覆面
「能力者が出たのか?」
「そうなんだ。最近な、繁華街の方で夜に覆面の男が現れているらしいんだよ。そいつは真っ黒な目出し帽にスノーボードに使うようなゴーグルと手袋という異様な格好で、人を襲ってるんだ。それで物凄く強いらしい」
「物凄く強い?」
「そうだ。その覆面の男は昨日も、たった一人で四、五人の男を相手にし、打ち負かしたらしいんだ」
「何だよ、それ。そんな話は知らないぞ。そんな話があったら、一気に広まりそうなもんだろ」
一昨日の夕方に、この街の人々のSNSを念入りに見たが、そんな情報は無かった。
昨日もさらっとではあるが、一応目を通しておいたのだが。
「噂が出回るのは、これからだろう。最初に現れたのは一昨日だからな」
「そうなのか」
「ああ……黙っていようかとも思ったんだけど、いずれ戸山の耳にも入るだろうと思って伝えに来た」
「何で黙っていようと?」
「この案件は危険すぎるんだ」
「どういうことだ」
「覆面に襲われた被害者ってのが……堅気じゃないというか……法律スレスレの悪辣なやり口で稼いでいる連中らしいんだ。暴走族の元ヘッドとか、どこぞの用心棒とか、いずれも、この街で悪名を馳せている。喧嘩慣れしていて、汚いやり方にも躊躇いがない」
「そんな連中をたった一人で相手したなんて考えられない事だな」
「ああ。だから、この話を聞いた時、ピンと来たんだよ。これは能力者の話だなって」
「なるほどな」
「まだ、この『覆面』の噂が広まっていないのも、被害者がそういう連中だからだよ。被害者側が事実を隠しているんだ。自分たちが派手に負けた事が知れれば、彼らの威信に関わる。だから水面下で『覆面』を見つけ出し、始末しようと思ってるんだろう」
「始末って」
「始末は始末だ」
遠田が低い声で言う。
……遠田が恐い。
「不思議なんだが、そんな情報が何故遠田の耳に入って来たんだ? CSFCか?」
CSFCとはカラフル・サウンド・ファン・クラブの略称で、彩る音のファンクラブという意味……つまり遠田彩音のファンクラブの事である。CSFCのメンバーは何故か匿名で、何故か情報収集に長けているという、とにかくおかしな組織である。
「CSFCなわけがないだろ。彼女達は関係ない」
「じゃあ、情報源は? その襲われた連中の内部の奴か?」
「いや、違うよ。わたしは、そんな奴とは関わってない」
「じゃあ、どうして?」
「連中が隠していると言っても、やっぱり人を探す時には、誰かに聞かないといけないだろ? 『覆面にゴーグルのイカれた奴を知らないか?』って具合にな」
「なるほど」
「そうしていくらかは情報が出回る。それを聞きつけた奴がわたしに教えてくれたんだ。ちなみに、そういう奴がSNSに情報を流すなんて事はない。そうしたら連中の面子を潰す事になるからな……でも、その内、誰が言ったか分からないような噂となって広まる事になるんだろうがな」
「そいつの情報は本当に信用できるものなのか?」
「信用できるかどうかは分からないが。嘘をつくような奴じゃない……悪いけど、ここまでしか言えない。この事に関しては出来ればそっとしておいてくれ。話さないといけない場面が来たら話すから」
「わかったよ……」
遠田の真剣な眼差しを見ると、無理に聞き出そうとも思えなかった。
それにしても、覆面の男か……。
「覆面にゴーグル、手袋……ということは、肌を見せられないって事なのかな。能力を使う過程で体に何らかの変化が起きる。もしくは既に変化していて、人に見せられるようなものじゃなくなってるとか……被害者に話を聞けないかな?」
「他の方法を探すべきだ」
「……だよな」
「戸山が能力者について調べるってのは仕方ない。それを止める事が出来ないのは分かってるよ。ただし、この件の被害者連中には絶対に関わるな。それを言いたいが為に、わたしはここに来たんだ」
「わかったよ。不用意に近付かないようにする」
「そうか。わかってくれたか。ありがとう」
「いや、こっちこそ。能力者関連の事は一分一秒が勝敗を分けたりする。その点で、早めに知れた事は物凄く有り難い」
「そうか」
「遠田、いくつか聞いていいか?」
「ああ、答えられる事なら答えるよ」
「その覆面に心当たりは?」
「ない。というか、言っておくけど、わたしは襲われた連中と知り合いじゃないからな。ただ、一つ言えるのは、その連中に恨みを持っている人間は沢山いる。容疑者もいくらでもいるって事だ」
「じゃあ、もう一つだけいいか?」
「ああ」
「昨日、覆面が出たのは何時頃の話だ?」
「昨日は11時前くらいだと聞いている」
「そうか」
「もう終わりでいいか?」
「ああ。聞きたい事が出来たら、また聞くよ」
「わかった。じゃあ、わたしは行くからな」
そう言って遠田はドアの方向を指差す。
「もう行くのか?」
「ああ。わたしなりに調べてみようと思って」
「そうか。遠田も注意しろよ。あとCSFCは――」
「わかってる。彼女達は使わない。この件は危険すぎるからな。戸山こそ、七原さんを危険な目に合わせるなよ」
「わかってるよ」
すると、遠田は満足そうに頷く。
そして踵を返し、「じゃあな」と言って部室を出て行った。
いつもの事だが、去り際が男前すぎる。
「遠田さんって何者なのかな」
「そうだな。なんなんだろうな。まあ、いつか話してくれるさ……それよりも、重要なのはこの件が11時前に繁華街での犯行と言う事だ。小深山は10時まではサッカーを見ていたと言い、その時間から何をしていたかを聞かれると、言い淀んでいた」
「そうね……こうなって来ると、小深山君が怪しいと言わざるを得ないよね」
七原は苦々しい顔で頷いた。
「じっくり考えてみよう」
「そうだね」
「小深山がどうして言い淀んだか……これには三つのパターンが考えられる。一つ目は、小深山が『覆面』で、言い淀んだのは咄嗟に誤魔化す事が出来なかったというパターンだ」
「二つ目は?」
「小深山は『覆面』ではなく、あの時は言い淀んだように聞こえただけで、それほど深い意味は無かったってパターンだ」
「じゃあ三つ目は?」
「小深山は『覆面』ではあるが、その時間の記憶を失っていたというパターンだ。何をしていたか思い出せなかったから、戸惑って言い淀んだんだ」
「小深山君が昨夜から今朝までの間に記憶喪失になったって言うの?」
「そうだよ。俺が推すのは、その三つ目のパターンだ。小深山は頭の回転が速い。咄嗟と言えども、簡単に誤魔化してしまえるだろう」
「でも、何で記憶喪失なんかに?」
「『獣化』だよ」
「獣化って……」
「前にも話しただろ?」
「うん。楓さんと獣化した男の子の能力を排除しに行ったんだよね?」
「そうだ。より強い能力を求めると、欲望に支配され、理性を失っていく。そうなると、脳が正常ではいられなくなり、記憶の欠落が起こる事があるんだ」
「そんなことが……」
「まあ、全員が全員、そうなるとは限らないんだがな。だけど、より強い能力を求めれば、それなりの副作用があって当然だ」
「……なるほどね」
「記憶喪失だとすると本当に最悪だ。そうなると、色々なものを犠牲にしてでも、すぐに対処しなければいけなくなるだろうな」
「小深山君が、どのパターンなのか確かめないとね」
「そうだな。だから、これから教室に行って小深山と話をしようと思ってる――小深山に鎌を掛けるんだ」
「どういう風に?」
「小深山が家から『覆面』というイカれた格好で出掛けたとは思えない」
「そうね」
「だから、こう聞くんだ。『昨日の夜、早足で歩いてる小深山を見かけたんだけど、どこに向かってたんだ?』って」
小深山は今朝、クラスメート達の前で彼女から電話が掛かって来たという事にしていた。
それで、この質問にどう反応し、どう返答するかで探りくらいは入れられるだろう。
「なるほど」
「朝みたいに言い淀んだら、記憶喪失って説が濃厚になってくる。『見間違いじゃないか?』とか、『俺を見た? そんな嘘つくなよ』とか、そういう感じで否定して来たら、小深山に『覆面』だという自覚があるという事だろうな」
「小深山君が『覆面』じゃないって事かもしれないでしょ?」
「まあ、そうだな。だから、小深山が否定しても素直に『はい、そうですか』と言わないよ。出来る限り食い下がってみて、小深山の反応を窺う」
「それって危なくない? 小深山君が能力者なら、怒らせる訳にはいかない」
「出来る限りって言っただろ? そこら辺は、その場で上手くやるよ。今回は委員長の時と違って、俺が標的というわけじゃない。少しくらいなら無理も利く」
「私にやらせてくれない? 私なら小深山君と何度か話した事があるし」
「駄目だよ。それじゃあ、遠田との約束を破る事になるからな」
俺は決して、その役を譲るつもりはないのだった。




