根岸
「ちなみに、事件当日、根岸さんがどこで何をしていたのかを知りたいんですけど、覚えてますか?」
「ええ。あの日のことは霧林君にも何度か話してますし、覚えてますよ――私は、この院長室で仕事をしていました」
根岸は俺の質問に気を悪くするでもなく、すんなりと答えた。
当局に居たという事もあって、こういう手順に不満を抱かないだろうか……もしかすると、不機嫌になって、怪しいという印象を持たれる事に警戒しているのかもしれない。
「三津家大輔さんの件を知ったのは、いつですか?」
「身元不明の患者が搬送されて来たとの連絡で、一階に降りました。念のため言っておきますが、その時、私は三津家さんの容態を確認したわけではありません。なので、私から彼の病状に関して言えることは何もありませんよ。符滝君と田中君に任せてましたから」
「根岸さんは何を?」
「外的な対応を取り纏めたという感じですね。何せ、身元不明ですから」
「なるほど」
「その後、警察から担当の方が来たんですが、『仮に意識が戻ったとしても、回復が見込めるような状況ではない』というような話をして、しばらくは様子見という結論に至りました。キャッシュカードの事に関しては、その時に話しましたよ」
「そうですか」
まあ、今更、新しい情報が出て来るとは思っていない。
当日の根岸の動きが確認できたなら、それで良いという話だ。
根岸も、俺の表情を見て納得したのが分かったのだろう。
一つ頷いて口を開く。
「三津家さんに関して補足することは無いですね。ご質問があるなら、何でもお答えしますけど」
「その事は、もう大丈夫です――あと、根岸さんに話して頂きたいのは、陸浦栄一さんの事ですよ」
根岸の表情の変化を観察しながら、語り掛ける。
根岸は、ぐっと目に力を入れて、視線を返してきた。
「陸浦さんですか……何故、私に陸浦さんの話を聞こうと?」
訝しげな面持ちの根岸に、霧林が顔を向ける。
「ああ、それは僕が戸山君に、院長と陸浦さんに親交があるという話をしたんですよ」
「……なるほど。そういう事ですか。以前に霧林君にも話した事がありますよね。私は当日、陸浦さんが裁判に出廷する為に帰って来ていた事を知りませんでした」
「そうでしたね」
頷く霧林に向ける根岸の目には、一瞬だけ怒りが見て取れた。
根岸は陸浦栄一を恐れていて、彼の話を持ち出されたくないというのもあるのだろうが……それだけでは無いように感じられる。
「個人的な感情を排しても、私としては陸浦さんを疑うことには消極的ですよ。霧林君も言ってたじゃないですか、陸浦さんにはアリバイがあると」
「その証言者が、どうにも信用できない人物なので」
霧林が続ける。
「そうなんですか?」
「はい。その人物に関しては別件で捜査中なので、詳しく言及するのは避けますけどね」
「……わかりました」
「話を陸浦さんに戻しますと、陸浦さんはその日、十九時の電車に乗車したと証言しています。実際に陸浦さんが当局本部に帰り着いた時間を考えると妥当なところです」
「移動時間は誤魔化せるものでないですからね」
「はい。裁判が終わったのは十二時なので、十二時から十九時まで、事実上は七時間の空白があるって事です」
根岸の目が泳ぐ。
根岸自身が追い詰められているような顔だ。
「七時間もの空白ですか……それを聞いたら疑わしいんじゃないかと思えてきますね……でも、私は陸浦さんを信じてます。信じたいんです」
俺も発言しておかなければと、口を開く。
「陸浦さんと言えば、贈収賄の事件もあったわけですよね。その陸浦さんをどこまで信じられますか?」
「止むに止まれぬ事情というものがあったのでしょう。陸浦さんの事ですから、能力者絡みという事も考えられます」
あくまでも中立。
善意の第三者という姿勢を崩すつもりは無いようだ。
根岸には守るべき地位がある。
俺達が陸浦に勝てば、彼の共犯者と見做される危険性がある一方で、陸浦が俺達に勝っても、不必要な情報を流したと、陸浦に糾弾される可能性がある。
現在の当局の主流派が、陸浦栄一の意向に沿っていることを考えれば、物凄く繊細に扱わなければならない問題なのだろう。
俺は話を続ける。
「別に陸浦さんが疑わしいという認識を共有して欲しいわけではありません。ただ質問に答えて欲しいだけですよ。ですから、その議論はやめましょう」
「……わかりました」
「陸浦さんと上月孝次さんの関係性、三津家大輔さんや娘の三津家陽向さんとの繋がり――彼らの事で何か御存知の事があれば話して下さい」
「無いですよ。上月さんとは会ったこともありませんし、陸浦さんの口から彼の名前を聞いた事もありません。三津家さん親子に関しても同様です。私が知っているのは、意識を失った状態の三津家大輔さんだけです」
「本当ですか?」
「間違いなく、本当です」
根岸は力を帯びた声で言い切った。
俺も、我ながら過剰演出だと思いつつ、腕組みをして片手を顎に当て、まるで推理小説の探偵のように振る舞ってみせる。
「そうですか。根岸さんなら何かを知ってると思うんですけどね」
「何をですか?」
「やはり、どうしても納得できないのは、自首をした三津家陽向の父親である大輔さんが、事件の数時間前に倒れて救急搬送されていた事です。それが偶然だとは思えないんです」
「確かに、そうですけど……」
「そこで思うのは、例えば、さっき霧林さんが言われた空白の時間――その時間に陸浦さんが、この病院を訪れていたんじゃないかな、という事です。根岸さんには何か重大な事を話して頂けてないという気がするんです」
根岸の額には脂汗が滲んでいる。
「話して無い事なんて無いですよ。陸浦さんは来てません」
「本当ですか? その観点で当時の事を調べれば、新しい情報が出てくるかもしれませんよ」
「本当です。記憶に無いなんて言葉を使うつもりは無いですよ。まあ、私の知る限りって話ですけどね」
根岸は一つ一つの言葉を確かめるようにして口から発した。
もはや、自分が生き残ることだけに集中しているのだろう。
「そうですか……そうですね。根岸院長の目をかいくぐって、ここに陸浦さんが訪れていたとすれば、変な話になるんです。陸浦さんは、どうやって大輔さんが、この病院に搬送された事を知ったんでしょう」
「だから何度も言ってますよね。陸浦さんは来ていません」
「陸浦さんが来たとしたらですよ。来たとしたら、病院内部に三津家大輔のことを知っている人物がいるという事になりそうって話です。そして、その人物は、陸浦さんとすぐに連絡を取れるほど近い人物でないといけない」
「いや、まあ、そういう話になりますけど」
「もしかしたら、その人物は、三津家大輔の本名や素性も知っているのかもしれませんね」
三津家大輔は、どこのどういう人物だったのか。
俺が知ってる範囲で、アルコール依存症で行方不明といえば一人だけ該当する人物がいる――玖墨柚人の父親だ。
「今、思ったんですけど、三津家大輔さんの本名って、もしかして『玖墨』じゃないですか?」
「は」
根岸の口から掠れた声が漏れ出した。
表情は完全に固まっている。
この動揺を見れば、俺の単なる当てずっぽうも、的を射ていたのかもしれないと思えて来る。
ついでに、霧林と三津家も唖然と表情でこちらを見ていた。
「戸山君、それはあまりにも荒唐無稽というか……確かに、行方不明者で能力者の可能性があるのは玖墨さんだけど……」
霧林が頭を抱える。
その向こうで、根岸が息を吹き返したように、口を開いた。
「ちなみに、その玖墨さんというのは、どこのどなたですか? そんな名前は聞いた事もありませんけど」
何かが降りて来たように、冷静さを取り戻している。
どうやら、開き直ったようだ。
まったく聞いた事が無い名前だったので、ぽかんとしたという事で、取り繕うつもりなのだろう。
「玖墨さんが三津家大輔さんかどうかは、調べれば簡単に分かると思いますよ」
「そんな事を言われても困りますよ。そもそも、私は陸浦さんがここに来たかどうかを知りません。私からしたら、何を言ってるんですかって話です」
その目に、もう迷いは感じられなかった。
もう何を言っても無駄なのである。




