能力について
「実はね――」
「ちょっと待てよ。俺はそんな話、聞かないぞ」
俺は七原が話し始めようとするのを制した。
断固拒否だ。
俺は面倒事に巻き込まれるつもりはないのだ。
どうにかして、この状況を切り抜けよう。
ここから逃げる事が出来るだろうか?
考える。
この部室には、出入り口が二つある。
さっき、七原は鍵で扉を開閉していた。
ということは、もう一方のドアにも当然、鍵が掛かってるだろう。
内側からの鍵なので開けることは出来るが、それなりに時間が掛かってしまうはずだ。
その間に間違いなく七原に捕まってしまう。
いや、そもそも七原の能力があれば、俺の行動は全て未然に防がれてしまうだろう。
やはりこれは完全な監禁だったのだ。
「だから、そういう意図じゃないから! ……戸山君、とにかく話だけでも聞いて。聞いたら協力してやろうって気持ちになるかも知れないでしょ? そうならなかったら、帰ってくれてもいいから」
七原はそう言うが、こういうのは話を聞いた時点で巻き込まれたも同然なのだ。
結局絶対間違いなく面倒な事になるに決まってる。
こんなことになるのなら、呼び出しは無視しておくべきだった。
「無視されたら別の手段を考えるだけだよ」
まあ、そうだよな。
「別の奴に相談してくれないか? 委員長とか、他に適任者がいるだろ?」
「何で委員長なの?」
「頭も良くて、機転が利く。あいつの方が相談相手に相応しいと思うけど」
先程の教室での出来事で、委員長が頭に残っていたってのもあるが、咄嗟に考えたにしては良い人選だと思う。
だろ?
「そうね。確かに。委員長は相談相手としては最高かもしれない」
「委員長に率先して立候補するような奴だけあって世話好きだ。その上、オタクだからオカルト分野にも拒否感は薄いと思う」
「へー、そうなんだ。委員長の事、よく知ってるんだね。一度も話してるの見た事ないのに」
「他の女子生徒と、そういう話題で盛り上がってるのを聞いたんだよ」
情報源が盗み聞きなのは情けないが、嫌われ者だから仕方がない。
「でもね。さっきも言ったけど、戸山君じゃなきゃ駄目っていう理由があるの。だから話を聞いて」
俺は溜息をついた。
委員長を生け贄に捧げるという手段も通用しないようだ。
どうするべきか。
どう逃げるべきか。
もはや何の考えも思い浮かばなかった。
浮かんだところで七原に筒抜けである。
こうなれば、もう七原の話を聞くしかないのだろうか。
その方が早いのかも知れない。
と、俺が譲歩しかかっている事さえも、七原に聞かれているのだ。
元から勝負にならない戦いだ。
「そうね。そう思ってくれていい」
七原は即答する。
嫌な感じだ。
七原の能力は、どうにかならないものだろうか。
「分かった。私の話を聞いてくれるなら、その代わりに私の能力を回避する方法を教えてあげる」
……はあ?
自分の能力が通じなくなる方法を、俺なんかに教えるものだろうかと疑問に思う。
「いや、最初から、そうしないと戸山君は話も聞いてくれないと思ってたし。これを話せば、私の本気も理解してくれると思った。おねがい、戸山君。話を聞いて」
お手上げである。
ここまで懇願されると、駄々をこねるわけにもいかなくなる。
「分かったよ。話くらいなら聞く方向で検討する」
俺がそう言うと、七原は笑顔で頷いた。
「ありがとう。……じゃあ戸山君、回避方法を教えるよ。そこから少しだけ後ろに下がって」
「ああ」
俺は言われるままに後ろに下がる。
「あと三歩くらいかな。そう、そこら辺」
「これは何なんだよ?」
「これが私の力を回避する方法なの。私の力は、近くにいる人の心の声しか聞き取れない。距離で言うと、半径三メートルくらいね」
確かに、俺と七原の距離は、それくらいだ。
そんな単純な事で回避できるのだろうか?
と心の中で呟くが、七原は反応しなかった。
「七原、本当に聞こえてないのか?」
七原は頷く。
「本当に本当か?」
七原は再度頷く。
本当に本当に本当か?
七原は頷かない。
確かに心の声に反応しなくなった。
しかし、まだ信用はできない。
確かめる手段は無いだろうかと考え、一つアイデアを思いつく。
心の中で、七原が気を悪くするような事を言えばいいのだ。
七原が俺の暴言に少しでも反応を示したら、この回避方法が嘘だという事である。
バーカ! アホ! マヌケ!
考える時間が短かったせいで、クオリティの低い煽り文句になってしまった。
他に何か無いだろうか。
七原が思わず反応してしまうような言葉……ああ、一つ思いついた。
七原って貧乳だよな。
七原は眉一つ動かさない。
まず間違いなく、聞こえていないはずだ。
「別に心の声が聞こえなくても、悪口を言ってたことくらいは表情で分かるけどね」
七原の冷たい口調に、ぞわりと寒気がした。
「い、いや……」
「やっぱり、そうなのね」
俺の動揺から、七原は確信を得たようだ。
「何て言ってたのか気になる……聞かせて」
俺が許可していないのに、七原は一歩、また一歩と近付いてくる。
俺は後ずさりしながら言う。
「おい、やめろ!」
「そこまで慌ててるって事は、相当にひどい悪口なのね」
「それは反則だろ。これが結局、七原の能力の回避方法になってないって事になるからな。だから俺も話を聞くという方向で検討するって約束を撤回する事になるぞ」
七原は立ち止まり少し考え、「そうね」と言って一歩下がった。
命拾いである。
やれやれである。
「でも、何で三メートルって制限があるんだ?」
「単純に、これが私の力の限界って感じなんだと思う。実際に体調とかで、少しだけど距離が増えたり減ったりするから」
「なるほど」
「興味があるなら、私の力についてもう少し話すよ。協力してもらう上で、私の能力を知っておいてくれた方がいいと思うし」
俺は話を聞く事に同意しただけなのだが、いつの間にか、俺が協力するのが前提になってしまってるようだ。
それに文句はあるが、俺は黙って聞く事にした。
七原の能力に純粋に興味が湧いてきたという事もあるが、それを知っておけば、七原に対して圧倒的に不利な現状を切り崩せるかもしれないと思ったからである。
「さっきも言った通り、私の能力は人の思考を『読む』事じゃないの。他人の心の声を『聞く』って、感じ」
「普通に耳で聞くのと同じ感覚って事か?」
「うん。そういうこと。だから、私には相手が視覚的にイメージしている事は分からない。実際に頭の中で明確に言葉にしているような思考だけが聞こえて来るの。つまり、他人の独り言をずっと聞かされているって感覚ね」
「勝手に聞いておいて、聞かされてるとか言うのかよ」
すると、七原が不満げな顔をする。
「……だって、私には自分でこの能力を止める事が出来ないから」
「そうなのか?」
「うん。近くに人が来ると、自動的に声が流れ込んでくる。聞きたいときだけ聞けるってわけじゃないの」
七原は苦々しげに言った。
「割と融通が利かないんだな。強制的に心の声を聞かされるなんて、俺だったら音を上げてる。SNSのどうでもいい通知を、そのまま頭に埋め込まれた感じだろ?」
七原は、うんうんと首を縦に振った。
どうやら、お気に召す例えだったようだ。
「的を射てるって感じ。私の気持ちを分かってくれてありがとう。なんか胸がすっとしたよ」
その慎ましい胸がね。
「ん? 今、デリカシー無いこと、考えなかった?」
「いや」
俺は何とか真顔で対応する。
つーか、能力なしで、人の心の声を聞くなよ。
能力必要ねえじゃねえか。
能力を使っているかどうかに関わらず、七原の前では余計な事を考えないようにしておかないといけないようだ。
肝に銘じておこう。
「しかし、七原の能力って本当に大変だな。教室とか周りに人が一杯いる環境だと、うるさくて仕方ないだろ。そこには同情するよ」
「ううん。それは大丈夫。声が聞こえるのは常に一人だけだよ」
「一人って事はどうなるんだ? 一番近くにいる人とか?」
「注意を向けている人の声が聞こえてくるって感じかな」
「やたらルールが多くて複雑なんだな」
「ルールっていうか、これも私の力の限界ってことなんだと思う。私にもっと力があれば、沢山の人の声を聞けたんだろうね。あと、不必要なときに、能力を使わないという選択もできるようになれば最高だと思うんだけど……今のところ、私には無理みたい」
「なるほどな」
そこで、俺は気になっていた事を聞く事にした。
「七原は、これまで俺の心の声を聞いたことがあるのか?」
「そうね。戸山君の声を聞いたからこそ、戸山君に相談したいと思ったんだし」
「どのくらい?」
俺は更に突っ込んで聞く。
気になる所なのである。
俺だって、恥ずかしくて、のたうち回るような事を考えている事もあるのだ。
七原は言いづらいのか、少し困った顔になる。
「どのくらい?」
俺はもう一度聞き直す。
「分かったよ。言うから。実は、戸山君の声は、かなり頻繁に聞かせて貰ってるの」
「なんでだ? 俺の声を聞いて何の得があるんだよ」
「戸山君の思考は私の疲れた心を癒やしてくれるっていうか……」
癒やし?
七原の言い分は思ってもみないものだった。
「ロクでもない事を考えてるって自覚だったんだけどな」
「そんな事ない。良いところは一杯あるよ」
「例えば?」
「まず、余り考え事をしてないから静か」
「ボケッとしてるってだけだろ」
「ネチネチしてない。他人への不満が少ない」
「ぼっちだからだろ」
「何を言ってても、『ああ、そんなもんか』って感じで気にならない」
「俺に興味が無いからだろ」
「違うから! 別に悪い意味じゃ無いから! なんていうか、戸山君の考える事って結構納得させられるような事が多いの。私と考え方が似てるんだと思う」
と、七原は慌てた様子でフォローした。
「……それから、戸山君が私に好意を抱いていないってのも重要」
好意?
どういう事だ?
「むしろ好かれている方が、悪意を感じなくていいんじゃないのか?」
七原は少しだけ困り顔になる。
「……正直なところ、どうしていいか分からなくなるの」
「七原くらい人気があれれば、好意が面倒くさくなってくるって事か?」
七原は容姿もいいし、人当たりもいいから、好意を持っている男子生徒は無数にいる。
「違うって。好意を持ってくれてる事は嬉しいよ。でも、やっぱり……困ることもある。色々と……」
言葉を濁した七原の顔が、徐々に赤く染まっていく。
ああ、なるほど、そういう事か。
男子高校生の好意が純粋なものだけで済むわけがない。彼らは授業中に七原に関するエロい妄想をしているのだ。
「悪く思わないでやってくれ。高校生なんだから」
「別に悪いって言っているわけじゃないよ。勝手に声を聞いている私が悪いんだから」
でも、それなら対処法は簡単なはずだ。
「普通に女子生徒の声を聞けばいいんじゃないか?」
「それもそれで辛いことがあるっていうか……」
七原はクラスで人気がある。その分、同性として嫉妬している女子生徒も多いだろう。
考えてみれば納得である。
「それなら、目が悪いとか理由を付けて、前の方の席にしてもらって、教師の声を聞けばいいんじゃないか? 教師の心の声なら、そんな心配もないだろ」
「それも無理。私の能力は同世代くらいの人しか対象にならないみたいなの」
「それも力の限界って奴か」
「たぶん」
「七原の能力って制約ばっかりだな――俺しか選択肢が無いってのも分かったよ。でも、これからは俺の心の声を聞くのは止めてくれ。知ったからには、やっぱり耐えられない」
「分かってる。私の能力の話をしたからには、『聞くな』って言われるのは分かってた。でもそれに引き替えてでも、戸山君に相談したかったの」
「……分かったよ。能力の事も分かったし、七原の話を聞いてやるから」