メイドマフィア
車が止まる前に飛び下りて、ウラノスクイーンの住んでいる豪邸のドアを蹴破って、家の中の様子を確認する。
エントランスは散らかっていて、奥のグランドフロアには、大きな肉片が転がっている。
先程の傀儡を思い出して、グランドフロアの肉片に近付く。
不快な臭いを放つ肉片は、腐りかけで、明らかに生者のものではない。
ウラノスクイーンの部屋は最奥。
それを考えると、一階のフロアにドルトの部下は居ない。
二階から戦闘の音が聞こえる事から、その予測は確実に的中している。
追い付いたGz9と合流して、隣の部屋を抜けて階段を駆け上がる。
サプレッサーを外して、壁に向かって発砲する。
展開していたエコーロケーションが、二階フロアの構造をスキャンして、立体データに起こす。
途中で人型に反射した地点に、赤い点を置いてGz9にそれを送信する。
キンバーカスタムIIを手に持ったGz9は、廊下の右を確認して、自分は左を確認する。
ドルトの部下が居ない事を確認して、立体データを見ながらウラノスクイーンの部屋に向かう。
美術品ひとつ無い廊下は、豪華な邸宅とは思えない程質素な内装だ。
赤い点が近付くにつれ、戦闘音が徐々に大きくなってくる。
壁に背を着いて廊下の奥を確認すると、ウラノスクイーンの部屋のドアの前で、メイド服を着た女性が、アサルトライフルを構えて、石像の後ろに隠れるドルトの部下を撃つ。
背を向けているドルトの部下を撃って、ホルスターにスプリングフィールドを仕舞って、両手を上げて壁から出る。
「何方か御存知無いですけど。もうひとり隠れてますよね」
FN F2000を構えたままのメイドは、奥の手として隠れていたGz9に、出て来る様に促す。
同じくキンバーカスタムをホルスターに仕舞ってから出て来たGz9は、無表情でメイドを見つめる。
「随分と大きくなったな。マフィアだった時とは大違いだ」
メイドはFN F2000を下ろして、メッセージを送信してくる。
文面は、こちらに来てくださいと書いてある。
手を下げて歩いて行くと、メイドは丁寧に一礼する。
「ウラノスクイーンさん。おふたりの客人がいらっしゃいました」
「入れてくれ」
メイドはドアを開いて、部屋に入れてくれる。
広い部屋の奥で、ひとり椅子に座っているウラノスクイーンは、パソコンと向き合って作業をしている。
最後に入って来たメイドは、ウラノスクイーンに紅茶を淹れて、ティーカップを机に置く。
「報告に来たけど。要らなかったか?」
「そうでも無い。お前たちの顔が見れただけでも嬉しいぞ」
「本題に入る。命令通りドルトは消した、それを追求する者も居ない」
「追求する者は居らんだろうが、頭の悪いのが消しに来るぞ」
ウラノスクイーンが言うと、背後のドアが破られて、ドルト邸の時よりも大きな傀儡が突っ込んで来た。
Gz9と対象に避けて、すれ違う傀儡の足を撃つ。
ウラノスクイーンの机の前に素早く移動して、サーブスーパーショーティを両手に持ったメイドは、傀儡の膝から下を消し飛ばす。
コンパクトショットガンを捨てたメイドは、M134を床下の収納から出して、腹から下を穴だらけにして分断する。
上半身だけになっても動き続ける傀儡を、スプリングフィールドで撃ち続けても、火力が足りない。
「早く此処から出るぞ」
新手の覆面集団を足止めしているGz9は、フラッシュバンを廊下に投げて、ウラノスクイーンを抱えて部屋の窓から出る。
銃口を廊下に向けてM134を置いたメイドは、手を離しても撃ち続ける様にしてGz9の後に続く。
ウラノスクイーンのパソコン持って、火を着けてから窓の外に出る。
庭に生えていた木をクッションにして、地面に落下する。
枝が腕に刺さったのは誤算だったが、まだ覆面の集団は追い付いて来ていない。
庭の柵を飛び越えて、Gz9たちが乗った車の屋根に飛び乗る。
待機状態だった車は直ぐに起動して、僅か二秒で百五十キロに到達する。
公道を走っていると、後方から黒い車が追い掛けて来る。
覆面が窓から身を乗り出して構えたのは、弾頭に時限爆弾が付いているRPGだった。
「マジックヒューズのつもりか。Gz9、そのメイド銃持ってないか」
助手席の方の窓が開けられると、Dragunovをメイドから手渡される。
「撃ってきたぞ、 間に合わないな。はははっ」
陽気な声でそう言うウラノスクイーンは、遊園地のアトラクションの様に楽しんでいる。
コンカッショングレネードを投げて、ディストーションを張る。
撒き散った鉄片が、時限爆弾を先に爆発させて、連鎖で弾頭も爆発する。
「冗談じゃない。こんな手で何時までも乗り切れるか」
隙が出来た内にDragunovを構えて、助手席の男を狙撃する。
放たれた弾丸は男の顔スレスレを通過して、後ろの車のタイヤを貫く。
「下手だな」
「うむ下手だ」
「この近距離で外す人、初めて見ました」
「お前ら後で覚えとけよ」
Dragunovをメイドに返して、コルトガバメントを構える。
「どうでも良いけど。この先でオラリオンがテロリストと交戦してるらしいぞ」
「なら其処で全て潰そう。こんな所で下手に動いたら市民に被害が出る」
屋根から車内に入ると、Gz9は遠慮無く車を飛ばす。
テロ組織と交戦している地点に近付くにつれ、車が少なくなっていく。
左前方で地を揺らす程の轟音がすると、背の高いビルが崩壊を始める。
「このまま行ったら潰れるか、それともぎりぎりか」
「無事に行けるに命賭けた」
「私は死にたくないので下りさせて頂きま……」
「まて。お前は私のメイドだろう。御主人様を置いて何処に行くのだ」
地面に自由落下をし始める瓦礫の雨に、Gz9は笑みを浮かべながら突っ込む。
助手席のメイドは、後部座席のウラノスクイーンと言う人間シートベルトに押さえ付けられて、身動きが取れない。
その代わりにウラノスクイーンの小さな手を、ひと回り大きい手でぎゅっと握りしめる。
ビルだった物の影に入ると、本格的に恐怖が膨れ上がるが、今下りた所で、こいつらと死ぬかひとりで死ぬかの違いでしかない。
それなら少しでも生存率がある方を選んで、前だけを見てじっと座る。
轟音を響かせて落ちて来るビルを、スレスレで抜けると、後ろから追い掛けて来ていた車が、下敷きになって姿を消す。
Gz9は車を止めて、潰れた車の後部を蹴る。
「蹴って直るか馬鹿。今は目の前のオラリオンに加勢して来い」
煙草に火を着けたGz9は、スプリングフィールドをリロードして、気怠げに歩き出す。
Gz9の吸っている煙草を撃ち飛ばしたメイドは、笑顔でGz9のスーツから煙草とライターを没収する。
「体は子どもの主が居るので。煙草は控えてもらっても良いですか?」
「ストレス発散すら許されないのか。税払ってるんだから良いじゃないか」
「誰の体が子どもだ。私は悠久の時を生ける……」
「良いから黙ってろよ馬鹿共」
「字も読めねえ馬鹿に言われたくねえよ」
ウラノスクイーンとGz9が同時に言って、それを知らないメイドは、細かく瞬きをしてこっちを見る。
学のあるふたりと言い合いしても勝てる気がしない為、黙ってスプリングフィールドをリロードして、オラリオンの隊員が身を隠している瓦礫の後ろに行く。
付いて来たメイドは、担いでいたDragunovにバイポッドを着けて、姿勢を低くして構える。
「こちらGz9。こちらから確認出来たのは二十二人。一番手前のバスの後ろに八人その他はその後の瓦礫」
戦場を横から見ているGz9は、通信士として通信制限フィルタを抜けて、オラリオンの隊員とメイドに報告する。
「きちんと俺のELIZAのセキュリティ抜けろよ。通信士は無制限で繋げるんだろ」
「難解過ぎるんだよ。あ、今ウラノスクイーンが突破した」
突然目の前に、小さなウラノスクイーンが視界を埋め尽くす程出てくる。
角膜でチビウラノスの列に巻き込まれたELIZAは、画面の中を転がってフレームアウトする。
「どうだ、そんなセキュリティ如きで私を止めようなど……」
「唯のウイルスだろ。迷惑だこんな時に」
ELIZAが小銃を持って、チビウラノスを撃ちまくって消して行く。
撃たれては粒子になって消えて行くチビウラノスは、増殖する事もなく掃討される。
「な、何か小さいウラノス様が……ぁぁぁぁ」
下で混乱を始めたメイドは、誤射をしてバスを爆発させる。
一瞬にして八人のテロリストを葬ったが、本人は視界のウラノスに気を取られて、戦況確認どころではない。
「なんか緩くないか。こんな緩い戦場は初めてなのだが」
「私も殆ど見た事が無いくらい緩いな」
笑って答えたウラノスクイーンは、ウイルスを操作してメイドに嫌がらせを続ける。
Dragunovをウラノスクイーンに向けて、手に持っている携帯ゲームを撃ち抜く。
「うゃぁぁぁ! やっとカンストしたのだぞ!」
「直りました、ウラノス様が消えました」
耳元の騒がしい音と、足下の安堵の声に挟まれて、ここを家のリビングと錯覚しそうになる。
「おいM029。撃つ時は仕留める時だろ」
「上官仕留めたら上がうるさい。それに、まだ利用価値があるから仕留めない」
Gz9が持っている煙草を狙撃して、再び煙草を弾き落とす。
「煙草は吸うな。一利無しだぞ」
「意味分かってないけど言ってるだろ」
「五月蝿い。皆がそう言ってるから一利無い」
「なら帰ったら酒に付き合え」
Dragunovをメイドに返し、スプリングフィールドを構えて、爆発したバスの後ろに身を隠す。
気を取り直して対峙し合うと、倒れたビルの隣にある建物の屋上で、何かが光る。
「ウラノスクイーン狙われてるけど、この際死んでくれ」
言った後、屋上から人が落ちて、地面に落下する。
「どうだ、ウチには優秀なメイドが居るだろ?」
気弱なメイドだが、戦場での顔付きは凛々しいものに変わり、何処かから現れた多数のモニタに囲まれている。
「屋上なのに下からどうやって落としたんだ」
「特殊武装です」
そう言うと、隣に球体の鉄の塊が浮かんでいた。
カメラのレンズみたいな所を覗き込むと、中に機械が色々と内蔵されている。
「今M029さんの顔が映ってますよ」
特殊武装格差に、MI6の闇を見る。
「ついでに私のも見せてやろう」
物陰に隠れずに堂々と歩いて来るGz9だが、テロリストは誰ひとりとして撃たない。
それどころか、瓦礫の後ろに隠れていたテロリストが、全員悲鳴を上げて出て来る。
胸から血を出して一斉に倒れたテロリストは、そのまま動かなくなる。
「ASCとELIZAを使って幻を見せる。そしてASCを爆発させる事も出来る。ハッキング出来たらの話だがな」
再び海溝程段差のある格差を感じる。
そんな能力があるのならこっちに回して欲しかった。
近接戦闘では使えない壁よりも、敵を無効化して爆発させる方が、頗る楽だ。
「姐さん! 元気でしたかー!」
隊員のひとりがメイドに飛び付いて、メイドの周りを他の隊員を囲む。
メイドに飛び付いた少女は、こちらを一瞥すると、突然銃口を向けてくる。
「姐さん何で男なんて連れてるんですか。姐さんには私たちがいるじゃないですか」
「この御方はM029さんです。ブラッディクロノスと呼ばれている。ウラノス様を一緒に守ってくれたんです」
たった今送られて来たメッセージを開くと、差出人は匿名で、私だけの姐さんに何かしたら殺すと書いてある。
やってみろと送り返すと、少女はメッセージを見て引き金を引く。
ディストーションで弾丸を止めると、少女はナイフに切り替えて、斬りかかってくる。
一歩左にズレて突きをかわして、少女の顔を鷲掴みにして、膝裏を踵で折って地面に叩き付ける。
ナイフを取り上げて、メイドに手渡す。
「私の姐さんに、気安く触んな!」
脳震盪で暫くは立ち上がれない筈だが、想像以上の回復速度に虚を突かれる。
なんとか蹴りを腕で受けたが、回転してもう一撃浴びせようと伸びた足が、メイドの突きに相殺される。
「大人しくして下さい。私を困らせないで」
「は……はい」
「申し訳ありませんM029さん。ウチの狂犬が御迷惑を掛けまして」
「いや、これ位の方が期待出来る」
深々と頭を下げたメイドは、少女を睨んで、立ち上がるウラノスクイーンの服に付いた汚れを叩く。
気まずい空気に包まれると、自然に各々がそれぞれの場所に戻り始める。
自分も自分の家に向かうと、ウラノスクイーンとメイドが付いて来る。
「何か用か」
「私たちの家もこっちだ」
「お世話になります」
一旦立ち止まって、戦場を指差して声を上げて、全力で走り出す。
「あ、M029が逃げた」
「追い掛けます」
「そんな簡単に捕まるか」
「失礼致します」
追い付いたメイドに右腕を掴まれて、よく分からない捻り方をされて体が勝手に沈む。
左手を地面に着いて踏ん張って、メイドの腕を蹴り上げて払う。
左手で蹴り上げた足を掴んだメイドは、俺を地面に叩き付けて、ワイヤで拘束する。
programを解除して、小さくなった体で拘束を抜ける。
フラッシュバンを投げて視界を奪い、Compact Capsuleからワンピースを取り出す。
建物の陰に隠れて、スーツからワンピースに着替える。
カチューシャとスーツをCompact Capsuleに入れて、スプリングフィールドとコルトガバメントを、ワンピースの中に隠す。
前髪を整えて、変声Programを解除する。
ビルの間に走って入って来たメイドは、何かを小声で呟く。
大気に分散した音の振動を収束して拾い、ELIZAに解析させて音声にさせる。
「見失いました。目の前の女性に聞き込みを開始します」
意識を周囲に戻すと、いつの間にか目の前にメイドが立っていた。
浅く頭を下げたメイドは、隣を通り過ぎて、後ろに居た女性に話を聞き出した。
安堵の息を吐いて、直ぐに気を引き締め直す。
陰から出て、ELIZAが手配していた無人タクシーが前に止まって、ドアが自動で開く。
後部座席には既に先客が乗っており、後頭部に何かが突きつけられる。
大人しくウラノスクイーンの隣に座ると、Dragunovを構えたままのメイドに挟まれる。
メイドが窓を開けて、上空でホバリングしていた小型遠隔操作機を、Capsuleに収容する。
「連れないやつじゃな。部屋は余っておるんじゃから、ふたり増えただけでは大差ないだろう」
「家建ててやるからそっち行け」
「そうじゃな。皆でそちらに行こうか」
「お前たちだけだ。俺はあの景色が好きなんだ」
「ならばあれよりも高いのを建ててしまえばよかろう。恒河沙とか言う訳の分からん単位まで貯まっておるではないか」
人の口座の情報を勝手に表示したウラノスは、溜息を吐いて太股の上に頭を置く。
殆ど重さを感じない程軽いウラノスは、人の太股の上で、気持ち良さそうに寝息を立て始める。
「M029さんって、女装趣味があったのですか?」
ウラノスの頭を撫でているメイドは、ワンピースの裾をつまんで、端をひらひらと揺らす。
「趣味と言うか、本来はこっちなんだろうけど。一応生物学上は女だし」
「女なのですか? 私も無い方ですがM029は更に無いですね」
「何の話」
「起伏です」
どいつもこいつも胸の話ばかり、日本に行っても母国に居ても、するのは起伏の話ばかりでうんざりする。
そんなにこんな物が必要なのだろうか、起伏があろうがなかろうが、変わるのは邪魔か邪魔じゃないかくらいだと思う。
胸を潰す技術など研究されている訳も無く、あるのは晒など、手間のかかる物しかない。
その晒を外して、起伏がある事を証明する。
「どんどんバレるな、性別詐称が。無関係のメイドまで」
肩を落としていると、頭を優しく撫でられる。
「今更初めましてと言うのも何ですが、オラリオンの隊長、zweiです」
突然勢い良く起き上がったウラノスは、入って来た情報をELIZAで確認すると、険しい顔に変わる。
表みたいな物を確認する視線は、左右上下に動いた後、真ん中で止まって、大きく深い溜め息を吐く。
「如何されましたか?」
「カナダとポーランドとスペイン。そしてフランスが制府になった。経済にどう影響が出るか」
制府となった国は、必ず国内での貧富の差が出る。
一部の者は切り捨てられ、生活が保証される者は多くない。
そうなると、犯罪が爆発的に増加し、このイギリスにも良からぬ輩が入ってくる可能性もある。
唯でさえ多忙なMI6の諜報の仕事が四つも増えたのは、本格的なブラック組織に変貌しかねない。
殉職率の高い仕事にとって、諜報活動の範囲が広がって連携が薄くなるのは、死人が更に増える事になる。
情報が遅れた国に発展は無く、全てにおいて有利に進む事は無くなる。
更に言えば、滅ぶのは確実。
近年結果を出し続けているMI6は、王室から勲章を授与された事もあり、価値を上げた。
その反面、今回結果が出なければ、発言力は弱くなり、軍需部が確実に好機と見て吸収しようとする。
MI6が軍に吸収されると、エージェントは使い捨ての道具にされかねない。
元々身寄りのない者が多いMI6は、昔の様に大事にされてはいなかった。
その考えを改めさせたのがウラノスクイーンであり、野良犬の集まりを纏め上げて、ここまでの大きな組織にしたのも、ウラノスクイーンだった。
百年以上トップの座に着いているウラノスクイーンは、全エージェントの母と呼ばれる程評判が良い。
他国のエージェントも慕う者が多く、裏社会で有名な殺し屋でさえも、ウラノスクイーンの命を狙う者は居ない。
「俺が行こうかウラノスクイーン」
一応世話になっているのもあり、此処は危険な任を請けて、少し位不安を減らしてやっても良い。
そんな事を思っていると、ELIZAが白いボードに『優しいですね』と書いて、笑顔でボードを揺らす。
「別にそんなんじゃない。エージェントとして当然の仕事」
ELIZAを放っておいて、チラリとウラノスクイーンを見ると、目を瞑って深く考えている。
頭の中で莫大な量の情報を処理するウラノスクイーンは、瞼を開くと呟く。
「ドイツに行け」
「……分かった」
「司令はドイツに到着したら送る」
「……分かった」
てっきりフランスなどに送られるのかと思っていたが、制府ですらないドイツに送られるなど、誰が予想出来ようか。
無人タクシーが家の前で止まると、料金はきっちり俺の口座から支払われる。
タクシーから下りて、ふたつのセキュリティを通過して、エレベーターに乗る。
百階に着いたエレベーターは、ゆっくりと扉を開く。
扉の奥で待ち構えていた男は、手に持っていた銃を連射する。
いつも通りディストーションが展開して、全ての弾丸を防ぎ切る。
コンカッショングレネードが足下に投げられ、ディストーションを貫通してウラノスクイーンに襲い掛かる。
ウラノスクイーンを庇って覆い被さるが、メイドがその前に立って全て受ける。
「zwei!」
駆け寄ろうとするウラノスクイーンを引き止めて、エレベーターを一階に向かわせる。
ELIZAに救急隊を呼ばせて、ぐちゃぐちゃになったメイドを抱えているウラノスクイーンに、行き先をタイトの病院に設定したタクシーの情報を渡す。
「早く行け、死ぬぞ。ELIZAがASCの反応をあと八つ感知した、止めておくから行け。絶対に死なせるなよ」
「ひとりで大丈……」
「優先順位を考えろ。俺は一番底辺だろ」
何か言いたげな顔をしていたが、振り切ってメイドを引き摺って運び出す。
家のデバイスに送信したメッセージを見て、階段で駆け下りて来た姫輝が、ベレッタを持ってメイドを抱え上げる。
「頼んだ姫輝」
「任された。行くぞウラノス」
百階のボタンを押して、スプリングフィールドを準備する。
大きく息を吸って、短く全て吐き切る。
気合の入った体は、常に緊張感に包まれて、SixSenseまでもが研ぎ澄まされる。
別れる前に頷いて、信頼して送り出してくれた姫輝の顔を思い出して、緊張し過ぎた体と気持ちを解す。
Light a fireと心の中で唱え続ける。
サプレッサーを着けて、コルトガバメントも待機状態にする。
準備が終わったと同時に百階に到着すると、再び男が連射する。
先程と同じくディストーションを張って、全て防ぎ切った後、同じ様にコンカッショングレネードを投げられる。
「プロに同じ手は無いだろ」
ディストーションを前方にスライドさせて、炸裂直前のコンカッショングレネードを、男の足下に返す。
ディストーションを体の前に戻すと、炸裂したコンカッショングレネードから、数多の鉄片が飛び散り、男を八つ裂きにする。
エレベーターの扉を開けるボタンにテープを貼って、扉が閉じないようにする。
これでエレベーターは使用出来なくなり、運悪く巻き添えになる人間は来ない。
炸裂音で暗殺者の場所を探知していたELIZAは、フロアのマップに赤いマーカーを置く。
マーカーに向かって廊下を走っていると、小さな男の子が通路から出てくる。
「此処は危な……」
拳銃をこちらに向けた少年は、笑顔で引き金を引く。
ディストーションが間に合わなかった為、弾丸が頬を掠める。
御礼に廊下の硝子に叩き付けて、腹に蹴りを入れて気絶させる。
「子どもを使うなんて……制府の仕業でしょうか」
「分からない。言えるのは狙われているという事だけ」
「今の発砲音でエコーロケーションをもう一度使いました。ふたりがこちらに向かって来ています」
片方の暗殺者の方に走り、後ろから来る暗殺者との距離を離す。
「来ます」
「分かった」
前方にスーツの男と、血を流して倒れている少女が居た。
スーツの男はこちらを認めると逃走し、少女の血はどんどん広がっていく。
罠とも疑ったが、実際に無理強いさせられて囮にされた少女を、仰向けにする。
予想通り少女の下から飛び出した対人地雷を、思い切り蹴り飛ばして、硝子を破ってマンションの外に出す。
少女の傷口の血を止めて、先程の少年の隣に寝かせる。
「まだ意識はあるな。しっかりしろ、助けてやる。だから待ってろ」
「ありがと……お姉ちゃん」
少女の頭を優しく撫でるが、痛いと言われたのでやめる。
撫でるのも案外難しいなと、慣れない事はウラノスクイーンで練習しようと決める。
その為には今此処で死ななければならない、臆病になった体と心には死んでもらう。
人の情すら捨てて信じた者に尽くせ、かの生物学者の言葉を思い出して、それに近付けるように頑張る。
後ろから迫って来ていた男を、少女がもうひとつ持っていた対人地雷で片付ける。
飛んで来た破片にびっくりした少女は、虚空で止まっている鉄片を見て、目を丸くして停止する。
「全員建物から離脱しました。逃げられた様です」
少女と少年を自分の家の中に運んで、ELIZAの治療programで、傷を完全に治す。
「後免なさい……真っ白な御洋服を、私の血で汚してしまいました」
「どこか痛いのか。泣くなって、泣かれたらどうしたら良いか」
大きな瞳から涙を流し始めた少女は、赤黒く染まったワンピースを小さな手で掴んで、涙で手を濡らして、血を取ろうとする。
「おい、血は触るな。服ならまた買いに行くから大丈夫だ。それよりも傷の具合は」
洗面所まで抱き上げて、手に付いた血を洗わせながら聞くと、少女は大丈夫と大きな声で言う。
これだけ動かしても大丈夫なら、もう心配無い。
ASCのデータを共有したELIZAは、名前と年齢などを表示する。
「エリサって名前か。あの男の子は知り合いか」
「知らない子だよ。私はあの黒いやつをお姉ちゃんたちにぶつければ、御褒美が沢山貰えるって言われたからやったの」
もしこれが制府の陰謀なら、ウラノスクイーンを消す理由が分からない。
何か重大な情報を握られたのかもしれないし、それ以外の誰かが、目障りに思って消そうとしているのかもしれない。
残念ながら良くない頭では理解することが出来ず、考えるだけ時間の無駄になる。
血を洗い落とした少女は、リビングに走って行き、ソファーに飛び込む。
「危ないからあまりするなよ。何時か怪我する」
寝室から目を擦りながら姿を表した少年は、目が合うと壁に隠れてしまう。
「おい、出て来い」
「聞き方が怖いんですよ。分かってませんねM029さんは」
やれやれと言わんばかりに首を振ったELIZAは、溜め息を吐いてイラッとくる様に言う。
「お姉さんは悪い人じゃないから、安心してこっちに来て」
「既に怪しい」
「調子に乗るな」
「ベイルアウト!」
そう言ってフォルダの中に逃げたELIZAを放っておいて、此方から寝室に入る。
部屋の隅で蹲っている少年は、脅えた表情で俺を見上げる。
少年の前にしゃがんで、目線を合わせてみる。
「あんたも僕を人殺しに使うんだろ。僕はもう嫌なんだ、お前たち大人はいつも自分勝手なんだ!」
「生物学上大人じゃないし。お前を使うより自分で行った方が確実だ」
寝室に入って来たエリサは、俺の肩に短い腕を回して、Ride Onして遊ぶ。
少年は反応を見せる事無く、唯黙って蹲っている。
諦めてキッチンに行って、姫輝が買っていた食材を出して、ボルシチを作る。
「美味しそー!」
エリサはキッチンからいつの間にかスプーンを持ち出していて、椅子に座ってボルシチを待つ。
皿に盛ったボルシチを持って行くと、エリサは早速手をつけ始める。
寝室の少年の前にボルシチの入った皿とスプーンを置いて、エリサの下に戻ると、机に突っ伏していた。
「どうした」
「……不味い」
「……そうか」
「……」
エリサが持っていたスプーンで、ボルシチを掬って食べてみる。
口に入った瞬間、鉄の様な味がして、その後に喉が可笑しくなりそうな程の甘みが襲って来る。
頑張って胃袋に流し込んで、キッチンに戻って反省を始める。
何がいけないのかも分からない状況で、反省していても意味が無い為、姫輝が戻って来るのを待つ。
エリサをベッドに寝かせて、相変わらず蹲っている少年の隣に座る。
「こっち来るなよ」
「俺も端っこが好きだ」
「別に僕は好きな訳じゃない」
「嫌でも乗れよ」
少年が持っていたコルトデルタエリートを床に置くと、目を塞いで見ない様にする。
「アメリカから送られた暗殺者だな、お前たち八人は」
再び黙秘する少年は、心を閉ざす様に、膝に顔を埋める。
「ボルシチ冷めない内に食べろよ。お勧めはしない」
最近は少しずつ姫輝の口調の真似を挑戦しているが、かなり難しい。
声の起伏や言葉遣いは、なかなか直るものでもない。
ユージーンから通信が入り、角膜に承認と拒否の文字が浮かぶ。
承認を選択して、通信を繋ぐ。
「良かった出てくれて。ウラノスクイーンは大丈夫なんだよな、オラリオンの隊長もやられたって聞いたし、今MI6に入った情報で……」
「五月蝿い。MI6に入った情報だけで良い。その前の質問には答えない」
コルトデルタエリートを持って、寝室から出る。
キッチンに座り込んで、出来るだけ声が聞こえないようにする。
「今入った情報で。日本の艦隊がイギリス軍港に到着した。ウラノスクイーンに会いに来たみたいなんだけど、待たせてしまってるんだ」
「分かった。頑張れ」
通信を切って、キッチンから立ち上がって、エリサを抱き上げて、少年の腕を引いて家を出る。
「何すんだ、僕は……」
「黙ってろ。お前を救った恩人が危機なんだ」
「そんなの知るか、助けてなんてひと言も」
「調子に乗るな子どもが。そう言う事は実力をつけてから言え」
黙り込んだ少年は、悔しそうに唇を噛んでいるが、そんなものに構っている暇は無い。
無人タクシーを拾って、タイトの病院に向かう。