優奈
「――そして、三津家は父親の罪を被って自首をした。今日、そういう諸々の事実が明らかになったんだよ。で、父親の自白もあったし、疑いの余地も無くなったって事で、二人の能力を排除して来た――今日は、そんな長い長い一日だったんだ」
三津家について、色々と邪推されても面倒なので、簡単に事情説明をした。
優奈は視線を宙に浮かせ、言葉を失っている。
まあ、当然か。父親の死について、幾つかの認識を覆されたのだ。
「三津家の父親は、公正な裁判によって裁かれるよ。近々、優奈達にも当局から連絡が来て、詳しい話が聞けるはずだ」
「……わかった。話は理解したわ」
「こんな事実が出て来るなんて思わなかったよ」
「そうね。ただ……」
「ただ?」
「一つ言える事は、泣いたって喚いたって過去は変わらないって事ね。真実が分かったからっといって、父は帰って来ない。私達の心が癒やされる事は無い」
「そうだろうな」
優奈と対面するソファに腰を下ろした俺は、背もたれに身を預け、彼女の次の言葉を待った。
別の話題に変えるつもりは無い。
この件について、優奈が何を語るか――それを注視することは彼女の心持ちを知る上で重要であるからだ。
「結局のところ、能力者が加害者で、排除能力者が被害者だったって事か……」
「孝次さんは排除能力者だったし、まあ、そういう事だよな」
「だったら、能力者の私に何かを言う資格なんて無いね。能力者の身勝手に振り回された挙げ句、父は死んだんだから」
「そりゃあ、そうだけどさ」
「それでも私は悔い改める気なんて無いから。あんたが私達を排除するっていうなら、無抵抗は有り得ない。そのあたりは理解しておくべきだと思う」
切り替えて、自分の主張をする所が優奈らしい。
「わかってるよ。そんな事にならないように努力する」
「ありがとう……それから、この件で、あんたを疑った事は謝罪するわ。ごめんなさい」
優奈が謝るとは珍しい。
それだけ精神的に追い込まれているという事だろうか……いや、それだけでもないと感じる。
そういえば、俺に対する態度も幾分か和らいでいる。それだけ、放火事件の解決が優奈にとって大きなものだったという事だろう。
しかし、こういう事になると見越して、さっき楓がニヤニヤしていたんだとすると……激しい苛立ちを覚える!
「気にするなよ。俺も今日知った事実だから」
「……うん」
優奈は気を取り直すためか、一つ咳払いをして、再び口を開いた。
「あと、三津家さんの話は麻里奈に喋らないで欲しいの、ショックが大きいと思うから。父の話は出来る限り、蒸し返したくない」
「優奈が言うなら、そうするよ」
麻里奈は三津家や父親の事をどう認識しているのだろう――それも気になるところだが、こうやって釘を刺された後に探りを入れるのは危険である。
この件に関しては大人しくしておこう。
「で、あっちの方はどうなってるの?」
優奈が伏し目がちに俺を見た。
「あっち?」
「その当局って所には私達が能力者だって事はバレてないかって事」
そっちの話か。
なるほど。優奈に話していたのは、他にも排除能力者が現れたって段階までだった。そこから、いきなり当局云々の話になれば不安になるのも当然だ。
「ああ、バレてないよ。優奈達の能力はバレるような類いのものじゃないだろ。身内から情報が漏れなければ大丈夫だ」
「そうは言うけど……っていうか、そもそも当局って何なのよ?」
「暴走する能力者を排除するための機関だよ。一般向けにどういう名前で通ってるかは聞かされてない。知る必要も無いしな」
「そんな連中と関わってたら、情報漏洩のリスクは高まる一方でしょ」
「いや、全体としてのリスクは下がってると思うよ。当局は人員が足りないと判断した地域に、排除能力者を配置する為のものだ。俺は今まで通り、裏で能力者を排除しつつ、当局の依頼にも応えていく。そうすれば、当局が大きな動きをする事は無い。当局にとってみれば、小さな街の小さな事件だ。過剰に心配する必要は無いと思う」
優奈が納得いかないという顔で俺を見る。
「でも、それでも情報が漏れてしまったら……私達は終わりなのよね」
「俺と優奈達で小芝居をして、排除をしたフリをするって手もある」
「またそんな無茶な事を」
「いや、全然可能だよ。やる前から諦めるなよ」
「あいにく、あんたみたいに蛇口をひねれば嘘が出てくるような不思議な体じゃないの」
「最終的には気合いの問題だよ。気力さえ保てれば、嘘を続ける事なんて簡単だ」
優奈は何度目かの溜息を吐いた。
「とにかく、情報漏洩をしないように努めるしかないのね」
「それについても、考えてみれば、割と大丈夫だと思うんだよな。俺だって、優奈達の能力の本質的な部分は理解していない。真実を知っているのは楓だけだ。楓は情報流出なんてヘマはしないよ」
「あの人は今、どこで何をしているの?」
優奈は楓の事を『あの人』と呼ぶ。
「この街に帰って来てるよ。何をしてるかは分からないけど」
「そっか。帰って来てるのか……事によると、ややこしい話になってるのかもしれないね」
「あいつは、そこにいるだけで、ややこしい存在だからな」
「そんな話をしてるんじゃないの。あの人はあの人で色々と考えがあるんだし」
何故だろう。
優奈の声音からは楓に対する敵意を感じなかった。
「俺達って、共通の敵が楓だという認識だけは一致してたんじゃないのか?」
「……そうね。この際だから、そっちの話もしておく。一年半前、あの人が私達のカウンセリングに来てた頃の話だけど」
「俺が楓に排除能力を与えられていた時期だな」
「ええ――あの日も、今日みたいに麻里奈が体調を崩してて、早い時間から眠ってた。そんな時、突然、あの人がウチを訪ねて来たの」
「用件は?」
「カウンセラーとしての仕事の終了通知ってところね。あの人はストレートに言ってきた――私の力ではユウナとマリナを救う事が出来ない、って」
「へえ。知らなかったよ。楓も、ちゃんと優奈に一声掛けてから居なくなったんだな」
「いやいや、全然、ちゃんとしてないから。私が『突然、そんな事を言われても困る』って言っても、あの人は『急に街を離れる事になったから、どうにもならない』と言って、さらに『帰るか、帰らないかも分からない旅だよ』なんてセリフを付け加えた!」
当時の怒りがフラッシュバックしているのか、優奈は顔を真っ赤に染めている。
「お怒りも、ごもっともだな」
「そうね。意味不明も、いい加減にしてと思ったわ。だけど、まだまだ、あの人の正気を疑うような話は終わりじゃなかった」
「何だよ?」
「私達姉妹の事を戸山望に全て『任せる』って。『ユウナ、心配しなくてもいい。ノゾミなら何かを変えてくれるはずだから』って」
「残念だけど、それが楓の正気だよ。可能かどうかなんて考えてないんだろうな――で、それで優奈は、すぐに引き下がったのか?」
「そんな訳ないじゃない。でも、あの人は一方的に喋り続けた。『ノゾミは確かに頼りないかもしれない。平然と嘘をつくし、何を考えているかも分からない。コミュ力も無いし、体力も忍耐力も無い。ぼっちなのに冷たい言葉で他人を遠ざけたりする。クズの中のクズとは、あいつの事だ』」
「す、すげえ言われようだな」
「『でも、その代わりにノゾミは、人を『変える』力を持っている。ユウナの周りで、何かを変える事が出来る人間がいるとすればノゾミしかいない』」
優奈は立ち上がり、俺に背を向けた。
「その後、あの人の言った通りになった。さっきも言いかけた話だけど、あんたがいなければ、私達は既に排除されていたでしょうね。その点で言えば間違いなく、感謝はしているの」
「感謝か。感じ取った事は無いけどな」
「あんた達の言いなりになってる状況が……この状況が本当に正しいのかどうか分からないから」
「まあ、そうか。迷いが生まれるのも当然だな。今、この時も俺と楓に騙されている真っ最中かもしれないし」
「そう……」
この目の前の少女は、今までどれだけ苦悩してきた事だろう。
後ろ姿で、顔こそ見えないが、優奈がどんな表情をしているかは簡単に想像できた。
「でも、俺と楓は――いや、楓は何を考えてるか分からないから割愛するよ――少なくとも俺は、優奈と麻里奈の幸せを願ってる。その為に今まで努力してきたし、これからだって、それは変わらない。俺は最後まで絶対に諦めないつもりだから」
俺の言葉に、優奈は小さく首を横に振る。
「期待なんてしない。期待なんて出来ない。期待するなんて烏滸がましい……だけど、今まで、あの人が言った事は全て正しかった。だから、わざわざ、あんたの足を引っ張るような事はしないと決めてるだけ。ただ、それだけの事なの」
「消極的肯定って奴だな」
「そうね。まさに」
返す返すも、さっきの楓のニヤニヤ顔が腹立たしいと思うと同時に、彼女もまた他人の心の声が聞ける能力者なのではないかと思ってしまう。
楓の根回しがあったかこそ、俺と優奈は絶妙なバランスで関係性を維持することが出来たのだ。
「なるほど。これでお互いの立場がはっきりしたな。いつまでたっても優奈との溝が埋まらないなと思ってたけど、そういう事だったのか」
「私は最大限、あんたに合わせてたから。私に好意があるっていう嘘にだって……」
「あれが最大限かよ」
「私の心の声は麻里奈に筒抜けなの。その一方で、排除能力者のあんたに対しては猜疑心や嫌悪感が心の内から湧き上がってくる。取り繕うのが精一杯だったのよ」
「ああ、そういう事か。ややこしいな」
能力が関わってくると本当に面倒だ。
「言っておくけど、麻里奈が悪いと言ってるわけじゃないからね。麻里奈に余計な心配を掛けたくないってのは、私の我が儘だから」
「って事は、この楓の話も麻里奈は知らないって事なんだな」
「ええ。そうよ。だから、この話も麻里奈には黙っておいて」
優奈は強い目で要求して来た。
「ああ。わかったよ」
「勝手な話ばっかりで悪いと思ってる。だけど……」
「いや、大丈夫だよ。今回、改めて優奈と話が出来て良かった」
「本当に?」
「ああ。本当だよ。色々と腑に落ちなかった事も理解できたし、麻里奈が優奈と楓の遣り取りを知らなかったって言うなら、麻里奈は純粋な気持ちで俺を慕ってくれているって事だろ? それが確認できたから」
重たい空気も辛くなって来たので軽口でも――と、そんな事を言う。
「そうね。これもさっきの話だけど『姉に好意を抱いている人』ってくらいの距離感が心地よかっただけでしょうね。それ以上でも、それ以下でも無く」
「水を差すような事を言うなよ。せめてもの救いなのに」
優奈は憮然とした顔で俺を見た。
「本当に、それが救いだったら、いいんだけどね」
「え?」
「本当に、それが救いだったら、いいんだけどね」
繰り返すなよ。こええよ。
「って事で、明日は学校に行く前にウチに寄ってって」
「って事でって、どんな事だよ?」
「麻里奈は、あんたが来たら純粋に喜ぶの。だから、見舞いに」
「朝から?」
「さっきも言った通り、最近は色々あったし、おむずかりだから」
「わかったよ。機嫌でも取りに行くよ」
俺がそう言うと、優奈は、張り付いたような笑みを浮かべ、一つ頷いた。
解説するなら、私を裏切ったら許さないというところだろう。
こえええ。この笑顔こえええ。
「ありがとう。じゃあ、明日ね」
「ああ」
優奈が部屋を出て行った後、程なくして、外から鍵を掛ける音がした。
俺は大きく息をする。
こえええ。何だかんだで笑顔が一番こえええ。
……。
まあ、怯えてても仕方ない。
体力回復のために、今は、とにかく早く寝るべきだ。




