排除
「じゃあ私はどうすればいいの?」
七原が俺に問いかけた。
「取り敢えず、向こうを向いて待っててくれ」
「何で?」
「今から準備するから」
「準備って見たら駄目なものなの」
「別に駄目ってわけじゃないけど」
「じゃあ見せて」
「見ても、大した事しないからな」
俺はそう言うと、さっきタックルを受けた際、咄嗟に放り投げたバッドケースを拾い上げる。
そして中から、楓に貰ったプラスチックのバットを取り出した。
「え? な、何? ちょっと待って」
「七原は目を閉じて精神統一してくれ。あとは、自分の能力が消えるように念じれば、OKだから」
「待って! 一旦落ち着こ? ね?」
「いくぞ!」
「待ってって言ってるでしょ!」
七原は目を閉じようとしない。
これでは駄目だ――儀式を執り行うことが出来ない。
「何を今更」
俺が言うと、七原は物凄く不満げな顔をした。
「いや、急にバット出されたら普通は驚くから。何をする気なのよ?」
「能力を排除するんだよ」
「私は、バットをどう使うのか聞きたいの。誤魔化さないで」
「大丈夫だ。危険は無い。ほら見ろよ。これ、軽いだろ?」
俺は七原の前で、バットを指で弾く。
トントンと軽い音がした。
「じゃあ、いくぞ!」
「無理無理! 勢いでやろうとしているから無理!」
七原が子供のように駄々をこねる。
「『子供のように駄々をこねる』じゃないわよ! もっと、ちゃんとした説明が必要だから!」
「俺を信じるって言っただろ」
「そうだけど、説明はしてよ。私には戸山君が中学生をバットでボコボコにしてたって情報が入ってるのよ!」
七原は藤堂が流していると言っていた俺の噂の一つを上げた。
「ボコボコじゃねえよ。一発だから」
「やっぱり、やってたのね。紗耶の言ってる事って意外に正しいのかも」
「これは必要な手順なんだよ」
「本当に?」
「ああ。本当だ。その中学生の時も能力の排除に成功してる。だから俺に任せてくれれば、いいんだよ」
「痛い?」
「あくまでも儀式的なものだから、痛みってほどの事はないと思う。かるーく叩くだけだ」
「どこを叩くの?」
仕方ない。
聞かなければ、どうしても進めないと言うのなら、仕方がないのだ。
「まあ身体の部位の中でも、割と柔らかい部分だ。だから痛みは少ない」
「それって、もしかしてケツバ……」
「いわゆる臀部って言うのかな」
「それってケツバ……」
「そうだよケツバットだよ! 悪いかよ!」
「認めたわね!」
「そうだよ! 俺は……ケツバットで能力を排除する。それが楓に与えられた俺の力だ。それ以外、出来ないんだ。じゃあ、いくからな!」
「待って。冗談だよね!」
冗談だったら、どれだけいいだろうか。
いや、冗談だとしても、これは嫌だ――悪夢である。
しかし、事実として、この手順を踏まないと排除が出来ないのだから、どうしようもない。
「本当にやるの?」
「俺だって嫌だよ。だけど、仕方が無いんだよ」
面倒だ。
本当に面倒だ。
男子中学生の時は、これほど言い争う事は無かった。
これが男子中学生と女子高校生の違いである。
「そもそも、能力を排除するっていうのは、他の業界では除霊とか解呪とか呼ばれる類いのものなんだ」
「オカルトね」
「そう。これは元来、時間やお金が物凄く掛かるもんなんだ。滝行したり、火の上を渡ったり、何年も山に籠もったり。物凄く高い壺を買わされたり、変な宗教に入信したり。それでも解決する事は、稀だ」
七原がゴクリと唾を飲む。
「それをこんなに簡単な方法で出来る。それでいいだろ?」
「楓さんも同じ事をしていたの?」
「七原って、本当に痛いところを突く奴だよな」
「聞かせて」
「……わかったよ」
決して語りたいような話では無いが、仕方ない。
「さっきも言った通り、俺は楓に排除能力の特訓を受けてるんだよ。楓が排除をするところも見学した。それは獣化した男だった」
「獣化?」
「肉体を強化する類いの能力が暴走すると大概、最終的に獣のようになるんだ。そいつは、もうほとんど人間の形をしていなかった」
「そんな酷い事に?」
「ああ、深化すればな。そいつは後悔していたよ。能力を望んだことを。何で人を傷つけなくてはいけなかったのか、と――すでに能力を排除する準備は整ってた」
「それでも自分では、どうしようもないものなのね」
「ああ。排除する力を持つ排除能力者が必要なんだ」
「で、どうやって排除したの?」
「楓はその獣に触れた。すると、そこから人間の形を取り戻し――」
「触れるって、そんな簡単な事で?」
「ああ、そうだよ。楓は化け物となった男を、それだけで簡単に元に戻して見せた」
「本当に?」
「本当だよ。そして、俺に同じ事をやってみろと言ったんだ。しかし、俺にはどうやっても無理だったよ。出来るわけないだろ」
「だね」
七原が同情の籠もった目で俺を見る。
「結局、俺は、いつまでたっても、それが出来なかった。そんな時、楓にバットを渡されたんだ。俺の力を引き出すアイテムだなんて言われて」
「そんなバカな」
「バカな話だと俺も思ったよ。でも楓は俺に有無を言わせなかった。俺は連日連夜、野球場に連れて行かれて、手の血豆を潰しながら素振りさせられたり、やたら球が重いピッチャーと一晩中、打撃練習させられたりした。もう、わけがわからなかった……だけど、その結果、俺は排除の力を習得したんだ」
知らず知らずに言葉に力が入っていく。
「『何で、ケツバットなんだよ』と心の中で何度も何度も叫んだよ。これは絶対おかしい! って。でも、その事実は変わらなかった。そして、真面目な顔で能力者にケツバットをする変態が誕生したんだ」
「戸山君も苦悩してたのね」
七原が、どんな顔をして良いのかわからないといった顔で頷いた。
「七原には、七原の心の弱さが能力に反映されてるって言っただろ」
「うん」
「俺も楓に言われたよ。『ノゾミ、これがお前のセンスなんだよ』と」
「それ、つらすぎるでしょ」
ケツバットが、お前のセンスなんだと言われた男子中学生は、世界中を探しても俺くらいのものだろう。
「こうやってケツバットの事で揉めている俺達を見たら、楓は腹を抱えて笑うだろうな……楓に、もう一度会ったなら、俺はこのバットで顔面を突いてやろうと思ってる」
「私も手伝うわ」
七原の目に強い闘志が漲る。
「七原、色々な感情はあると思う。だけど飲み込んでくれないか? このやり方は確かにおかしい。でも、力だけは本物なんだ。俺はもう、開き直ることに決めたんだ。変態と罵られようが、嫌われようが、この力は俺の力だ」
「そんな大きな覚悟があったのね」
「ああ、つらいけど、これが現実なんだ。世界は恐ろしいくらいに不公平だ。他に選べる選択肢は俺には無い」
「わかった。戸山君の力を受け入れるよ」
七原は力強く頷く。
「悪いな。全ては俺の未熟さが悪いんだ」
「大丈夫。私は我慢できる。戸山君が、どうしてもやりたいって言うのなら」
「やりたくてやってんじゃねえよ!」
俺は心から叫んだ。
「わかったわかった。ごめん。で、私は何をすればいいの?」
どうやら納得して貰えたようだ。
長かった。
本当に大変だった。
これでやっと目的を達成できるのだ。
この三日間の苦労が報われる。
俺は、やっとの事で気を取り直して、七原に語りかける。
「目を閉じて、集中してくれ。大事なのは能力を捨てる覚悟だ」
「うん」
「こんな力は必要ないだろ」
「うん」
「じゃあ少しだけケツを突き出してくれ」
「う、うん」
七原は戸惑いながら俺の指示に従う。
俺はバットを握る手に力を込めた。
『背中を押してやれ』
楓の言葉を思い出す。
能力は能力者の内なるものだ。
すべては本人次第。
だが、一歩踏み出すには、他の人の力が無いと駄目な時がある。
七原には幸せであってほしい。その為に手助けをしたい。
その思いを込めて、バットを強く握った。
そして、俺はバットを振り抜く。
すぱんっと芯を食った心地よい音が響いた。
「よし」
「お、終わり……なの? もう?」
七原は納得のいかない顔をしている。
「大丈夫だ。俺も納得いってないから」
「これだけの事なの? 戸山君がやりたかった事って」
「だから、やりたくてやった訳じゃねえよ!」
出来れば、やりたくない。
俺は、そう思っている。
「痛くもないし。呆気なさ過ぎる……本当に消えたの?」
「成功してると思う。まあ七原が本当に覚悟を決められていたのなら、って話だけど」
「それは大丈夫だと思う」
「試してみるか?」
「うん」
七原は頷く。
俺は心の中で七原への罵倒の言葉を並べ立てた。
バーカ! アホ! お前、結構面倒くさいんだよ! 無乳!
それでも七原は顔色を変えない。
特に最後の言葉に、七原が憤慨しないとは思えない。
「成功だよ。俺の心の声が聞こえなかっただろ?」
「そうね。ありがとう、戸山君」
七原が安堵した声で言った。
よかった。
本当に良かった。
そして、七原が心の声を聞いていない今だからこそ思う事がある――バットを握る手に残る柔らかな感触に、新たな世界への扉が開いてしまいそうなのだった。




