寺内
「……というのが牛岡社長との会話です」
「寺内さんはその言葉に従ったって事ですね」
「はい。あの時は社長の言う通りだと思ったんです。誰一人として望んでない事を無理に押し進める必要は無い。その所為で多くの人の時間と労力を無駄にする――そういう風に自分に言い聞かせてきました。でも、それは間違いだった。今以て苦しんでいる人がいた。僕のした事は許されない事です。今こそ、真実を明らかにするべき時です。この事実を世間に公表しましょう」
拳を握りしめて話す寺内。
勢いがつきすぎてしまったようだ。
「それは待って下さい。僕達はそんな事を目的にしてません。大体、隆一さんの策謀だというのは伝え聞きで不確かな話ですよね? 下手な事をしていたら、一華さんが更に気を病む事になると思います」
「た、確かにそうですね。しかし、だからといって黙っている事が正しいとは思えません。一体僕はどうすれば……」
「それに寺内さんを巻き込むつもりはありませんよ」
「え?」
想定していない答えだったのだろう。寺内は目を白黒させた。
「あとは、こちらで預かります。このことは一旦忘れて、明日からは普段通りに生活して下さい」
「ですが、僕は許されない事をしたんです。罰を受けないといけないんじゃないでしょうか」
寺内がイスから立ち上がる。
その説得には骨が折れそうだ……なんて事を思っていると、左側からまったく違うテンションの声が聞こえて来る。
「しかし、腑に落ちないんだよな」
有馬が寺内の顔をまじまじと見つめながら呟いた。
「何がですか?」
寺内が問い掛ける。
「俺は他人の不倫で飯を食ってる探偵だ。だから、不倫する人間ってものを山ほど見てきてる。その俺の意見として言わせて貰えば、寺内さんが不倫するとは思えないんだ。もちろん、男だって女だって裁判官だって大統領だって過ちを犯す。どんなにモラルがある人間でも、ある日突然その落とし穴に落ちてしまう。しかし、それを踏まえた上でも信じられない。もし、寺内さんの奥さんがウチの事務所に依頼に来ても、彼はそういうタイプじゃないと門前払いするだろう」
「すみません。僕は……」
「いや、責めてるんじゃないんだよ。何て言ったらいいかな……こんな仕事をしていると、どうにも不思議な出来事に行き会うことがあるんだ」
「不思議な出来事……?」
唐突に変遷する話の展開に付いて行けないのだろう。寺内は首を傾げた。
「そうだよ。不思議と言うしかないような出来事だ。世の中には常人では出来ないことをする奴らがいる。抗うことの出来ない特別な力を使ってな。この話には、そんな連中の匂いがするんだよ。そういう奴らが出て来たら、俺達はお手上げだけだ。どうにもならない」
心の底から迷惑だというように話す有馬の口調には、程よい説得力がある。
そこへ七原も口を開いた。
「ですよね。考えてみれば、本当におかしな事ばかりです。不倫自体も信じられないですけど、寺内さんは脅迫されたからといって、嘘の証言をするような人だとは思えません」
「だな。そんな大それた事が出来るとは思えないし、そもそも嘘を吐く才能が絶望的なまでに無い。あっという間に見破られるだろう」
「そんな事は言ってません……」
「だが、実桜ちゃんもそう思ってるだろ? 寺内さんが嘘を吐き通せたのは何らかの力に背中を押されたからだよ」
「そうですね。何かの力が働いたのは間違いないと思います」
寺内は眉間に皺を寄せながら聞いている。
思い当たる部分が無いわけでも無いといった感じだ。
二人のお陰で空気が出来上がった。
あと一押しか。
「ここでこんな話をしても信じて貰えないと思って、話さなかったんですが、実際、そういうのは有り得る話なんですよ」
「本当か?」
と、有馬。
「はい。例えば、百合さんが寺内さんの行動をコントロールする暗示のような力を使ったという事も考えられます。あくまで例えばという話ですが――まあ何にせよ、この件に関してはもっと調べる必要が出て来ました。寺内さん、諸々のことが分かったら報告します。悩むのはその後にして下さい」
「……でも、本当にそれでいいんでしょうか?」
「奏子さんの時も無事に解決しましたよね? 今回の事も僕達に任せて下さい」
「わかりました。ありがとうござます……あの、それなら」
何かを言いかけたところで寺内の顔が曇る。
本当に言っていいのかと悩んでいるといった感じだ。
「何ですか? 聞かせて下さい」
「こんな事を言える立場では無いんですけど、まだ調べる必要があるというなら、この事は娘にはしばらく黙っておいて下さい。娘には僕から話しますから」
「言い辛いことなんですけど……」
「え、もしかしてもう……?」
「いえ、僕は話してませんよ。そうじゃなくて、奏子さんは気付いてると思います。確認はとってないですが、ほぼ確実に」
あんぐりと口を開いたまま寺内が固まる。
「彼女は全てを飲み込んで、それでも家族で有り続けたいと思ってるはずです。だから安心して下さい」
「……そうでしたか。わかりました。今日ここに来てお話しさせて貰って本当に良かったです。戸山君、有馬さん、皆さん、ありがとうございます。本当にありがとうございます」




