選択
「玖墨さんの事を御存知でないのでしたら説明しましょうか? 玖墨さんは――」
息子の玖墨柚人の事を語り、少し粘ってみたが、根岸は受け答えをする気も無くなっているようだった。
仕方なく話を終わらせて院長室を出るが、根岸は着いて来なかった。
出迎えはあったが、見送りは無いようだ。
病院を出ると、辺りは暗くなり始めていた。
肺の中の重たい空気を、静かに吐き出す。
心の奥に、ざらざらとした感触が残り、気持ちが動き出さない。
もっと上手くやれなかっただろうか。
こういう事があると、いつだってそう思う。
まあ、悩んでいても仕方ないか。
後で考えてみれば、間違った選択だったという事になるかもしれない。
しかし、今の俺としての最善を尽くすしかないのである。
もう手慣れた流れで、霧林のミニバンに乗り込む。
今度は三津家を助手席にしようと後部座席に座った。
俺なりにでも、気を遣っているのである。
「さて、次はどうするかだけど……どうしよっか?」
霧林が気持ちを切り替えるように、ことさら明るく言った。
「ちょっと待って下さい。まだ、話しておきたい事があります」
三津家が声を上げる。
「何だよ?」
「さっきの話、俄には信じられません」
「大輔さんが玖墨父だって話か?」
「はい。さすがに無茶じゃないですかね。先輩は、何の根拠があって、あんな事を言い出したんですか?」
「アルコール依存症、行方不明、大体の年齢、遺伝的に能力者であった可能性――色々と合致している部分があったからだよ。的外れだって構わない、カマを掛けてみるかと思ったんだ。そうしたら見事にヒットしたってわけだ」
「根岸院長は『玖墨』という名前に驚いていただけって事も考えられますよね。別件で、玖墨さんのお父さんと関わっていて、その件は隠蔽しなければならなかったという可能性もあります」
「そうだな。そういう風にも考えられるけど、それで、根岸があれだけ狼狽するかって話だ」
「確かに……いよいよと、難しい話になってきましたね」
三津家が眉間に皺を寄せた。
その表情は愛らしいと言えなくも無い。
「でも、悪い事ばかりじゃないだろ。大輔さんが玖墨父だったら、良い変化ってのもあるんじゃないか?」
「良い変化とは?」
「お兄ちゃんが出来る。柚人お兄ちゃんだ」
「は? はあ!?」
まったく想定してない事だったのだろう。三津家が大きく目を見開いた。
「まあ、大輔さんが玖墨父だという確証は無いから、過度な期待はせずに待っててくれって話だけど」
「すみません。ちょっと外の空気に当たりたくなったので、出て来て良いですか」
「だから、まだ本当か分かってないことだから期待はするなよ」
「いや、期待というか……急に兄が出来た事が、私には無いので、それが良い事なのか分からないんです」
「皆、そうだろ」
「言われてみれば、そうですけど」
「別に玖墨が兄になるのは、そう悪い事じゃないだろ?」
「そうですね……玖墨さんと会ってみた感じでは、悪い印象はなかったです――ただ、玖墨さんはどう思われるでしょうか。私が何をしたかを知れば……」
「俺は玖墨が兄だって言われるより、三津家が妹だって言われた方が嬉しいけどな」
「ですが、私は……」
「だから、両方の事件を知ってる俺が、三津家が兄妹の方が良いって言ってるんだよ」
「また口先だけで、そんな事を言って」
「いや、本心だよ」
「ど、ど、動揺させようなんて、その手には乗りませんよ」
「してると思うけど。その言葉が動揺してると思うけど」
「先輩が驚かせるのが悪いんです。突然、小深山るのは、やめて下さい」
いつの間にか、『小深山る』という動詞が出来ていたらしい。
「三津家さん、僕からも話して良いかな」
霧林が笑みを浮かべて、諭すように語り掛ける。
「取り敢えず、家族が増えるのは良いことだと思うよ。心が許せる大切な存在になるかも知れないし、性格が合わないのなら、会う必要も無い。気楽に考えればいいんだよ。まだ血のつながりがあるか判明したわけでもないし」
「そうですね。霧林さんの言う通りです。冷静になるべきですよね」
俺も同じ事を言ったが……。
まあ、そんな事は、どうでもいい。
今、必要なのは真実を知る事だ。
「霧林さん。急ぎで、大輔さんと玖墨父が同一人物かどうか照合する事は出来ませんか?」
「うん。写真は残ってたし、今日中にでも、ざっくりとした答えは出せると思うよ。手配しておくね」
「ありがとうございます――じゃあ、取り敢えず、この話は終わりにしましょう」
霧林の横で、三津家が口を真一文字に結んで頷いた。
三津家にとって、これほど振り回される一日も無いだろう。
頑張れ、妹。
「さて、次は牛岡さんのところに行くんだったよね」
そういえば、牛岡はどこにいるのだろう。
能力者関連の逮捕なので、砂見病院だろうか。
「牛岡さんは、今どこに?」
「西署に留置されているよ」
「そうなんですか。じゃあ、すぐ近くですね」
「うん。話は通してあるから、さっそく出発するね」
「ちょっと待って下さい」
再び三津家が声を上げる。
「何だよ? 次は」
と、問い掛ける。
「符滝さんという方も救急担当だったんですよね。だったら、符滝さんにも話を聞いた方がいいんじゃないですか」
なんだ。その事か。
それは考えるまでも無い事である。
「今はいいよ、別に」
「根岸院長が言ってることが本当とは限らないじゃないですか。チュウタロウさんが院長に悪感情を抱いているというのも演技で、偽の情報を掴まされている可能性もあります」
「符滝さんだって同じ事だろ。手を回すなんて簡単だ」
「それでも、符滝さんの御意見も聞いておいた方が良いと思います。手順として」
「符滝さんなら、後で話をするよ。今は牛岡さんの方が優先だ」
そう言って、霧林の方へ視線を向ける。
「霧林さん、車を出して下さい。早いところ、西署に行きましょう」
「そうだね。タイムリミットは迫ってるんだ」
霧林は頷いて、ハンドルに手を置き、エンジンを掛けた。
外を見ると、駅前通りは帰宅ラッシュだからか、少し混雑気味である。
「タイムリミット? お二人は、何でそんなに焦ってるんですか」
「柿本さんが来るからだよ」
「柿本理事官が来るからだよ」
俺と霧林が同時に答える。
「柿本さん?」
「ああ。栄一さんの事にも詳しい柿本さんが来れば、強力な味方になるとは思う。だけど、その一方で、今までみたいに自由に動き回れなくなりそうだろ?」
「……まあ、確かに」
「それだけじゃなく、理事官が到着した時に、目に見える成果があった方が良いと思っちゃうよね」
「霧林さん、その積極的だか、消極的だか分からない意見は何なんですか」
横顔で苦笑いを浮かべている霧林に代わり、俺が口を開く。
「大抵の男は、ハスキーボイスの女上司キャラに弱いんだよ。統計にも示されてる」
「どこの何の統計ですか」
「誰が調べても同じ結果になるさ――とにかく、実際問題として柿本さんが陸浦さんの本性を暴けなかったのも事実だ。だったら、今のうちに悔いが残らないように出来る限りの事をしておきたい」
「言わんとしていることは分かりますよ。ですが、やはり心配なんです。こんなに急ピッチで話を進めていくのは良くない。もっと一歩一歩を確実に押し進めていくべきです」
「結果を急いでいるのは事実だけど、ちゃんと思慮を持って行動してるよ」
「今日の先輩は、そこが信用ならないと言っているんです」
「何でだよ?」
と、問い掛けるが、三津家の気持ちは分からなくもなかった。
「先輩は七原さんが帰ってくる前に、栄一さんの事を片付けようとしてませんか? ここに居るのが七原さんでも、この手順で話を進めていましたか?」
「三津家さん、嫉妬かい?」
霧林が茶々を入れる。
「違います! 逆ですよ逆!」
かぁと音が出るんじゃないかというほど、顔を紅潮させる三津家。
「逆ってのは?」
「先輩にとって七原さんが最高のパートナーだと思ってるという事です! 七原さんの存在は先輩がスピードを上げすぎたときの為のブレーキになってるんです!」
「三津家って、よく俺を乗り物に例えるよな」
「そんな事はどうでもいいです!」
確かに本当にどうでもいい。
「まあ、三津家の言う通りだよ。七原の居ない内に解決したいって思ってるのは否定できない。だけど、柿本さんの事もあるし、一人でやってる時だって、この手順で話を進めていたと思う。陸浦栄一をナメちゃいけないんだ」
霧林がハンドルを切りながら頷いた。
三つ先の信号の手前に米代西警察署がある。
渋滞中だが、五分もあれば到着するだろう。
「そうだね。今はちょっと、ふざけちゃってたけど、僕達の捜査対象は栄一さんなんだ。それを考えると、一分一秒だって無駄には出来ない」
俺も三津家も黙り込み、次の発言を待った。いつになく、霧林の口調に力が籠もっていたからである。
「犯人であるにしろ、無いにしろ、それは絶対に忘れてはいけない事なんだと思う――陸浦栄一という男はバケモノなんだよ」
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