少女ライラ[2]
その日、羊飼いと広場の噴水前で別れた後子供達は各々に自分の家へと戻ったが、ライラの場合戻る場所は診療所であった。中に入ると待合室は空っぽで奥に父親の姿もなかった。ライラはいつもの場所にカバンを置くと、待合室の水槽の前まで行った。中には数匹の小魚が入れてあった。しばらくそこでじっとしていると、背後に人の気配を感じた。ライラは父親かと思い駆け寄ろうとしたが、ふと思いとどまった。村長のいった狼という言葉が忘れられなかったからだ。
ライラは、おそるおそるあとずさると裏口から外へ出て表に回った。中を覗くと、さっきの場所にいたのは一人の少年だった。
「何してるの?」
声をかけると少年は振り返り、ニコッと笑ってポケットの中を弄って何か取り出した。少年が取り出したものは何やら赤い花であった。花弁が薄透明色で光に当てるとガラスのような輝きを見せた。
「ライラちゃんに見せてあげようと思って」
「何?」
ライラは少年の手の中にあるものを覗き込んだ。
「何なのこれ?」
「ムラサキカグヤだよ」
そう言って少年は、持っていた花をライラに差し出した。ライラはそれを受け取って、少し困惑した表情を浮かべた。
「どこにあったの?」
「内緒だよ、でも今度きっと連れて行ってあげる」
ライラはしばらくその花を調べた後、どうやら本物であると信じた。そして、もらった花は診療所の花瓶にほかの花と一緒にさした。
「一輪だとそうでもないけど、僕が見たのはムラサキカグヤの花畑でそれはそれは綺麗だったよ」
少年はライラを前に自分の見た光景を詳しく言い聞かせた。ライラは少年から受け取った花を丁寧に観察しあまりの美しさに目を奪われ続けていた。
「実は話はそれだけじゃないんだ」
少年は今度はポケットから別のものを取り出した。宝石で装飾された短剣のようだった。
「何なの?」
ライラはどういう意味で少年がそんな物騒なものを取り出したのかがわからなかった。
「確かそれは、私に前に見せてくれたおじいさんの形見の短剣よね?」
少年は短剣の鞘を抜き、刃先を彼女に見せた。短剣は室内照明を反射して鋭く輝き、少年の顔が映りこむほどピカピカであった。
「僕が君を守るよ」
少年はそう言って、短剣を鞘に収めた。
「どこにいたって僕が助けに行くから狼を怖がらなくていいよ」
「狼って今日長老様が言ってた?」
「うん、ロゼちゃんを食べちゃった悪い狼」
少年は短剣をポケットにしまうとソファに腰を下ろした。ライラは少年の言葉に幾つか疑問を持っていて何から訊こうか考えあぐねていたが、その前に少年の方でまた口を開いた。
「ロゼちゃんは守れなかったけど、今度は守る。とっておきの秘策があるんだ」
「あなた、本当にあの話を信じてるの?」
「もちろん、ロゼちゃん僕に狼のこと話してたもの。長老様だって嘘つくわけないし」
ライラはロゼとそれほど親しくなかったが、少年といっしょにいるのを何度か見かけたことがあった。彼女は急にいなくなってしまったが、狼に食べられたとは未だ信じていなかった。それで少年の言うことはなんだかいまいちピンとこなかったが直接言いだすのは憚られた。
「僕これから、ロゼちゃんのお兄さんに会いに行かなくちゃいけないんだけど、ライラちゃんも来る?」
少年はソファから立ち上がってそう言った。
「もしかしたらムラサキカグヤの花畑まで連れて行ってあげられるかもしれないよ」
ライラは質問に答える前に時計に目をやった。
「あんまり遅いとママに怒られるわ」
「ムラサキカグヤだってずっと咲いてるとは限らないんだよ」
ライラは少し迷ったがようやく結論を出した。
「わかったわ、パパに置手紙をしてくるから少し待ってて。私だってこの花が咲いているところを一度見てみたいもの」
「それじゃあ、僕は表にいるから」
少年は、そういうと表のドアから姿を消した。