた蝶の髪飾りを外す。
それを受け取って光に当てると、ELIZAが角膜に文字を映し出す。
それを必死で新しいフォルダに押し込んだELIZAは、データに潜って解析を開始する。
「この髪飾りは、おじ様から貰ったもので、中に色々なデータが入っているのですが、Phantom Princessの解析でも不可能でした」
「可能性があるとしたら」
「そうですね。世界を混乱に陥れる研究でしょうか」
「世界を恨んで世界に見捨てられたウラノスの、世界を混乱で機能させなくする。考えただけでも」
二千二十二年に起こった大厄災、あの事件だけでも人は数億と死んだ。
経済は混乱して、失業者が爆発的に増えた。
混乱した経済はやがて回らなくなり、人の持っている物を寄越せと奪い合い、殺し合い、そして憎しみ合った。
世界に戦争を拡大させたそれは、未だに解決しておらず、首謀者も捕まっていない。
この事件を温いと言ったウラノスは、 世界から危険視された。
しかし、特に動きの無いのもあり、警戒は時と共に薄れて、ロシアのエージェントが片付けた事になっていた。
「学校が終わったら直ぐに日本に発ちます。きっと答えは見つかる筈です」
一時間目終了のチャイムが鳴り、妃奈子に手を引かれて教室を出る。
職員室の前で待つように言われて、大人しく待っていると、元エージェントの少年を連れたセレナが、デバイスの画面を教師に見せて、鞄を持って校舎の外に歩いて行く。
フォルダからELIZAが顔を出すと、職員室から妃奈子が出て来る。
「行きましょうか。今日は早退の申請を出しておきました」
校舎から外に出ようとすると、向かい側の廊下から友希那が歩いて来て、その後には姫輝が歩いている。
妃奈子の後ろに隠れて、姫輝から見えない様に歩く。
「あら、そんなに好いてくれたのですか?」
突然の妃奈子からの問い掛けに、何を聞かれたのかも理解せずに何度も頷く。
校舎から出ると、セレナと元エージェントが、ひとりの少女と向かい合っていた。
イライラしているのが遠目でも分かる程、セレナはイライラしている。
「退けって言ってるのが聞こえないの? 何で何時も着いてこようとするの」
近付いて行くと、徐々に言葉がはっきりと聞き取れるようになる。
「私もお姉ちゃんとお出掛けしたいから」
セレナと言い争っていたのは、ユージーンが守っていた五人組の少女の中のひとり、金髪の天然っぽい子だった。
「そう言うのがウザイって分からないの? あいつに連れてってもらえば」
「お姉ちゃん……」
歩き去るセレナを追おうとするが、少女は口籠もって背中を見送る。
妃奈子はそれを見て少女に話し掛ける。
「シンフォニアさん、何時かきっとお姉さんも分かってくれますからね」
「うん。何時も有難う」
シンフォニアと呼ばれた少女を優しく抱きしめた妃奈子は、シンフォニアを持ち上げてくるくると回る。
「妃奈子!」
セレナはシンフォニアと遊んでいる妃奈子を怒鳴る。
シンフォニアを抱いたまま止まった妃奈子は、しゅんと萎むようになる。
そっと地面にシンフォニアを下ろして、もう一度ハグをしてからセレナを追い掛ける。
それに続こうとすると、シンフォニアに引き止められる。
「貴女が編入した子ね。私は生徒会長のシンフォニア・ライオットよ」
「そう。私はアンジェリカ・レインワーズ」
「元エージェントの人が来てくれるなんて、色々と教えて……」
「私がエージェントだった事は誰にも言わないで。口が軽いと早死する」
「そうね、じゃあまた会いましょう」
スキップで隣を通り過ぎたシンフォニアは、姫輝にも同じ様に話し掛ける。
小走りで妃奈子に追い付いて、ASCを承認して学校の敷地外に出る。
学園の前の店の情報を指で消して、ELIZAが解読した文の一部を妃奈子に送る。
未だに二行しか解読出来ていない文は、進むにつれて難解になり、より高度な技術が記されているらしい。
ELIZAは感心し切って、早くウラノスの下に行こうと急かす。
人工知能として知識を蓄える事は本能で、それが喜びとなり一部となり、より主の役に立つものになる。
セレナと合流して、送られて来た文章を読んでいる妃奈子が、こちらを認めると手を掴まれる。
「少し左眼を見せて下さい」
「良いけど、長時間は困る」
じっと左眼を覗き込んだ妃奈子は、一瞬たりとも目を離さず、深淵を目の当たりにしたかの様に見入る。
赤い瞳に見つめられていると、自動programが展開して、フォルダからELIZAが弾き出される。
溢れ出す情報と画像が視界に散らかって、構築し直したフィルタを乱暴に壊して、音声が再生される。
Voice Onlyと表示された画面から、男性の声が流れる。
「あの歌には続きがある。私が歌ったのは一番だけで、お前が覚えているのも一番だけだ。遂に聖冬の歌を伝える時が来た。その歌を奏でて私の願いを叶えてくれ、世界に衝撃を与えろ。全てを踏み躙れ」
音声が終わると、ピアノの楽譜とギターのスコア、一番からの歌詞が映し出される。
隣に付属していた録音データを再生すると、女性の歌声が再生される。
ウタの子守唄と同じ歌詞で、同じ旋律を歌う女性の声は、妃奈子の声と非常に似ている。
聖冬と言う人物を調べると、何件もの人物がヒットする。
それを日本政府に登録されているものだけに絞り、更に聖妃奈子を辿って探し出す。
日本政府が国連で省かれない様に公開しているこの情報は、一定評価のある上位の人間であれば、誰にでも検索出来る。
「困りました、おじ様は私に大厄災よりも、大きな混乱を起こせと言っている事になりますね」
「projectの名前はSacred Song。この歌の作詞作曲は聖 聖冬。記録では無差別殺人の被害者、遺体は検体としてロシアに送られた」
「聖 聖冬は私のお母様のお姉さまでした。私が生まれる前にはもう死去していて見ることは叶いませんでしたが、おじ様はとても慕っていたと聞きました」
「全てをこの世の中に奪われたウラノスは、確実な方法で世界に復讐しようとしている?」
黙り込んでしまった妃奈子は、難しい顔をして何かを考えている。
何かに辿り着いた顔をした妃奈子だが、その顔は一向に晴れることは無い。
「Ikarugaを呼んだから、もう直ぐここに到着って言っている間に来た」
空を見上げたセレナは、最新の万能飛行機Ikarugaを確認して、誰かと通信を始める。
上空で停止してゆっくりと直線に降りて来た機体は、かなりの重武装になっている。
戦争で出るikarugaよりも多い銃火器を積み、日本が作り出した世界一の機動力を殺している様にも思える。
機内に乗り込むと、また違う少女が立っていた。
「有難う愛奈。言った通り日本に向かう事になったから」
「おじ様に会いに行くのですね」
全員乗り込んだ事を確認して、愛奈は入口を閉める。
大量のモニタと機械に囲まれた椅子に座った愛奈は、デバイスを操作して機体を動かす。




