夢を見た
夢を見た。
夜、俺達は野球場にいた。
照明塔からは煌煌と光が降り注いでいる。
「勝手に照明まで使って大丈夫なのかよ」
「大丈夫だよ。許可は取ってあるから」
楓は、そう答えた。
「だったら、いいけど……」
だとすると、合点がいかない事が一つある。
「じゃあ何で俺たちはフェンスを乗り越えて入ってきたんだよ。ちゃんと入り口から入れば良かっただろ」
「ああいうのを青春って言うんだろ? ……違うの?」
違うという事だけは確かだ。
「大人の女性がする事とは思えない」
「大人の女性だってフェンスをよじ登りたい夜があるんだぜ」
楓は真面目な顔でそう言った。
楓は時々冗談なのか本気なのか分からないテンションで、そんな事を言う。
俺は冗談であってくれと祈るしかなかった。その方が幾分かだけマシだ。
楓は今日もいつもと同じく黒系のズボンタイプのスーツを着ている。
童顔だから、あまり似合っていない。
年齢は、ざっくり二十代といった感じだ。前半と言われれば前半だし、後半だと言われれば後半。
そして、楓の一番の特徴は、その目の覚めるような赤い髪である。
出会った時は本当に驚いたものだ。
この頭でスクールカウンセラーを名乗っていたのだから、どうかしている。
その赤い髪も何度か見る内に、慣れてしまっていた。
だが、今日はスポーツをするからだろうか、いつもとは違って髪を後ろでまとめている。
それに少しドキッとしてしまった自分に嫌気がさした。
「で、何で俺は、こんなところに連れてこられたんだよ」
「決まってるだろ。ノゾミを一人前の打者にする為だ」
「いや、まったく話が見えてこないんだけど」
俺は、そんな事を頼んでない。
そもそも俺は野球をやらないし、これからする予定もない。
そんな俺が何故、一人前の打者にされなきゃならないんだろう。
「俺は野球のルールさえ、ほとんど知らないんだぞ」
「真っ直ぐボールを見て、振り抜けばいい。それだけだよ」
「だから、何で野球をするのか教えてくれ」
「うだうだうるせえよ。今のノゾミには、これが必要なんだ」
そう言ってバットを振る。
スーツのままフェンスをよじ登る姿はシュールだと思ったが、バットを振る姿もまたシュールだ。
「あたしを信じてないのか?」
当然だ。
俺は首を縦に振る。
「じゃあ実際に打って見せてやるよ」
俺が言いたいのは、そういう事じゃないんだが……。
楓はマウンドに立っている男に向かって手を振る。
「一球、お願いします!」
さっきから――いや正しくは、この野球場に忍び込んだ当初から疑問に思っていた。『ユニホーム姿でマウンドに棒立ちしているあの男は何なんだろう?』と。
楓が何も言わないから、俺にしか見えてないのかと思ってた。
「あの人は誰だよ?」
「なんでも『最多勝』らしい」
楓はドヤ顔で言う。
「名前は?」
「さあ」
「何で肩書きしか知らないんだよ。絶対に騙されてるからな、楓」
そんな事を話していると後ろで物音がする。
振り返ると、二メートルはあるだろうという外国人が、ユニホーム姿で立っていた。
「カエデサン。オヒサシブリデス」
片言である。
「この人は誰だよ?」
「聞いて驚くなよ。助っ人外国人ってやつだ」
楓は、またもドヤ顔で言う。
「だから何で、ざっくりとしか知らねえんだよ! 騙されてるから!」
「そう言うなよ。今も続々と助っ人が、この球場に駆けつけてくれているんだぞ」
「全員に連絡して、帰ってもらえ!」
そんな事を話している間に、助っ人外国人はキャッチャーマスクを身につけていた。
そのポジションが助っ人外国人である必要があるんだろうか。
「じゃあ、あらためて」
そう言いながら楓はバッターボックスに入る。
「最多勝さーん! 一球、お願いしまーす!」
楓が言うと、マウンドの男は、思いのほか綺麗なフォームでボールを投げた。
ボールは一瞬で楓の前を通り過ぎていき、助っ人外国人のミットに収まった。
球速が凄すぎてボールを目で追う事が出来なかった。
楓は少し悔しそうな顔をして言う。
「あんたも本気って事か。じゃあ、こっちも本気を出すしかねえな」
そして、俺の方に振り返った。
「ノゾミ、しっかり見て、目に焼き付けとけ。次はホームランだから」
ひりひりとした緊張感が漂う。
そんな中、先程と寸分違わぬフォームで男がボールを投げた。
楓も負けず劣らず綺麗なフォームで打ち返す。
ボールは綺麗なアーチを描いて、バックスクリーンに飛び込んでいった。
「そんな細い腕で、何であんなに飛ばせるんだよ」
俺が呟くと、楓が振り返る。
「パワーじゃない。気持ちで持っていくんだ。野球で一番重要なのはイメージなんだ。綺麗なアーチを思い描け」
楓は、もっともらしい事をいうが、それだけで打てるわけがない。
振り遅れず、ボールを芯で捉えた事に楓の底知れなさを感じた。
楓は俺の方に歩いてきてバットを差し出す。
「次はノゾミの番だよ」
「ノゾミの番だよ、じゃねえよ。だから何で俺が野球をする事になってんだよ。そこから分かってないんだよ!」
「答えなんて、誰も教えてくれねえよ」
「お前が教えろよ!」
楓は、いつだって何の説明もしない。
「迷って分からねえときは、とにかく前に打てばいいんだよ」
「また、もっともらしいだけの発言だな」
「うるせえ。そこに立ってバットを構えればいいんだよ」
そして楓はマウンド上の男に手を振る。
「最多勝さん。こいつをビシバシ鍛えちゃって下さい。病院送りまでは大丈夫ですから」
「駄目だよ! 俺は受験生だよ!」
俺が抗議をしても、楓は、まったく意に介さない。
俺は強引にバッターボックスに押し込まれた。
一球、二球、三球……。
楓の時と比べれば相当に手加減してくれているのだろう。球速が、かなり抑えられている。
それでも最初の内は、振る事さえ出来なかった。
マウンドの男は毎回、寸分違わず、まったく同じコースに投げて来る。
それに段々と目が慣れていく。
タイミングは徐々に分かるようになってきた。
投球フォームが始まって、三秒後に振り始めれば間に合うとか、そういう感じである。
しかしボールが重い。
威力に負けてしまう。
「いいか、ノゾミ。ボールを打ち返すんじゃないんだ。ボールの背中を押してやるつもりでバットを振れ」
「ボールの背中って何だよ? 意味わかんねえよ」
楓への不満は沢山あった。
だけど、それでも楓が言った通りに、俺はバットを振り続けた。
そうやって楓に従っているのは、楓を信頼しているからでは無い。
一人前の打者になりたいからでもない。
文句を言ったら、楓にケツバットをされるからなのだ。




