寺内父
遠田の携帯を確認すると、また新たなメッセージが送られてきていた。
彩理『寺内家の隣家に住む弓長花江さんという方に話を聞いたのですが、興味深い事実が判明しました。電話をお繋ぎ致しましょうか?』
遠田彩音『繋いで下さい』
メッセージを送ると同時に携帯が振動を始める。
遠田が通話ボタンを押した。
「もしもし、彩音様。彩理です。弓長さんに代わりますね」
そして、彩理は少し遠くなった声で「弓長さん、先程の話をもう一度お願いできますか?」と言った。
「もしもし。弓長です」
スピーカーから聞こえてきた声からすると、割と年配なのだろう。
「はじめまして、遠田彩音と申します。お手数をおかけします」
「いいのいいの。気にしないで」
「じゃあ、お話お願いできますか?」
「はいはい。たしか十年前くらい前だったかな。夜中に突然、寺内さんの家から大きな悲鳴が聞こえてきたって事があってね。わたし、気になって寺内さんの家を見てたのよ。そしたら、旦那さんが必死の形相で飛び出して来てさ、振り返ってドアを開こうとするんだけど開かないの。きっと夫婦喧嘩で閉め出されたんだなと思ってよく見たら、顔に大きなヤケドがあって」
それを聞いて俺達は顔を見合わせた。
ヤケド……か。
「わたしが近づいて行って『どうしたんですか?』って聞いたら、寺内さんは『コーヒーをこぼしちゃったんです』なんて言うのよ。そんな訳ないじゃない。わたし、奥さんがやったんだって、すぐにピンと来ちゃった。寺内さんの奥さんって、ツンケンした人でね。いかにもって感じなのよ」
いかにも夫に暴力を振りそうということなのだろう。
「だから、わたしも心配して、『手当てしましょうか。お話も聞きますよ』って言ったのよ。そうしたらさ、旦那さんは『大丈夫です』の一言で撥ね付けてね。そしてムスッとしたまま、足早にどこかに行ったわ。せっかく、こっちが心配してあげたのに。やっぱ家族って似ちゃうのね。娘さんも、いつもムスってしてるし、夜遊びもしてるみたいだし。見た目は真面目なのに、今の子って恐いわねえ」
俺は遠田に『取り敢えず話を合わせてくれ』と耳打ちした。
遠田は顔に嫌悪感を示しつつも、「そうですよね」と同意の言葉を口にする。
「でね、その事件以来、旦那さんは別居したり戻ってきたりを繰り返してるわ。本当に大変ね」
その言葉とは逆に、弓長の口調には同情心を感じなかった。むしろ嬉々として喋ってるように感じる。
「なるほど。そんな事があったんですね。その話題で寺内さんの娘さんと話した事がありますか?」
「そんなこと話す訳ないでしょ。娘さんはまだ小学生だったんだから」
俺は、もう一つ遠田への指示を耳打ちする。
「そうですか。わかりました。参考になりました。あと一つ、聞かせて下さい。寺内さんの旦那さんの勤め先を知りませんか?」
弓長花江は躊躇する事もなく、寺内父の勤めている会社を教えてくれた。
俺が言うのもなんだが、口が軽い人物というのは本当に迷惑な存在だと思う。
「――ありがとうございました。本当に参考になりました」
「ところでさ。何で、こんな事を調べてるの?」
「いや、ちょっと色々と事情がありまして」
「こういう証言を集めてるって事はさ。寺内さん、もうすぐ離婚するって事?」
「違いますよ。そういう事ではないです」
「まあ、『そうです』とは言えないよね。いいわ。いずれ分かる事だから。正式に離婚って事になったら家のローンも払えなくなるだろうし――え? 何? 代われって? わかったわよ」
「彩音様、彩理です」
電話口からは最初に電話に出た彩理の声が聞こえてきた。
「彩音様、大丈夫です。ちゃんと誤解は解いておきます。寺内さんに迷惑を掛ける事はありません。あとは、この彩理にお任せ下さい」
「彩理さん、この電話のことは誰にも話さないで下さいとも言っておいてくれますか?」
「わかってますよ。抜かりは無いです」
「宜しくお願いします」
そう言って遠田は電話を切った。
「ご近所付き合いって大変だな、ああいう人が隣にいるかもしれないのか」
遠田が呟く。
「世の中には出会い頭にバットで殴りつけてくるお隣さんだっているんだぞ。それに比べればマシだろ」
「へえ。そんな事もあるんだな……」
遠田は更に苦い顔をした。
彼女に苦悩を与えてしまったようだ。
……まあ、そんな事は気にせずに話を戻そう。
「ヤケドって言ってたな」
「そうだね。つまり、委員長がパイロキネシスを使ったという事になるのかな」
「そうかもしれない」
「何があって、そんな事になったんだろう……?」
俺達が考え込んでいると、遠田の携帯が再び振動した。
また新たなメッセージが流されたようだ。
彩乃『寺内さんのお父さんの会社を特定しました。牛岡建設という名前です。彼は、その牛岡建設で総務部長をやっているそうです』
そのメッセージの下には会社の住所と電話番号が記載されており、更には地図上に目的地のマークまで付けられていた。
さっきの地図で浮かび上がった南北に長い楕円の北側、つまり駅に近い方である。
となれば、予想の通り南側の方には寺内父が住んでいる家があるという事なのかもしれない。
まあ、単なる予想でしかないが。
そして、いつの間にか寺内父と寺内母の写真も追加されている。
彩芽も頑張ってくれたようだ。
有能すぎるだろ、CSFC。
彩乃『ご苦労さま。聞き込み班が大きな成果を上げましたね』
彩理『ありがとうございます。捜査は靴底をすり減らす仕事だという先輩のお言葉のお陰です』
彩陽『あと二分で牛岡建設の社屋に到着します』
彩未『今、門の前に到着しました』
彩乃『すでに17人の手勢が集まりました。彩音様、突入の指示を』
「そんな事するわけないだろ!」
遠田が携帯をブン投げた。
確かに悪ふざけが過ぎる。
これは遠田を支持しているというよりも、遠田を弄んでいる気がしてきたのだが。
「まあ、でも実際に寺内父の会社を割り出してるんだから、文句は言えないよな」
俺は、そう言って新たなメッセージを送った。
遠田彩音『もう目的は達成されました。ありがとうございました。解散して下さい』
次々と『了解しました』の文字が流れていく。
「30人か……」
流れていくメッセージを見て、しみじみと思う。
遠田を敵に回してはいけない。
どんな能力者よりも怖い。
「で、お父さんの会社がわかったけど、どうする?」
七原が俺に問いかけた。
「遠田と七原で行ってきてくれないか?」
「うん。わかった」
七原が立ち上がり掛けると、遠田が口を開く。
「いや、わたし一人で行くよ。七原さんは、ここにいた方がいいだろ」
「そうか?」
「戸山は職員室に行かないといけないんだろ? それに時間を取られるかもしれない。いざという時の連絡係が必要だろ」
「でも、一人で大丈夫なのか?」
「ああ、訳の分からない連中の対応は困るが、普通の会社勤めしている大人なら大丈夫だ。任せておけよ……もし困るような事があったら、あの連中に頼るから」
「それは心強いな」
「わたしよりか?」
遠田の目は鋭い。
「やっぱり数の力には敵わないって事だよ」
「そうか。まあ、それなら納得せざるを得ないな」
「じゃあ、遠田に任せるからな」
「ああ。寺内父を見つけたら、連れてくればいいんだろ?」
「いや、ちょっと話を聞くだけでいいよ。連れてきたら、また面倒な事になるかもしれないだろ」
「そうか。だったら、何を聞けばいいんだ?」
「寺内は虐待されていたのか」
「そんなことを聞けって言うのか?」
「そうだよ。それから、寺内父が家を出た日に何があったのかってのも聞いてくれ。とりあえず、その二つが聞ければいい。シンプルだろ?」
遠田は一つ溜息をつくと、「わかったよ。何とかする」と言った。
そんな話をしていると、七原の携帯が再び振動を始めた。
「麻里奈ちゃんからだよ」
七原がそう言った。
「じゃあ、わたしは寺内父の所に行ってくるから」
遠田は低い声で呟いた。
そして後ろを向きもせず手を振り、颯爽と部室を出て行く。
そういう所が女子生徒を過剰に惹きつけてるんだよ。自覚しろ。
俺はそんな事を思ったのだった。




