朝の教室
いつもより少し早く、俺は教室に到着した。
七原が言った通りに藤堂が動いているかは分からないが、それはどちらでもいい。
俺のやるべき事は、朝一で守川に『藤堂の口車に乗るな』と言うだけだ。
それで話は済む。
簡単なお仕事だ。
教室を見渡すと、今朝は普段と様子が違っている事に気がついた。
具体的に言うなら、毎日のように七原を占有して離さない藤堂がいないのである。
その代りに、七原の席の周りには人だかりが出来ている。
普段は七原と喋れないクラスメート達が、ここぞとばかりに七原にすり寄っていき、嬉々とした声を上げている。
七原の人気の証明だ。
だが、その中心にいる七原は浮かない顔である。
その原因は勿論、藤堂が居ない為と、それにプラスして、守川の姿も見えない為だろう。
窓側の列の一番前、守川の席は空っぽである。
もう、それ程時間が経たない内にチャイムが鳴る。守川なら登校してきてるはずの時間だ。
つまり、七原の言った通りになったという事だ。守川は今まさに七原に告白をするように説得されているに違いない。
まあ、それでも俺がすべき事は変わらない。
守川が告白を実行するまでの間に、守川を止めればいいのだ。
――そこへ教室前方の扉が勢いよく開く音がした。
守川が、早足で教室に入って来る。
そして、自分の席へ向かうかと思えば、早々に身体の向きを90度変えた。
制止する間もなく、俺の横を通り過ぎていく。
その顔は緊張しているのか、強張っているようだ。
守川は七原の周囲の人だかりへと強引に、その巨体を押し込んだ。
守川が何をしようとしているかは明らかだった。
想定外だ。
藤堂がこんなにも早く実行に移させるなんて。
俺達が動く暇もないなんて。
七原の顔から血の気が引いていった。
そして、その更に後ろ、教室後方の扉の前では、藤堂と子分二人がニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。
七原は慌てた様子で口を開いた。
「ちょっとま――」
七原は『ちょっと待って』と言おうとしたのだろうが、守川のバカデカい声が七原の言葉を遮る。
「ナナ! オレはお前の事が好きだ。オレと付き合ってくれ」
教室が固まった。
固まっていないのは藤堂達だけだ。藤堂達は吹き出しそうになりながら、笑いを噛み殺している。
そんな中、事態を理解したのか、徐々に周囲から冷笑が聞こえてくる。
『お前が七原さんに告白かよ』
『身の程を知らなすぎだろ』
『バカすぎて、こっちが恥ずかしくなるわ』
心の声が聞こえてなくても、そういう言葉が聞こえてきそうだった。
教室という空間において、俺や守川みたいな嫌われ者は人気者に話しかけるだけでも許されない。
それなのに、守川は告白なんてものをしてしまったのだ。当然の事である。
……しかし、朝の教室で告白なんて考えてもみなかった。
やはり藤堂のやり方は一味も二味も違う。
考えてみれば、朝の教室での告白は、嫌がらせとしては合理的なのだ。
朝はクラスメートが揃っていて、注目が集まりやすい。
更に、この事が一日中クラスで話題になる。そうすれば七原の精神的ダメージも大きくなる。七原をやり込めるには最適の時間と場所だったのかもしれない。
「ナナ。答えを聞かせてくれ」
守川が返事を催促した。
七原は困り果てた様子だ。
クラスメート達の中で、いっそう守川への怒りが高まっていくのが目に見えて分かった。
この事態は、守川が藤堂にそそのかされて、後先考えない行動をした結果だ。
守川の自業自得以外の何ものでもない。
だが、七原は自分を責めているだろう。能力を持つ自分は、それを未然に防げるはずだった、と。
そして、七原はまだ最善の道を探しているはずだ。
守川を傷つけないようにするには、どうしたらいいだろうか?
今後、教室内での守川の立場が悪くなってしまわないようにするにはどうすればいいだろうか?
そんな風に必死に答えを出そうとしているのだろう。
七原は口を開きかけては閉じ、そして、また開く。
だが結局、何も答えられず固まったままだった。
そこへチャイムの音が鳴り響いた。
「ナナ、答えは?」
守川は空気を読まずに更に答えを促した。
「い、今は答えられない。少しだけ……待って下さい」
いつだって完璧だった七原が辿々しく返答する。
そんな七原を、藤堂達は嘲るように笑っていた。




