部室
「……あ、おかえり。もう終わったの?」
部室のドアを開けると、七原がこちらを振り向いて言った。
「ああ。終わったよ」
「大丈夫だった?」
「ちゃんと教師の呼び出しに応じた時点で問題なんて起きるはずがない。あの状況で、俺を犯人に仕立てるのは、どう考えても無理だろ?」
「そうだよね。でも良かった。戸山君なら大丈夫と思ったけど、ちょっとだけ心配してたんだよ」
「……そうか、悪かったな。で、委員長の話の方は進んだのか?」
「ううん。こっちの方は余り進んでないの……委員長は今、玲子さんがどれだけピアノってものを大事にしてきたかって事を話してる」
「なんだ、また足踏みしてるのか」
「そう」
携帯から優奈のウンザリといった声がする。
「でも、その話ももうすぐ終わる。いよいよ大詰めって所よ。寺内さんの話をよく聞いておきなさい」
優奈がそう言うので、俺達は携帯からの声に耳を傾けた。
「――母にとってはピアノが全てだった。母はピアノ以外に世界と繋がる方法が無いとでも思ってるような人だった。だから、そんな言葉が口をついて出たんだと思う。『あなたは私の子じゃない』なんて最悪の言葉がね――わたしは常日頃から思っていたの。母には、いつかそんな罵声を浴びせられるんじゃないかって。ちゃんと想像がついていた。だけど、想像と現実では全然違う。それは本当にきつくて、頭の中が真っ白になった。悲しくて惨めで……私の人生の中で最悪の瞬間だった。感情をコントロール出来なくなって、心が憎悪で満たされた。母を許せないと思った。心の底から憎いと思った。思い返せば、あの瞬間、わたしは呪いの力に目覚めたんだと思う……そして、大変な事が起きてしまった……今でも、その罪悪感は消えない。どうしてあんな事をしてしまったのかって……」
委員長は言葉を詰まらせる。
感情的が溢れ出すのを必死に抑えようとしているのだろう。
優奈は委員長に寄り添うような口調で穏やかに語りかける。
「寺内さん、あなたの能力でどんな事が起こったんですか? つらいかもしれないですけど、教えて下さい。それを知らないと能力を消す事はできないんです」
「何故なの?」
「能力を消すには、能力に対する理解が不可欠です。理解してこそ初めて、排除するというプロセスに移れる――正直な事を言うと、この種の能力を持つという事は、あなたの中の攻撃性が自分で意識しているよりも強いものって事なんです。次に能力を使ったら、ただでは済まないかもしれない。もっと大きな罪を犯してしまうかもしれない。だから、今何としてでも全てを話して頂きたいんです――寺内さん、その日、何があったか教えて頂けませんか?」
「うん。わかった。こんなに真剣に聞いてくれる優奈ちゃんになら全てを話せるよ。わたしが母に能力でした事をね――私は母と揉めた後、家を飛び出したの。しばらく外を歩き、頭が冷えたところで家に戻り、玄関のドアを開けた。そこで、家の電話が鳴っている事に気がついたの。その電話を取ってみると、『ピアノ教室を辞めたい』と、生徒さんの親からの電話だったの。その人はわたしを母と勘違いしたみたいで、『あなたに子供は任せられない』なんて事を言われた。そして、その日は夜遅くまで、そんな電話が鳴り止まなかったわ。そんなこんなで三日もしない内に、何十人もいた教室の生徒さんがゼロになった」
「生徒が……ゼロ?」
「そう……それが、わたしの能力だよ。わたしが嫌いになった人間には必ず不幸が訪れる」
「ちょ、ちょっと待って下さい。その日起きた事は、それだけなんですか? 他に何も起こらなかったって事ですか? 発火は?」
「うん? 他には何もなかったよ。発火なんてしてない。するわけないじゃん」
委員長は清々しいまでにはっきりと言い切った。
優奈が「どういうこと!?」と問い掛けて来る。
俺は「さあ」と答えた。
「さあって何よ!?」
「分からないんだから、そう答えるしか無いだろ」
「この期に及んで、分からないって何よ。おかしいでしょ!」
「大詰めって言ったのはお前だろ。俺じゃない。まだまだ解明までには程遠かったってだけの話だよ」
「程遠いどころか。まったく別の方向を向いてたんじゃないの? そもそも、寺内さん本人が能力者って言っただけで、実際に確かめた訳じゃない。本人が自分を能力者だと勘違いしているだけって可能性もあった」
「確かにそうかもしれないな。委員長は夏木と会って能力の話をしたことがあるらしい。その時に自分にも能力があると勘違いした可能性は否定できない」
「はあ? その話、聞いてないんだけど! 偽物にこんなに気を遣わせられてたって事!?」
優奈が声を荒げる。
「偽物? 気を遣ってた?」
「あ、いや……一人言です」
優奈はまたテレパシーで麻里奈に伝えるべき事を、委員長に語りかけてしまったようだ。
「優奈、とりあえず落ち着けよ。委員長が能力者である疑いがなくなった訳じゃないんだぞ。たった三日で数十名の生徒がゼロになるって、相当異常な事態だ。それはどう説明するんだよ。そういう事が能力関係無しに起こりえないとは言わないけど、やっぱり何かがおかしい。委員長が能力を持ってるって可能性は十分にあるだろ」
「他人を不幸にする能力って何なのよ? 漠然としすぎてて全然釈然としないんだけど」
隣で聞いていた七原が口を開く。
「そうだよね。今まで私達が聞いてた能力というものとは違うと思う。テレパシーだとか、心の声を聞くだとか、嗅覚の異常発達だとか、そういう具体性があった。『不幸にする』ってのは何らかの能力が使われた結果であって、能力そのものではないよね」
分かりやすく疑問点を纏めてくれた。
「そうだな。とにかく委員長には何らかの能力がある可能性があるだろ?」
「パイロキネシスじゃないのなら、そんなものに時間を取られてる暇は無いと思う」
優奈が不満げに言った。
「でも、委員長がパイロキネシスが使えないとは言い切れないぞ。委員長の父親がヤケドして家を出て来たって件もあるからな」
「でも、そんな事ってあるの? 発火能力と生徒をゼロにする能力。二つ持ってるって事?」
「纏めれば、まさに『不幸にする』能力だな。今のところ、二つの件に関連性は見つけられない。それでも、能力と思えるような事件が起こってるのは事実だよ」
「だけどさ」
「文句を言っても仕方ない。能力ってのは基本的に何でもありだと思った方がいい。そうしないと不測の事態に対応できない」
「何でもありって、そんなのにどうやって対応するのよ」
「まあ、何でもありは何でもありなんだが、その一つ一つには、きちんと理由ってものがあるんだよ。相応に攻撃的であるからこそ、発火能力を持ち得るんだ。だから、辛抱強く原因の究明を進めればいいんだ」
「そこまで言うのなら、何か建設的な意見は聞かせて貰えるのよね?」
優奈が高圧的に言う。
「ああ。まあな……やっぱり父親のヤケドが鍵となると思う。弓長という隣人の証言によると、十年ほど前の出来事だ。その件について詳しく聞いてくれ」
「それって話して大丈夫な話なの? 失敗して被害を受けるのはわたしなのよ」
「大丈夫だよ」
「何で言い切れるのよ? さっきまであんなに慎重にしろって言ってたのに」
「理由は簡単だ。考えてみれば、委員長はそんなに簡単に他人を嫌ったりしない。これほどまでに他人を嫌ってしまう事を恐れている奴を俺は他に知らない」
「……確かにそうかもしれない……でも、本当に大丈夫?」
「大丈夫だ」
俺は自信を持って答える。
すると、優奈も「わかった。聞いてみる」と返答した。
「寺内さん、もう一つ聞かせて下さい。寺内さんのお父さんの事です。さっきは、お父さんに『もう会えない』って言ってましたけど、どういう事なんですか?」
「父とは一年くらい会ってないわ。もう会えない――もう会わないって決めたから」
「どういうことですか?」
「父は別居してるのよ。母はさっきから話しているような自分勝手な人だから、それに耐えきれなくなったのね」
「会わないと決めたのは、お父さんに置いて行かれたからですか?」
「違うよ。父はわたしも連れて行こうとした。だけど、わたしは付いて行かなかったの」
「何故?」
「戸山君と同じ理由よ。近くにいれば『嫌い』とか、それに似た感情をぶつけてしまうかもしれない。そうしたら、呪いの力が父を不幸にしてしまうでしょ?」
「……あの、寺内さん」
「何? 言い辛そうに」
「一つ聞いて良いですか?」
「いいよ」
「寺内さんの話を聞いた印象では、お父さんはそう簡単に別居を決めるような人じゃないと思います。何か決定的な出来事があったんじゃないですか?」
優奈は緊張しながら、慎重に確かめるように言葉を連ねていく。
「結構、鋭い質問だね」
「すみません」
「そうだね。この呪われた力を消す為に必要というのなら、話すよ――さっき言ってた別居って、実は二回目なんだよ」
「二回目?」
「そう。一回目は八年前。父と母が大喧嘩した事があったの」
「何故ですか?」
「おそらく父の不倫だと思う」
「は?」
「え?」
方々から驚きの声が上がる。
もちろん、委員長が聞いているのは優奈の声だけだろう。
「帰宅した父から女の人の匂いがしたのを覚えてる。それが何日か続いた。わたしは子供心に母がそれに気付いてしまったら、どうなるんだろうと怯えてたわ。だけど、その日はすぐにやって来てしまった。一回から怒鳴り声が聞こえて、降りてみたら母が父を追い出した後だったの」
「ヤケドは?」
優奈が委員長に問い掛ける。
「うん? ヤケド? 何の事?」
電話口から「ヤケドは!?」と、もう一度同じ質問が繰り返された。
一度目よりも荒い口調である。
「まだ分からないよ。委員長の能力は感情によって引き起こされるものだ。無自覚に発火能力が発動したのかもしれないだろ?」
「そう……だけどさ。それは余りにも苦しすぎない?」
「苦しいよ。だけど、可能性が消えた訳じゃないなら突き詰めるべきだ」
そこで、マナーモードにしていた俺の携帯がポケットの中で振動を始めた。
画面を見ると、遠田彩音からの着信である。
「ああ、丁度いい。遠田からの電話だよ。委員長の父親について何か重要な事が聞けるかもしれないぞ」




