夢を見た
夢を見た。
静まり返った夜の街を歩く。
闇から闇へと、暗い道ばかりを選んだ。
光の当たるところに、彼の存在は無いと知っていたからである。
もう幾日も彼を探している。
狼男というレトロな名前で呼ばれている彼を。
彼にまつわる噂は様々ある。
顔を覆う大きなマスクを取れば、狼のように鼻づらが突き出しているとか。
横に大きく開いた口から唾液が滴り落ちるとか。
彼を一度目撃した後、再度、彼を目撃すると、もう現世に戻って来る事は無いとか。
そういう、ありふれた怪奇談である。
今では小学生も話さないような類いの話だ。
しかしその話が、現実味を帯びて、この街で話されているのは、実際に家出したまま帰ってこない少年がいるからなのである。
彼は確かにいる。
深い闇の中に姿を隠している。
彼を目撃したという情報はいくらでも入って来る。
しかし、彼を必死に探している者の誰一人として、彼を見つけ出す事が出来なかった。
彼の名前は夏木。
俺は彼に一度だけ会ったことがある。
俺は夏木に恐れは抱かなかった。夜道で出会う素性の分からない人達の方がよほど恐ろしいと思った。
何のことは無い。人の道を少し外れてしまった事を除けば、夏木はどこにでもいる普通の少年だった。
俺はマスクを取った夏木の顔を見せて貰った。
狼と言えば、確かに狼なのかもしれない。普通の人と比べれば、確かに鼻づらが大きくなっているのかもしれない。しかし、それは微かなものだった。
彼をよく知る人でも無ければ、気付かないような小さな変化でしかないと言えた。
彼は、『こんな姿を家族には見せられない。だから家を出なきゃいけなかった』と語った。
俺は夏木に、もう一度会おうとしてた。
お節介にも、彼を彼の家に連れ戻そうと画策していたのだった。
だから、俺は、気だるい体を引きずって歩き続けているのだ。
まあ、探しているという表現は必ずしも正確ではない。
正しくは夏木を探しているという事を夏木に訴えかけて、彼に出てきて貰うための作業なのである。
彼は、いつだって俺がいる場所を把握している。
近づけば遠ざかる。
彼が俺に会う気にならなければ、いつまでも会う事は出来ない。
彼には、そういう力があるのである。
気長に夜の街を歩き、夏木の気が向くのを待っていた。
来る日も来る日も歩き続ける。
俺は夏木の事を考える。このままの状態が続けばどうなってしまうのだろうか。
ここが終着点ではないのは確かだ。
この状況は、彼にとって、ずっと続けていたい状態では無いだろう。
彼は今以上の力を求める事になるだろう。
これ以上に力を望めば、また別の物を失うだろう。
別の物を失えば精神が病み、理性を失うだろう。
理性を失えば、人を傷つける事もあるだろう。
人を傷つければ、後戻りは出来ないだろう。
『会いたくない人に会わない』こと、彼はそれを望んだ。その結果がこれなのである。
あまりにも大きな代償だ。
だが、そんな事が起こるのも、別に不自然な事では無い。世の中は理不尽で不公平なものなのだ。
彼が本物の化け物になってしまう日は、それほど遠くないだろう。
暗くて深い闇の底は、いくらでも嫌な想像をかき立てる。
歩き疲れても、歩き疲れても、また歩き出す。
「ちょっと待って」
突然に呼び止められ、心臓が大きく動いた。
「……ああ、なんだ。お前かよ」
それは、昨晩出会った少女だった。愛らしい顔立ちをしているが、分厚い眼鏡と三つ編みという出で立ちが野暮ったい。
俺と同じ高校の制服を着ているが、顔見知りという訳ではない。
「夏木君はまだ見つかってないんでしょ?」
俺は答えない。無視を決め込む。
『こんな夜中に出歩くのは危ないから帰れ』
昨晩、俺は何度も彼女にそう言った。
『明日は来るな』
とも言った。
それでも彼女は、性懲りも無く現れたのである。
「危ない事くらい分かってる。だけど、私も力になりたいの」
彼女は熱の籠もった声音で話す。
昨晩から全く変わらない――その熱意に、俺は辟易としていた。
こいつを相手にするのは時間の無駄だ。
俺は歩き出す。
しかし、彼女は、俺の後を付いて来る。
それだけなら、まだいい。まだ我慢できる。
だが、彼女は際限もなく喋り続けるのだ。
「私は応援してるよ。あなた達の事は全部わかってるから。大丈夫言わなくていい。分かってるんだから。夏木君が好きなんでしょ? 愛してるんでしょ? だから、こうやって来る日も来る日も夏木君を探しているんだよね。うん、わかってる。全部分かってるんだから。確かに、世間では同性を愛する事に偏見がある人もいると思う。でも、私は違うよ。私は全力で応援する。だから、私はあなたを手伝うの。手伝わなきゃいけないの。頑張るから。危険だって厭わない。何で、そこまでするのかって思うかもしれない。何か見返りを求められるんじゃないかと思っているかもしれない。でも違う。私は何もいらない。ただ、一つ望みがあるとすれば、あなたが夏木君を見つけたとするでしょ、そうしたら当然、夏木君におかえりのキスをするでしょ? それをちょっとだけ見せて欲しいの。勿論、最後までとは言わない。頃合いを見たら帰るから! 絶対帰るから! 信じて! 帰るから!」
彼女は、大きな勘違いをしていた。
そして、いくら訂正しても俺の話を全く聞かず、ずっとこの調子なのである。
こいつと話していると頭が痛くなる。
俺は彼女を無視して歩き出す。
彼女から逃げるのは諦めている。
振り切っても振り切っても付いてくるのだ。
普段は温厚で大人しい俺だが、こいつだけは、ケツでも蹴ってやりたいという衝動に駆られるのだった。
「ごめんね。まだ、お互いの名前も知らないのに、応援するなんて言っても説得力ないよね。私の名前は西園寺梨々花。みんなからは梨々って呼ばれてるわ」
それはまさに悪夢だった。