提案
率先してというわけでも無いが、俺が一番にリビングに入った。
ウチには三人掛けのソファと、一人掛けのソファが一脚ずつあり、L字型に並んでいる。
俺が主体で会話するしかないかと、俺は一人掛けのソファを選んだ。
三人掛けの方には優奈、麻里奈、七原の順番で座る。
これで七原の能力が発動し、双子の心の声を聞けるはずだ。
「先輩、こっち来てよ。あたし、先輩の隣に座りたい」
また麻里奈が、あざとい事を言う。
今は優奈がいるので、ここは軽くスルーが正解だ。
「また、いつかな」
「ちょっと待って。その発言、聞き流す事は出来ないわね。あんた、麻里奈に手を出すなら、それなりの覚悟はしておく事ね」
優奈が唸るような低い声で俺を恫喝する。
大した発言では無いと思うが、最初から俺に噛みつくつもりだったのだろう。
「どうなるって言うんだよ?」
「マンションの管理会社からのお知らせってあるでしょ? 毎回、あれの偽物がポストに入れられるようになるわ。水道工事の日付等が改ざんされてるものがね」
「地味に嫌だな。でも、それ、告知したら意味が無いだろ」
俺の言葉に、優奈は薄ら笑いを浮かべた。
「それはどうかしらね。毎度毎度、その真偽を疑わなければならなくなるとしたら、相当なストレスになるでしょう?」
優奈のキャラが迷走を初めている。
俺は適当に返事をする事にした。
「まあ、俺に、その気は無いからな。麻里奈が一方的に、あざとくしてきてるだけだよ」
「先輩、その言い方は無いよ。優奈ちゃんがいないところだったら、あたしのノリにつきあってくれるでしょ」
麻里奈……また、ややこしい事を。
優奈に視線を戻すと、近距離から俺を睨み付けている。
「幼気な子に手を出すなんて最低。話には聞いていたけど、あんたが年下にしか欲情しないってのは本当だったって事ね」
「ちょっと待てよ。そんな話は無いからな。それに、俺が三月生まれで、双子は四月生まれだろ。一年のほとんどが同い年だ。変な言いがかりを付けてくるんじゃねえよ」
「そっか。そういう事ね。わかったわかった。だから今からツバを付けておこうというわけね。そうして、年下になる空白の一ヶ月を虎視眈々と待ってるんだ」
「だから、ちげえよ。ってか空白って何だよ。その行為に何の意味があんだよ」
「あ?」
「あ?」
「まあまあ、落ち着いてよ、二人とも」
と、麻里奈。
麻里奈が原因なのだが、それはいい。
とにかく、優奈の難癖には腸が煮えくりかえる思いなのである。
「優奈、いつもいつも突っかかって来やがって。俺にも考えがあるぞ」
「どうするって言うのよ?」
「ポストに定期的にお得なクーポンのついたピザ屋のチラシが放り込まれる事になる。この街には無いピザ屋のチラシがな」
「地味に嫌ね。でも、それって、告知したら意味ないでしょ」
「甘いな。クーポンのお得さに応じて、心身のダメージが大きくなるんだよ」
「どこに身体のダメージを受けるポイントがあったのよ」
あーやばい。もう全体的に迷走してしまっている。
こうなる事はわかっていた。こうなる気はしていた。
しかし、思いついたからには言わずにはいられなかったのである。
どうやって話を戻すかなと、七原の方を見る。
俺と目が合うと、七原はコクリと頷いた。
「あのさ……私も喋っていいかな」
七原は、おずおずと言葉を発した。
「ああ、いいよ。なんだ?」
「戸山君と上月さん達って意外と仲が良かったんだね」
「違う!」
俺と優奈が否定の声を上げる。
実際そんな事はない。
今のは、この場のノリだけのものだったのだ。
「でも上月さん達の誕生日も、しっかり覚えてるって事だし」
「お隣さんだし、親同士が仲が良いんだよ。俺と双子は別にって感じだ。朝に会ったら挨拶するくらいだよ」
「それって、戸山君の基準だと、仲が良い方じゃない? 掘り下げてみたら結局、仲が良いって話になる気がしてきたよ」
七原が脳天気な顔で言う。
七原にしてみれば二度目の対面だから仕方の無い事だが、七原は何も分かってない。
「いやいや、出会いからして最悪だったよ。双子が引っ越してきた時、母親の蓮子さんに街を案内するように頼まれたんだけどさ――」
それは中学一年生の十月のとある日曜日、暑さも落ち着き、ときおり、秋の空気に変わったと感じる日和だった。
俺の最悪の人生の始まり――とはいっても、その日は別に悪くない一日だった。
むしろ楽しかったとも言えるだろう。
優奈も麻里奈も無愛想だが、それほど悪い奴とも思わなかった。
ほとんど日暮れまで街を歩き続けた。
だけど……。
「次の日、学校に行ったら、二人といるところを同級生に見られてたみたいでさ。しつこく聞いてくるから双子の事を話したら、その日から俺は名前で呼んで貰えなくなった。その代わりストレートで、ノンデリカシーな呼称が付けられたんだ」
俺は、あの日の事が忘れられない。
クラスメート全員が俺に向けた目。目。目。目。
「そのニックネームって、もしかしてロリコ――」
「麻里奈、それ以上言わないでくれ。それは俺が人間社会との関わりを絶った原因とも言える出来事だから」
「普通に事情を説明すればよかっただけじゃない? バカなの?」
優奈も攻撃的な言葉で煽ってくる。
「それが出来ないのが中学生なんだよ。ってか、あいつらは、俺が小学生二人を引き連れて歩いている事に対して、その呼称を付けたんだ。それはもう基準が違うというか、文化的障壁というしかないだろ。だから俺は言葉を尽くす事にした。彼らと学び、彼らと遊び、時には彼らと旅に出た」
「すごく仲良くなってるじゃん」
と、七原。
「でも、俺に対する呼称は変わらなかったよ。だから関係を切ったんだ」
「真剣に聞いてはみたたけど、めちゃくちゃ浅い話だったね。ってか、最初からずっと思ってるんだけど、全然、何も上月さんの所為じゃないでしょ。上月さんの話ですら無くなってる」
「誰かを憎む事でしか、処理できない感情ってあるんじゃないか?」
「いやいや、それにしても上月さん達に責任はないから」
七原と双子から、厳しい視線が俺に突き刺さる。
「悪かったな……どうでもいい話をした」
「本当にね」
三人は口を揃えた。
まあ、これで会話のハードルも下がったし、ホスト役の責務は果たせたと言えるだろう。
結果が良ければ、それでいい。
そんな事を思っていると、優奈が七原の方を振り返った。
この角度では、どんな顔をしているかは分からない。
「ところで、七原さん。あなたに聞いておかないといけない事があるんですけど」
ぞくりと背筋が凍る。
明らかに、優奈の声音が変わっている。
『悪ふざけは、ここまで』と線を引いたという事か。
「……うん。わかった。答えるよ」
「さっきの話だと、あなたが能力者だって事を、このクズに話したみたいですが、その時、わたし達の話もしませんでしたか?」
「それは……」
まあ、そういう話になるよな。
「七原さん。あなたは、わたしの心を読んでますよね。だったら回りくどい話は、やめましょう」
「たしかに、さっきの玄関での件は、戸山君に頼って、ドアの中から、あなた達の心の声を聞いていた。本当に、ごめんなさい。だけど、それには事情があって……」
「やっぱり七原さんって、そういう人だったんですね。失望しました。そういうのって卑怯じゃないですか」
バレてたのか。
やはり優奈は、めざとい。
「いや、そのアイデアは俺が出したんだよ」
「そんなのどっちだっていい。七原さんは自分の意志で実行した。だったら、責任を問われて当然でしょ」
「頼むよ、優奈。事情を聞いてくれ」
「知りたくもないから。そうやって、他人のプライバシーを踏みにじるような人の事情を聞いたところで、何かをしてあげようなんて気になるわけないじゃない」
優奈は俺ではなく、七原に向けて言葉を発した。
七原は体を縮こまらせている。
「わかってるよ。優奈の言う通りで、これは最低のやり方だ。俺達だって、事情さえ無ければ、正直に打ち明けていた。だけど今、七原の周りで、能力者か、七原の能力を知っている誰か、そのどちらかがやったとしか説明できない事が起こっているんだ。その一件が済んだら、いくらでも誹りを受けるよ」
俺がそう言うと、優奈は俺の小指を掴み、捻り上げた。
「しつこい!」
腕全体に痛みが広がったが、俺は黙って、優奈の手を振り解く。
ここは、あくまで『冷静に』だ。
「俺は決して優奈と敵対することは望んでないんだよ。双子が犯人じゃないという確証を得たいだけなんだ。そしたら、一歩前進する。土下座だってなんだってするから、詳しい話をさせてくれよ」
「優奈ちゃん。先輩の言う事を聞いてあげようよ。先輩に土下座なんてさせないで。っていうか、土下座って言われても、私達の世代にそういう文化が無いから、たしかに屈辱的だなとは思っても、あんまりピンと来ないし」
麻里奈、そんな事を言ったら、俺の最終手段が何の意味も無いものになるじゃないか――と思ったが、口には出さなかった。
とにかく、それでもと床にヒザをつき、頭を下げる。
「そういう姿勢は嫌いじゃないわ」
そんな事を言って、優奈が俺の後頭部に手を乗せた。
といっても、別に床に押さえつけられているわけではない。
力ずくなら、頭を上げる事も出来るだろう。
これは、俺のこの姿を見せるという、七原への精神攻撃の意味合いもあるのではないだろうか。
「七原さん。ここからは、あなたへの話です」
「……はい」
七原が、かぼそい声で答えた。
「こいつはクズで、ひねくれていて、笑えない冗談ばかり。嘘つきで、人間失格で、しかも気持ち悪い。クズの中でも最低のクズ。でも、このクズが泣いて謝って、今までの行いを反省するなら、頼みを聞いてあげない事も無い。可哀想な人を哀れみ、手を差し伸べてあげられないほど、わたしは狭量では無いんです」
「……はい」
「でも、それが七原さんに関する事なら、私は受け入れる事が出来ない」
七原が何も言えないでいる。
だから、俺が代わりに口を開いた。
「確かに七原の能力はタチが悪いよ。だけど、そこまで嫌う必要は無いだろ」
「あんたは何も知らないから、そんな事を言うのよ。能力ってのは、心の弱さや性格の歪みを反映するものなの。他人の心を盗み見る能力なんて、嫌わなきゃいけない。否定しなきゃいけない」
七原は、きっと俯いたまま話を聞いているのだろう。
俺が何かを言わなければならない。何でもいい。くだらない事でも何でも――そう思ったが、何も思い浮かばなかった。
「七原さん、あなたに提案があるんです」
「……提案?」
「わたし達は能力を消す方法を知ってるんです。あなたが能力を消す覚悟を決めるというのなら、いくらでも協力しますし、さっきの発言も取り消します。だから、その能力を消して下さい」
なるほど。
双子は、この話をするつもりで、七原を追い詰めるような事を言ったという事か。
だとすれば、すべて話がつながる。
最初から、そういうシナリオだったのだ。
七原は何と答えるのだろう。
静寂の中、誰かが息を呑む音が聞こえた。
「……上月さん、ごめんなさい。私には無理です。能力を捨てるなんて事は出来ないから」
七原は言った。
しぼり出すような声だった。
それと同時に、がさごそと物音が聞こえる。
「戸山君、ごめん。今日は帰るね」
最後の音が何かは、すぐに分かった――ドアを閉める音だ。
七原が部屋を出て行ったようだ。
「優奈、もういいだろ。手を離してくれ」
頭を上げると、優奈が何とも言えない顔をしていた。
同じ能力者として複雑な心境もあるのだろう。
そんな中、俺は、七原が最初に座っていた場所に鞄が置きぱなっしだという事に気がついた。
立ち上がって七原の鞄を掴む。
「追いかけるの?」
と、麻里奈。
「ああ、わるいけど、ちょっと行ってくるよ」
俺は双子を残し、家を出た。




