排除
「待って、戸山君。まだ小深山君の能力についての話が済んでないよ」
今まで押し黙っていた七原が、不意に、そう言った。
「確かにそうだな。すっかり忘れてたよ」
「おい、戸山。忘れてたのかよ。忘れんなよ」
小深山が非難の声を上げる。
小深山が、さりげなく口を挟んできたのは、話しづらそうにしている七原への配慮でもあるのだろう。やはりモテる男は違うのである。
「……まあ、小深山の能力は、たいした問題にならないだろうからな。さっきの話でもあったように、小深山の能力は洗脳によって生み出されたものだ。自身の意志じゃない分、排除は簡単だと思う――」
「そうか。じゃあ、すぐに排除してくれ」
「そんなに焦るなよ、小深山。話は最後まで聞いてくれ――排除には、能力者本人が能力を捨てる意志ってのが必要なんだ」
「意志はあるよ。そんなもん、必要ない」
「いや、そんな漠然としたものじゃ駄目なんだ。自分の能力と、それを生み出した原因を、しっかり理解できていて始めて、本当の意味で捨てる意志を持つ事が出来るんだ。適当で済む話では無いんだよ」
「そうなのか……やっぱり、戸山の話は面倒だな」
小深山は他人事のように言う。
無理も無い。思い出せない記憶がいくつもある所為で、ピンと来ていないのだ。
「自分の能力については、はっきりと思い出したのか?」
「ああ。司崎を襲っていた記憶なら、戻ってきたよ」
「じゃあ、あとは能力を生み出した原因だな」
「そうだな……戸山は何が原因だと思ってるんだ?」
『俺に聞かず、洗脳した兄に聞けよ』と思うが、兄を問い詰めるのは気が引けるのだろう。
俺は仕方なく、自分の考えを話す事にした。
「小深山が何故、能力を得たかってのは、俺にとっても難問だったよ。小深山は容姿が良くて、何でも出来て、コミュ力もある。そんな奴が、トラウマなんて抱えるだろうか、って」
「『だった』って事は、もう分かってるのか?」
「ああ」
「じゃあ、教えてくれ」
「そうだな――小深山の人生における一番のトラウマは……失恋だよ」
俺は勿体振りながら、そう言った。
それで、小深山兄の様子を窺っていたのだ。
小深山兄は天井を見つめるだけで反応は示していない――おそらく、これで正解という事なのだろう。
「失恋か……そうだな。俺も結構、失恋はしてるよ。いつも、こんなつもりじゃなかったって感じになるんだよな。それで派手に喧嘩して別れるんだ」
「いや、俺がしてるのは、逢野芽以さんの時の失恋の話だよ」
小深山は驚いて目を白黒させるが、すぐに合点がいったという顔になる。
「……なるほど。その事か」
「洗脳された時の記憶が戻ったのか?」
「ああ。思い出したよ――俺は最近、兄貴と芽以さんの話をしたんだ」
「どういう話だ?」
「兄貴に話を聞いて貰ったんだよ。むかしの失恋の話をな――俺の初恋の相手は幼馴染みの逢野芽以さんだった。芽以さんは俺より三歳年上で、俺が思春期を迎えた頃、芽以さんは大人に近づき、どんどん綺麗になっていっていた。彼女には本当に真剣に憧れてたよ。だけど、芽以さんは、いつだって兄貴を見つめていたんだ。芽以さんに兄貴の話を聞くと、兄貴は頭の回転が速くて、喋ってて楽しいと言っていた。それを聞いた俺は、ずーっと、もどかしい気持ちだった。兄貴に追いつきたい……そう思ってたんだ」
「そうか……青星さんは、その感情を利用したんだな」
小深山兄は洗脳によって、その感情を何倍もに膨れあがらせたのだ。
それが能力となり、形を現したのが、あの思考の高速化である。
そりゃあ小深山兄も天井をただ見上げるしかないよな、と思う。
自分がやってしまった事を、物凄く悔いているのだろう……まあ、兄弟の和解とかは後でやってもらおう。
今は排除の方を優先しないといけない。
そんな事を考えていると――
「戸山、能力ってものは本当に面倒だな……芽以さんに憧れてたってのは一生隠しておくつもりだったんだよ……だって、恥ずかしいだろ」
小深山は、そんな風に言って、爽やかに笑う。
全てを知った上でも、兄に悪感情を抱いていないようだ。
小深山がこれならば、心配する必要は無さそうだ。
「よし、兄弟揃って排除するぞ」
これで、やっと終わりだ――
「ねえ、戸山君。ちょっと待って」
再び七原が声を上げた。
「まだ、何かあるのか?」
「そう言えば、今日、いつものバットを持ってきてないよね」
「そうだな」
「どうするの? あれがないと、排除できないんじゃない?」
「いや、別に無くてもいいよ。代わりの物を調達すればいい」
「え? ……代わりとかでいいの?」
「あのバットは俺の力を最大限に発揮させるものなんだ。今回のケースでは、七原や委員長ほどに能力への未練が無い。代用品でも十分だ」
「そうなの? そんなに緩いルールなの?」」
「能力を遠くに飛ばすイメージさえ出来れば、それでいいんだ」
今回の小深山の騒動は双子に伝えていない。
元から代用品で済まつもりだったのである。
「じゃあ、何を使うの? 手?」
「手でケツを叩けって言うのか?」
「お尻を叩くのは絶対なのね?」
「そうだよ。それだけは避けられないんだ。だから出来るなら、手でやるという選択肢は外したい」
「そうだね。私もそれは止めて欲しい」
「だろ? だから、バットに変わる何かが必要なんだ」
俺は視線を小深山の方に向けた。
「なあ、小深山。今の話、聞いてただろ? 何か丁度いい物は無いか?」
「ああ、探してみるよ……」
小深山は首を捻りながら部屋を出て行き、色々な物を掻き集めて戻ってきた。
「戸山。これとか、どうだ?」
「何だよ、これ」
「アイアンだよ」
確かに小深山が持っているのはゴルフクラブのアイアンだった。
「小深山、話を聞いてたか? ケツを叩くんだぞ」
「ドライバーよりはマシかな……と」
「似たようなもんだろ」
「遠くに飛ばすって言ってただろ」
「そこだけ聞くなよ」
さすがに危険――ってか、事件だろ。ゴルフクラブでケツを叩いたら。
「小深山、もっとちゃんと説明しておくべきだったな。排除の際には、それでケツを叩かなくちゃならない。それを考慮してくれ」
「じゃあ、フェアウェイウッドもパターも無しだな」
「なんで、ゴルフクラブばっかり持って来たんだよ!」
わかったわかったという感じで小深山は頷く。
「じゃあ、これなら大丈夫だろ?」
「これは何だ?」
「ラップの芯だよ」
「無しだよ」
「何でだよ?」
「悪い。これも説明不足だったな。能力の排除は一種の儀式的なものだ。これで能力を排除するのだという説得力があるものにしてくれ。さすがにラップの芯で、能力を排除するというイメージは出来ない」
「長さが足りないなら、ガムテープもあるぞ」
「長さの話はしてねえよ!」
じゃあ、バットに説得力があるのかと聞かれれば、答えに詰まるところだが、楓に勧められたものだという事が背中を押してくれるのである。
どうしようか……。
この近くにスポーツ用品店があったはずだ。そこにプラスチックのバットがあるだろうか……。
そう考えている間も、小深山は諦めていないようで、部屋中を探し続けている。
「おい戸山、いいものを見つけたぞ。これならどうだ?」
小深山は『しゃもじ』を握りしめていた。
「有り得ない」
なんで、よりにもよって『しゃもじ』なんだよ!
「だけど、これは神社で買ってきた神聖なものなんだぞ」
「は?」
……たしかに、よく見てみれば、その木製のしゃもじには筆字で家内安全と認められていた。
七原が眉間に皺を寄せながら、「確かに神社で買ったものなら、それなりの説得力があると言えなくもない……のかな?」と呟いた。
「失敗したっていいだろ? とりあえず、やってみればいい。兄貴が、こんなに辛そうなんだ。早く何とかしてやりたいだろ」
「……わかったよ。やってみるよ」
――こうして、真面目な顔をして、男のケツをしゃもじで叩くという、変態界の中でも相当な異端児が誕生してしまったのである。




