教室
特別棟を出て、渡り廊下を通り、教室へと向かう。
「でも、大丈夫なのかな。私達、一時間目を無断欠席したわけでしょ?」
「問題ないよ。そこら辺は、ちゃんと考えてたから」
そんな話をしながら、教室の近くまで来た。
ふと、我がクラスの教室に、少しの違和感を抱く。
何だろう?
その理由はすぐに分かった。
他のクラスは扉が開いているが、ウチのクラスだけは扉が閉まったままなのだ。
一時間目は英語の授業である。選択科目では無いので、教室の移動は無かったはずだ。
授業が長引いているのかとも思うが、中は少し騒がしい様子である。
何があったのだろうか?
七原と顔を見合わせる。
俺だけなら、とりあえず休憩の終わりまで時間を潰すだろうが、七原の目には強い好奇心が宿っていた。止める事は出来ないだろう。
七原が先に入る事で、彼女の泣きはらした目に注目が集まるのは避けておきたい。
仕方なく俺は、クラスメート達に気づかれないように、そろそろと扉を開けた。
やはり教室内は、ざわざわしているようだ。
そして、何故か、俺の席を中心に人集りが出来ている。
扉が開いたことに気がついたクラスメート達が、ちらほらと俺達の方を向き、やがて一斉に視線が注いだ。
「戸山君。早くドアを閉めて入ってきて」
そう言ったのは、早瀬繭香である。
濁りのない綺麗な目と、おっとりとした話し方が特徴の、我がクラスの担任である。
俺達は指示通りにドアを閉じ、中に入った。
「早瀬先生、何かあったんですか?」
「今、戸山君の鞄に火が付いて……」
火?
俺の鞄に火?
「どういう事ですか?」
「授業中、戸山君の鞄から急に煙が出たの。それで、隣の高梨君が、ペッドボトルの水で消火してくれて……」
煙って何だよ、と思う。
何故、そんな事が起きるのだろう。
「そんな事ありますか? 急に火が出るなんて」
「でも、みんなも見てたから」
その言葉に異論を唱える者はいなかった。
本当なのだろう。
確かに、言われてみれば、教室には微かに焦げ臭い匂いが残っているようだ。
「ごめんね、戸山君。念のために鞄を開けさせて貰ったよ。安全かどうか、確かめないといけなかったから」
「ああ、大丈夫ですよ。火元になるような物は無かったですよね?」
「ええ。何も……っていうか、コンビニ袋に入ったパンとお茶しか入ってなかった」
早瀬は俺の机の上に置かれたパンとお茶のペットボトルを指差す。
「ですよね。ここから火が出るわけないです」
そう言って、俺は周囲を見渡した。
それだけで、俺が周りのクラスメートを疑っているのが伝わったのだろう。
クラスメート達が鋭い視線を返してくる。
それを見た早瀬は視線を右へ左へと動かす。
動揺しているようだ。
「戸山君。それは違うよ。火が付いたのは授業中だったの。一番後ろの小深山君に教科書を読んでもらってる時だったから、私も戸山君の鞄は視界に入ってたよ。もし、それより前に誰かが何かをしていたとしても、目撃者がいないとは思えない」
「じゃあ、どうやって火が付くっていうんですか?」
俺がそう言うと、藤堂が俺を睨み付けながら、口を開いた。
「ってか、疑問なんだけどさ。七原さんを保健室に連れて行ってただけなのに、何で、すぐに帰ってこなかったの?」
「戸山の行動、怪しすぎ」
「だよね」
笹井と柿本も、藤堂に同調する。
「保健室に誰もいなかったんだよ。一人にしておくのも良くないだろ。で、一時間目が終わって七原が回復したって言うから戻ってきた。それだけだよ」
目線の動きや声の抑揚に注意しながら、努めて冷静さを保つ。
「ここに俺はいなかったんだ。俺には何も出来ないだろ。それに、自分の鞄に火を付ける理由なんてあると思うか? どこをどう見ても俺は被害者だよ。だろ?」
「そうね」
藤堂は短く返答した。
藤堂は察知したのだ。
今の戸山に絡むと損をする、と。
証拠も無く放火犯だと言いがかりはつけられないだろうが、面倒な事にはなるかもしれない――そう思ってくれればいい。
そうなれば、しばらく俺の生活は安泰だ。
そんな事を考えていると、早瀬が、胸を押さえてスーハーと呼吸をした後、口を開いた。
「まあ、とにかく。二時間目は選択科目だから、みんなは教室を移動して。遅れるよ」
それを聞いて、クラスメート達が各々の席に戻り、支度を始める。
早瀬は周りの様子を窺いながら、俺へと視線を戻した。
「悪いけど戸山君だけ残ってくれる? 少し話を聞かせて欲しいの」
「わかりました」
俺は頷いて、教科書や筆記用具を抱えて教室を出ていくクラスメートを見送った。
クラスメート達は追い立てられるように教室を出ていく。
厄介事に巻き込まれたくない。
下手な行動を取れば、何らかの疑いを向けられるかもしれない。
そんな薄らとした緊張感が漂っている。
俺は教室を見渡しながら一人一人の様子を観察した。
この中に犯人はいるのだろうか……。
手を触れることなく、証拠も残さず火を放つ『発火能力』。
それはパイロキネシスとも呼ばれる。
この能力は、数多ある超能力の中でもメジャーなものだが、極めて危険で、特に注意が必要だとされている。
たとえ、その能力者の力が弱く小さな火しか作れないとしても、その火が燃え広がり甚大な被害をもたらす恐れがあるからだ。
――その時、ふと委員長と目が合った。
いつものように委員長が目を逸らす。
しかし、いつもよりも明らかに顔が強張っていた。
注意して見ると、動きがギクシャクしているのも分かる。
単に、このおかしな現象に戸惑っているというだけでは説明できないくらいに。
俺は委員長が教室を出ていくのを、最後まで見送った。
全ての生徒が教室を出ると、早瀬は携帯を取りだし、画面に触れた。
ささっと数タッチくらいで、携帯を耳に当てる。
あまり探している感じで無いところを見ると、頻繁に電話する相手なのだろう。
「もしもし。岩淵先生、すいません。また、ちょっと問題が起きまして。C組の教室まで来てもらえますか?」
岩淵を呼ぶのか……。
たしか、岩淵勝久という名前だったと思う。少々うろ覚えだ。
学年主任だか何だか、そんな肩書きだっただろうか。
携帯から漏れ聞こえてくる声に耳を澄ますと、甲高い声に軽く頭痛を覚えた。
岩淵は声が高い上に、早口で喋るから聞き取りづらい。
さらに唐突にキレるなど、態度が豹変するので物凄く生徒に嫌われている。
その上、生徒のいる前で他の教師を怒鳴りつけたりするので、教師達からも嫌われている。
早瀬は電話を切ると、小さく息をついた。
バツが悪いというような表情をしている。
本来なら、俺に退室させるか、教室から出て岩淵に電話を掛ければ良かったのだろうが、犯人がまだ分かっていない状況である以上、俺から目を離す訳にもいかなかったという事かもしれない。
早瀬は真面目で、生徒への対応も堅い。
まあ、今年、教職三年目で、初めて担任としてクラスを受け持ったらしいので、仕方がない事なのだろう。
俺は沈黙を埋める意味も含め、早瀬に話し掛ける事にした。
「先生。保健室の件、ありがとうございました」
実を言うと、双子に頼んで、早瀬へ伝言をしてもらっていたのだ。
その伝言は『七原がクラスメートとの人間関係の齟齬で教室を出た事と、その相談に俺が乗っている』というものである。
そして、さらに『俺達が保健室にいたという事にして欲しい』と頼んだ。
探されたり、校内放送で呼び出されたりすると困ると思い、根回しをしたのである。
もちろん、これは俺が普段から担任に媚びを売っているからこそ、出来た事だ。
万が一、こんな事が起きた時のために、普段から信頼を得る努力しているのである。
媚びて得のある相手には、徹底的に媚びを売るべし。
それが俺の座右の銘だ。
「すみません。突然の事だったので。今、詳しい事情を話しましょうか?」
もちろん、語るべきでは無いところは伏せるしかないだろうが……。
「問題は解決したのよね? 七原さんは憑きものが落ちたみたいな表情だったし」
「はい。解決しました」
「じゃあ、その話は後で聞かせてもらうよ。今は、この件について考えないといけないから……」




