放課後
午後になってぽつりぽつりと振りだした雨が、放課後間際には強くなり始めた。
帰りのホームルームが終わると、早瀬が「戸山君、ちょっと」と手招きする。
俺は早瀬の後ろに続いて廊下に出た。
「戸山君、悪いんだけど、もう一度だけ朝の件の事を聞きたいの。職員室に来てくれるかな?」
ああ、やっぱりそれか……面倒だな。
でも、仕方がない事だ。朝の件はそれだけの重大事件なのだ。
「わかりました。それじゃあ、行きましょう」
「あ、いや……ごめん。今じゃ無くて五時半くらいなんだけど……」
「五時半?」
「岩淵先生が三年生の補習を担当してて、それが終わってからって言われてるの」
「ああ、なるほど」
「大丈夫? 予定とか無い?」
早瀬は不安そうに俺を見た。
帰り支度を終え、教室を出たクラスメート達が脇を通って行く。
クラスメート達は俺達が何を話しているのか興味津々といった様子だ。
「大丈夫ですよ。行きます。黙って帰りませんから」
「ありがとう……あの……戸山君、実はね……」
早瀬は相当言い辛そうにしている。
その様子で、俺は彼女が何を言おうとしているのかがピンと来た。
「岩淵先生はまだ俺を疑っているんですね?」
「……そう。そうなの。何で私の言おうとした事が分かったの?」
「俺が教室にいなかったのは厳然たる事実ですが、だからといって他の誰かに、あんな事が出来たとは思えない。そうなれば、岩淵先生は無理にでも俺を犯人だという事にしようとするんじゃないかと思ったんですよね。どうせ一年の時の担任の佐藤先生も俺の事を良い風には言ってくれなかったんでしょうし」
「……色々、あるのよ」
早瀬の表情を見ると全部図星のようだ。
「いや、俺も少し反省していたところですよ。俺がクラスに馴染めてなかった所為ですから」
俺が軽い口調で言うと、早瀬はいつもより輪を掛けて生真面目な顔になる。
「戸山君、心配しなくても大丈夫だからね。私は戸山君が何もやってないのを知ってるから」
だったら、戸山望に犯行は不可能だと、はっきりと岩淵に言って欲しい。そうすれば、岩淵も俺に疑いを持つこと自体バカげてると思うだろうに……とは思うが、口には出さなかった。
早瀬にグチグチ言うつもりはない。
「先生、そんなフォロー必要ないですよ。俺は教室にいなかったんです。問題になるような事なんてないじゃないですか。俺が冷静に否定すればいいだけです。そうすれば、おかしな事にはなりませんよ」
こんな言い方をするのは生意気だと自覚している。
しかし、これ以上早瀬を板挟みにするのは良くないなと思ったのである。
早瀬の不安そうな態度の所為で、岩淵が自分の主張に自信を持ったら厄介だ。
「じゃあ、五時半に職員室に行けばいいんですよね。それまで適当に時間を潰しておきます」
「戸山君、ごめんね」
そう言って早瀬は職員室の方へ帰って行った。
「早瀬先生って美人だよね」
突然後ろから声がして、心臓がドクンと動いた。
「七原か……急に話しかけるなよ」
いつの間にか七原が後ろに立っていたようだ。
「藤堂さんが皆に触れ回ってるよ。戸山君がニヤつきながら早瀬と話してるって」
「はあ? 俺、ニヤついてたか?」
「ううん。ニヤついてはなかったと思う……でも、確実に格好つけてた。いつもは、あんな低い声出さないでしょ?」
「そうかな」
「まあ、格好つけたくなるのもわかるけどね。早瀬先生って綺麗だし、スタイルもいいし」
早瀬はスタイル云々(うんぬん)が分かるような服装はしていない。
七原の言う『スタイルがいい』というのは、スーツとブラウスを『確かに押し上げている』胸の事なのだろう。
「で、早瀬先生とは何の話だったの?」
「朝の件で、五時半に職員室に来いって言われたんだよ」
「ああ、そうなのね」
「犯人が誰か判明しない限り、終わらせられないんだろうな」
でも、能力者の犯行だと言うことは出来ないし、そう言ったところで誰が納得するのかって話である。
「五時半なら、まだまだだね。じゃあ一緒に部室に行こう」
「え? 一緒に行くのか?」
「当然でしょ。同じ場所に行くんだから」
「別に、いいんだけどさ。七原は俺と一日中一緒に行動するつもりなのか?」
「ち、違うけど。今は仕方がないでしょ」
そんな事を話していると、廊下に出て来た委員長と目が合った。
委員長はいつも通り目を逸らすと、俺達の脇を通り過ぎていく。
そして、その後に残ったのは袖口が引っ張られている感触だ。
「七原、何で俺の袖を掴んでるんだよ」
「戸山君が委員長に近付くのを止めようと思ったの」
「いや、何もしなかっただろ?」
「そうね……でも……戸山君なら何かするのかなと思った」
「俺も無策で近付くような事はしないよ」
「そうなの? 戸山君なら授業中、色々考えてると思ったんだけど……」
「何も良い案は思いつかなかったよ」
「そっか……そうなんだね。じゃあ、部室に行って、今後の方針を考えないとね」
「そうだな」
そして歩き出そうとすると、七原が少し慌てた様子で言う。
「あ、ごめん。ちょっと待って。私、鞄を取って来ないといけないから」
「ああ。そうか。じゃあ、ここで待ってるよ」
まだ俺の鞄は返ってきていないので、教室に戻る必要は無いのである。
「駄目。私の目の届く範囲にいて」
「は?」
「委員長を追いかけるかもしれないから」
「そんな事しねえよ」
そう言っても七原は納得せず、結局俺も教室に戻る事になったのだった。
……クラスメート達の視線が痛い。




