双子
「おはよう、お兄ちゃん」
朝、玄関を出ると、そこには麻里奈がいた。
「ああ、麻里奈か。おはよう」
「お兄ちゃん、待ってたよ」
麻里奈が相変わらずの、あざとい笑顔で言う。
「うん……」
「お兄ちゃん、あんまりしょんぼりした顔してたらダメだよ。七原先輩の為に頑張るんでしょ?」
「頑張るけど、色々複雑な思いがあるだろ」
「ダメ。あたしの大好きな七原先輩を守って」
「好きなのか?」
「好きだよ。嫌いなわけないじゃん」
好きか……それは良い事である。
まあ、麻里奈のこういう話は話半分で聞いた方がいいのだが。
「優奈は、どうなんだ?」
「うん? 優奈ちゃんも嫌ってないと思うよ。むしろ好きだと思う。仲良くなりたいと思ってるはず」
「本当か?」
「真面目で気配りができて不器用で。そんな人、普通好きになるし、応援したくなる」
「そっか……」
麻里奈は昨日初めて七原と会った。
しかも少しの時間だった。
あんまり楽しい話し合いとは言えなかった。
しかし、それでも七原は好かれたようだ。
少しだけ、ほんの少しだけ涙腺が緩んでしまいそうになる。
……疲れてるな、俺。
嫌な夢を見た所為だろうか。
「だから、お兄ちゃん。頑張って全てを丸く収めてよ」
「そうは言うけど、どう転んでも七原と仲良くっていう話にはならないだろうな……頑張るけどさ」
「だから、そこも諦めちゃダメ。お兄ちゃんなら出来るから。お兄ちゃんは、あたし達のヒーローなんだよ」
麻里奈は俺の顔を覗き込むような仕草で言った。
「麻里奈、思っても無いこと言うなよ」
「えー! 思ってるよー!」
「麻里奈は嘘つきだからな」
「それを、お兄ちゃんが言う?」
麻里奈は、そう言って、頬を膨らませた。
「まあそうだな。俺の方が嘘つきだった。でも一番嘘つきなのは優奈だけどな」
そう言った後に『しまった』と思う。
口を滑らせてしまった。
麻里奈に優奈の悪口を言うと――。
ドタドタという音がする。
そして今の今まで変わらぬ笑顔を浮かべていた麻里奈が、さっと上月家の玄関ドアを開く。
そこには既にバットを上段に振りかぶった優奈がいた。
次の瞬間、バットが振り下ろされる――その一撃を思いっきり額に喰らった。
唯一の救いはそれがプラスチック製のバットだということだろうか。
ぽこっ、という軽い音が響き渡ったのだった。
「俺が悪かった。もうやめてくれ。命だけは!」
「そこまでしないわよ。でも次は無いから」
優奈が冷たい声で言う。
それにしても……。
「何、絶妙な連係プレーしてるんだよ。麻里奈」
見ると、麻里奈は笑い転げていた。
「ごめん。優奈ちゃんが、そうしろって言ったの。でも、ドアを開けて優奈ちゃんを見たときのお兄ちゃんの顔――最高だった――あはははは」
中々笑いを堪えられない様子だ。
テレパシーって、つくづく面倒な能力だな。
「優奈、たしかに俺が悪かったよ。だけど俺のバットを雑に扱わないでくれ」
優奈が手にしているバット。
それは上月家の六本のバットの一つではない。
俺が、ちょいとした知り合いにもらったプラスチック製のバットなのである。
その知り合いの事は死ぬほど嫌いだが、そのバットは大切な物なのだ。
「分かってるわよ。次は気をつける」
優奈は珍しく反省した様子だ。
そんな優奈をよく見ると、悪口を言われて慌てて出てきた所為か、下は制服のスカート、上はパジャマというアンバランスな姿だった。
パジャマは麻里奈の趣味なのだろう。白系で思いのほか可愛らしいデザインである。
「ずいぶんマニアックな格好で登校するんだな」
また、ついつい軽口を出してしまう。
「何言ってんのよ!」
優奈はバットで俺を殴った。
「何度、同じ事するの?」
いつもあざとい笑顔を絶やささない麻里奈が、さすがに呆れ顔になっていた。
……しかし惜しい事をした。
もう少しだけ遅いタイミングで悪口を言えば良かったのに、と思う。
あと少し遅ければ、あのパジャマに手を掛けた後だっただろう。
サイズ的には麻里奈の方が良いが、優奈といえども十分に目の保養になるだろうに。
「麻里奈。わたしは一時撤退するから。このクズに気を許さないようにね。こいつを見ては駄目、話を聞いては駄目。五感の全てを閉ざしなさい」
「了解!」
麻里奈が敬礼すると、優奈は、こくりと頷いて自分の家に引っ込んだ。
「了解で、いいのかよ」
「寝ぼけてるときの優奈ちゃんは、いつもより無茶苦茶だからね。うんうんと話を聞いておけばいいの」
麻里奈に「いや、いつもあんなんだろ」と言おうものなら、再び優奈が登場するだろう。
だから今は言わない。
いや、待てよ。
むしろ今のタイミングはベストかもしれない。
優奈は慌てて着替えているだろうから……でも、まあ今日はやめておこう、と思うのである。
今は病院に担ぎ込まれているような場合じゃないのだ。
「じゃあ、俺は行くからな」
「待って、お兄ちゃん。優奈ちゃんから伝言」
「何て?」
「『頑張ってね』って」
麻里奈は上目遣いで、あざとく言った。
優奈は絶対そんな言い方をしないと思うが、それも指摘せずにおいた。
俺は急いでいるのだ。
「わかった。頑張るよ。じゃあ学校でな」




