森
職員室に行って部室の鍵を返した俺達は、靴に履き替えて特別棟の裏へと向かった。
この高校の裏手は山なのだが、特別棟の方から行くと、しばらくは勾配が緩やかな森の中を歩く事になる。
その森は、木々の間に下草が生い茂り、鬱蒼としていて、あまり人が立ち入らない場所である。
「でもさ、守川君には悪い事したよね」
「そうだな。さすがに、これは反省しないとな」
「守川君って無断欠席って事になってるのかな?」
七原は心配そうな顔で言う。
「いや、それは大丈夫だよ。守川は親に風邪を引いたって連絡して貰ったらしい」
「そうなんだ。……でも、それって家族に嘘をつかせたって事?」
「守川が親に『友達の為だから休ませてくれ』と言ったら、親はオッケーと親指を立てたらしい」
「ああ、そうか。守川君の家って、そんな感じだったね。懐かしいな」
七原は目を細めて笑った。
「そんな感じの家があると思えば、こんなところで野宿しないといけないような家もあるんだよな」
「……そうね。でも、まだ委員長って確定したわけじゃないからね」
そんな事を話している内に、特別棟の裏に到着する。
そこには森の案内人こと守川一也が待っていた。
「よお。ナナ! 戸山!」
守川を前にして、七原は真面目な面持ちに変わる。
「守川君。色々迷惑かけて、ごめん」
「ナナ、何言ってんだよ。いいよ。気にするなって」
守川はデカい声で言って、カラっと笑う。
それを聞いて、すっと七原の表情が緩んだ。
しばらく幼なじみ同士の会話に耳を傾けたいところだが。
「じゃあ、時間も限られているし、テントまで早く連れて行ってくれ」
と、口を挟んだ。
守川を先頭にして、森の道を歩き始める。
それほど広い道では無いので縦一列だ。
この中では、たぶん優奈が一番体力が無い。
すぐに音を上げて不機嫌になるだろう。
そうしたら被害を受けるのは、優奈の前を歩いている俺だ。
優奈が苛立ち出す前に、どのくらいの距離を歩くのか聞いておこう。
「どのくらい歩くんだ?」
「いや、すぐだよ」
と言いながら、急に目の前の守川が立ち止まる。
「ちょっと! いきなり止まらないでよ」
優奈が苛立ちの声を上げ、結局、俺は背中を小突かれた。
「守川、もう着いたのか?」
「いや、説明が必要だと思ってさ――こっからは道が無いんだ」
道が無い?
問い掛けようとしたところで、守川が下草をかき分ける。
「何なのよ、これ。何でこんな所を歩かないといけないのよ」
再び優奈に背中を小突かれる。
俺の所為じゃないだろ。
「こんな所に女の子が入っていくとは思えないんだけど」
七原も不安げだ。
「委員長は変な奴だよ。こんな所で生活していても不思議じゃないと思わせるくらいには」
「私の委員長像と戸山君の委員長像が全く別物なんだけど。何なんだろう」
七原が、ぼそぼそと呟いた。
先程より少し急な勾配を登ると、今度は緩やかな下り坂になっている。
その先には――。
「あれがオレが見つけたテントだよ」
守川が指差した先に、土色のテントが張ってあった。
一人が、やっと寝られるくらいの小さなものだ。
テントの所まで坂を下り、周囲を見渡してみる。
勾配と木々の所為で、道側からも学校側からも死角となっている。
「なるほど。ここだったら誰にも見つかりそうに無いな。学校からも近いし」
「すごいね。こんな場所を見つけるなんて、このテントの人はサバイバルに慣れてるのかな?」
と、麻里奈が俺に問いかける。
「そうなんだろうな、たぶん」
俺が相づちを打つと、隣に居た守川が手を横に振った。
「待て待て、二人とも。このテントの持ち主に、それほどサバイバルの知識があるとは思えないよ」
「どういうことだ?」
「テントを張る場所が全くダメなんだ。ここは少し窪地になってるだろ? こんな所にテントを張ってたら、どんどん雨水が流れ込んでくる」
「ああ、なるほど。そういう事か」
守川が眉間にシワを寄せて、空を見上げる。
「今日は一雨来そうだ……仕方ない。雨水を流す為に、テントの周りに溝を掘っておくか。それと、ペグも打ち直さないといけないな。これじゃあ、雨水が溜まって抜けちまう。シャベルとハンマーを取ってくるよ」
そう言って、守川は森の奥に消えて行った。
守川って、あんなんだっけ? ――とは思うが、守川の中のサバイバル魂みたいなものが刺激されたのだろう。
守川は物事に没頭するタイプなのである。
「じゃあ、俺達は、これが委員長のテントかどうかを確かめるか」
そう言って、テントのジッパーを下げようと手を伸ばすと、その手を七原に掴まれた。
「ダメだよ。勝手に女の子の部屋を開けるの?」
「七原は、これが委員長のテントだとは思ってないんだろ?」
「そうだけどさ……確かに、私の思ってる委員長像とは違うけど、戸山君の言う事も正しいのかなって」
「じゃあ、俺はあっちを向いてるから、七原が開けて確認してくれ」
後ろを向いて、少し待っていると、「見ても大丈夫だよ」と七原が言う。
テントの中は、荷物が綺麗にまとめられていた。
スポーツバッグが一つと、教科書類が少々。
「やっぱり、こなれてる感じがするよな」
「そうだね」
キャンプには慣れてないのかもしれないが、家出には慣れてるのだろう。
そう思った。
「七原はバッグの方を見て、身元が分かるような物があったら言ってくれ。俺は教科書類を見るよ」
「そんなものを見て、どうするの?」
「教科書やノートの間に、小テストとかが挟まってるかもしれないだろ?」
小テストには当然、名前が書いてある。
それが見つかれば、身元確認は終了だ。
「そっか、なるほどね。戸山君も他人の領域に土足で踏み込むのに、慣れてるって感じだよね」
と、七原は皮肉った。
テントの中に入り、端に積まれた教科書を上から順に見ていく。
俺達が使っている教科書と同じだから、二年生なのだろう。
位置や順番を変えないように注意しながら、一冊ずつ移動させる。
そうやって調べていくと、一冊の薄い本を見つけた。
表紙には不機嫌な顔をした美少年が描かれている。
タイトルは『狼少年にKISS!』、作者は『西園寺梨々花』だ。
……嫌な予感しかしない。
その同人誌を手に取り、ページをめくった。
内容は春樹と弘巳という二人の少年の話だ。
呪いを受けて醜い獣の姿に変わっていく春樹と、それを愛の力で救おうとする弘巳の話である。
どこかで聞いたことのあるストーリーだな。
ちなみに春樹は夏木に似ているが、弘巳は俺とは似ても似つかない美少年である。
別に、こういう文化を否定するつもりは無いが――。
「他人の話を勝手に発表してんじゃねえよ!」
「戸山君、どうしたの?」
「いや、思わず心の叫びがな。これを読んだら分かるよ」
七原に委員長の同人誌を渡す。七原は表紙を見て開くのを躊躇した。
「ごめん。見るのが怖いというか」
「大丈夫だよ。一般向けだ。七原の期待しているような表現はない」
「期待とかしてないから!」
七原は同人誌というものを、すべてそういうものだと思っていたらしい。
ちなみに奥付の発行日には去年の八月の日付が書かれていた。
委員長に書くのを止めてくれと言ったのが、その二ヶ月前である。
俺は、さらに教科書類を調べ、小テストを一枚見つけ出した。
そこには勿論、『二年C組 寺内奏子』と書かれていた。
やはり、このテントは委員長の物で間違いないようだ。
後ろを振り返ると、七原は同人誌を読み終えたようで、代わりに双子が肩を寄せて読んでいた。
麻里奈は涙を指で拭いながら、優奈は真顔のままなのが対照的だ。
双子が読み終えるまで黙って待っていると、麻里奈が本を閉じ、息をついた。
「すごくいい話だね。涙が止まらないよ」
「そうだね。私も好きだな。ストーリーがいいと思う」
七原も同調する。
いやいやいや。
それ以前に、この本については、一言も二言もあるのである。
「これって俺と夏木の話、そのままなんだけど」
「って事は、戸山君も、このラストみたいに、夏木君に『おかえり』って言ってキスしたの?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあ違う。着想は確かに夏木君の件からかもしれないけど別物だよ」
七原がそう言うと、ふんと鼻を鳴らす感じで読んでいた優奈が頷きながら、口を開く。
「そうね。ストーリーは置いておいたとしても、絵や人物描写の完成度が高いところは認めるわ」
何故か軒並み高評価なようだ。
って、そんな事はどうでもいい。
「まあ、とにかく、このテントは委員長の物って事で確定だな。そろそろ帰るぞ」
「ちょっと待って」
七原が声を上げる。
「何だよ? もうすぐ昼休みが終わるぞ」
「もう一回! もう一回だけ読みたい」
七原が目を輝かせながら言うので、俺には断る事が出来ないのだった。




