夕暮れ
マンションの敷地から出たところで七原に追いついた。
「七原」
俺が声を掛けると七原は立ち止まる。
「鞄、忘れてるぞ」
俺がそう言っても、七原は振り向かなかった。
仕方なく七原の前に回り込む。
七原の顔には夕日が当たり、目元がキラキラと光っていた。
……やっぱり泣いてたんだな。
「俺が悪かったよ。もっとよく考えて行動するべきだった」
双子を家に入れるべきではなかった。
すべては俺が解決を焦り過ぎてた所為なのかもしれない。
「ううん。戸山君は悪くないから」
「で、何か収穫はあったか?」
七原は首を横に振る。
「上月さん達はボロを出さなかった」
さっきの七原の推理と双子の言動から言えば、双子が犯人で、ほぼ間違いないだろう。
なのに確証を得られないのが、もどかしい。
「本当にそうなのかな? 本当に上月さん達が全部やったのかな?」
と、七原が言う。
俺と七原の距離は三メートル内。
俺の心の声が聞こえているから、七原は受け答えたのである。
「今更、双子が犯人じゃないって言うのか?」
「そうかもしれないって思い始めてる」
「何故?」
「例えば、上月さん達に紗耶と接点があるとは思えないの。ひと月くらい紗耶の近くにいるけど、心の声も含めて、紗耶の口から上月さん達の名前が出てきた事は一度もない。それに一年生の上月さん達が、二年生のクラスにあれほど上手に噂を広げる事が出来るとは思えないでしょ?」
「まあ、確かにそうだな」
うちのクラスに協力者がいるって事だろうか?
「ああ、確かにそうね。そうかもしれない。でも、それなら、その協力者って誰?」
クラスメート全員に『双子を知っているか』と聞いて回るのはどうだろうか?
――いや、それに、あまり意味は無いな。
双子の協力者なら七原の能力を知っているかもしれない。
知らないとしても、双子が何か対策をしているはずだ。
そう簡単には、いかないだろう。
「一番簡単なのは、双子の要求通り、能力を捨てる事なんじゃないか?」
「それは出来ない」
「心の声を聞いて媚びて尽くしたところで、他人の評価なんて、一瞬でコロっと変わってしまうものだって分かってるんだろ?」
「でも、この力がある限り、いくらでも軌道修正が可能でしょ」
「そんな苦労する必要なんてないと思うけどな。七原は力がなくなっても上手くやっていけるよ」
そう言っても、七原は頑固に首を横に振る。
「この力がなくなるなんて考えられないの。理屈では理解できても、無理なものは無理なの」
どうしても無理なんだな。
七原が、そう言うのなら仕方がないのである。
「戸山君、こんな私の面倒事に付き合せてごめんね。戸山君にはいくら感謝しても感謝しきれない」
「別に感謝なんていいよ。役に立ってるとも思えないし」
「そんな事ない。戸山君の優しさに支えられてるよ」
七原は、そんな恥ずかしいセリフを言った。
夕暮れに染まる街で、それよりも赤く染まっていく七原の頬。
これは、さすがにまずい。
そんな顔をされると、俺は初めて七原をかわいいと……かわいいと思ってしまいそうに……ならなかった。
「何、そのフェイント!」
危うく、ひねくれるのを忘れるところだった。
「……いいから。早く帰れよ。暗くなるぞ」
「……わかった。でも、その前に」
七原は緊張の面持ちで口を開く。
「あのさ……連絡先を……聞きたいと思ってるの……いいかな?」
「何だよ。何を言われるかと思ったぞ。そんなに勿体ぶって話すなよ」
「ごめん。私、連絡先を聞くとか、あんまりした事なくて」
「そうなのか?」
「だって、それを聞いたら、相手が私の事をどう思ってるか明確に分かってしまうでしょ? 自分に対しての感情が一番伝わってくるから――だから聞かないことにしてるの。必要な時は相手が聞いてくれるように仕向けてきた」
端から見ると、七原は本当に生きづらそうだなあ、と思う。
「何で俺には素直に連絡先を聞いてきたんだ?」
「戸山君は、私がどんなに手を尽くしても、聞いてくれそうにないから」
ああ、確かにそうだ。
俺は携帯を取り出した。
七原も鞄から携帯を取り出す。
「じゃあ、携帯番号とSNSのID教えて……ください」
「は? 俺がSNSなんかしてると、思うか?」
「昨日、SNSの例えを出してたと思うんだけど」
「なんとなくのイメージで語っただけだよ」
「え? 本当に?」
七原が疑いの目を向けて来た。
「今時、そんな人いるの?」
七原が化石を見るような目で見てくる。
いるんだから仕方ない。
「本当に本当なの?」
七原は、どうにも信じられないといった様子だ。
「じゃあ、見てみろよ」
俺は七原に携帯を手渡す。
「ロックもかけてないんだね――あ、本当だ。ゲームばっかりね」
七原は俺の携帯を弄りながら、難しい顔をしている。
「ないだろ?」
「あっ戸山君、ごめん。間違えて、とんでもないもの見ちゃった」
「は? 何?」
少し――いや、かなり焦る。
何かアレなものを保存してただろうか。
「違うって。私が言っているのは、これの事」
七原は俺の携帯の画面を見せてくる。
そこには連絡先のリストが表示されていた。
「これが何か?」
「お父さんとお母さんしかリストに居ないよ」
確かに俺の連絡先リストには父という項目と母という項目しかない。
「ああ、俺には一人ずつしかいないんだよ」
「そういう事じゃなくて、その二人しかいないってのが問題なの」
「ああ、何だそんなことか。そんなに珍しい事か?」
「こんなの初めて見たよ」
「学校とか、よく利用する店とかを入れとけばいいのか?」
「話が通じない」
七原が呆れ顔で言う。
「いや本当は分かってるよ。これが駄目な事くらい。今日増える予定だったけど、守川がリモコンの日だったからな」
本当は色々あって守川に連絡先を聞くのを忘れていただけだが。
「私の連絡先を追加しておくね」
「それは速攻で消すよ」
「何で消すのよ! ってか、それじゃあ誰からの電話か分からないでしょ?」
「いや、わかるよ」
「……ああ確かにそうだね。お父さんでもお母さんでもないのなら私ってことね。でも、一応追加させて。この件が片づくまででいいから」
そして七原は二つの携帯を持って連絡先登録を済ませた。
「よし、これで大丈夫」
「安心できたか? 俺ほど心強い味方はいないだろ?」
そんな軽口をたたく。
「うん。そうだね。戸山君、本当にありがとう」
七原は控え目な胸の前で、ぎゅっと携帯を握りしめながら、そう言った。
「じゃあ、明日な」
俺がそう言うと、七原はコクリと頷き、帰って行った。
軽口にも『控え目な胸』にも反応しなかった事から見ても、七原は相当に弱っているなあと思うのである。




