寺内の証言
「といっても、話せる事は少ないんですけどね……」
寺内が申し訳なさそうに、こちらを見る。
「どういう事ですか?」
「あの日、僕は贈収賄が行われたとされる現場に同席していました。『やなべ』という飲み屋の個室です。だけど、僕にはそこで何が起きたのかの記憶が全く無いんです」
「記憶が無い? お酒の所為ですか?」
記憶が無いと言えば……という話だが、一応は訊ねてみる。
「いえ、酩酊していた訳でも無いと思います。起きた時に酒の後の不快感はありませんでしたし」
「そうですか……」
おそらく排除されたという事だろう。
どういう風に話を進めるべきかと考えていると、俺達の顔を見回した寺内が口を開く。
「信じられないと思いますが、これは本当の話なんです。その個室の机の上に皿が何枚乗っていたかだって覚えてます。『やなべ』の店主の目の下にホクロが二つあった事も覚えてます。でも、肝心な所である何故その場に僕がいて、何があったかって事は一切思い出せないんです」
七原の顔を窺うまでもなく、寺内の言葉には疑う余地を感じなかった。
有馬の言う通り、寺内は嘘がつけないタイプだと思う。
しかし、ここで落胆するのはまだ早い。
記憶が無いならば無いで、疑問に思う事が幾つもある。
「信じますよ。寺内さんが嘘をついているとは思えませんから」
「本当ですか?」
「はい。信じがたい話ではありますけどね」
「ですよね」
「だから、その話の続きを聞かせて下さい。記憶を無くした寺内さんが、栄一さんを告発するに至る理由を」
「それも納得して貰えるかどうかという話なんですが……」
寺内は先程よりも更にボソボソと喋る。
「大丈夫です。余所で漏らすような事はしませんから」
「はい……」
しばらく俯いていた寺内は、意を決したように顔を上げた。
「目を覚ました時に、僕の傍らには陸浦さんがいました」
「それは栄一さんの事ですか?」
「違います。そこにいたのは陸浦百合さんという方です」
「百合さんが? 本当ですか?」
「本当です……」
能力者には関係してないという予想をしたばかりの百合の名前が出て来た事に、少し面食らう。
「何故、百合さんがそんなところに?」
「目を覚ました時には既にいたんですから、どういう経緯でいたのかはわかりません――百合さんは戸惑う僕に、その場の状況を話して聞かせてくれました――僕がウチの会社の社長と共に『やなべ』に来た事。そして、まさにこの場で、社長が市長に賄賂を渡した事」
「その話をそのまま受け入れたんですか?」
「いえ、その話は到底信じられるようなものじゃありませんでした。僕は総務部の一社員でしたし、特に社長と個人的な親交があるという訳でも無かった。そんな僕があの場にいる意味が分かりません。僕は陸浦さんに『そんな事は有り得ない』と言いました。だが、彼女は眉一つ動かさずに『これを聞けば分かるから』と言い、ボイスレコーダの再生ボタンを押しました。そこには社長、市長、そして僕の声が入っていました――まさに、それは『やなべ』で贈収賄が行われた事の証拠となった音声データだったんです」
「つまり、百合さんに『それを使って市長を告発するように』と指示を受けたって事ですか?」
「はい。百合さんは、その個室で僕と社長、そして市長が座った場所を説明し、その場で起きた事を事細かく説明しました。そして、同じ事を警察で話すようにと言われました」
「不思議に思わなかったんですか? 何故、百合さんがそんな事をするのか」
「それは思いましたよ。しかし、レコーダーから聞こえて来た声は、テレビで聞いた市長の声そのものでしたし、その音声を聞けば市長と社長が法に反することをしていたのは明らかでした。だから、僕は警察に行ったんです」
「記憶が無い事は警察で話したんですか?」
「いえ、百合さんがその事は話すなと言ったので……」
「そんな重要な事を黙って告発するのは法に反する行為ですよね?」
「そうですね……」
「じゃあ何故ですか? 寺内さんがそんな事を承諾するとは思えません」
寺内が視線を右往左往させながら口を開く。
「その時、百合さんが顔を寄せてきて……口づけを」
「ああ……不倫ってことですか」
言われてみれば、寺内夫婦の一回目の別居は八年前だったと聞いていた。
まさかこんな角度から話が繋がって来るとは思わなかったが……。
「そうです。どこをどう引っ張り出しても、そんな記憶は無かったんですが、その時、はっきりと思いました。僕達はこうやって不倫をしていたのだ、と……この事実は決して他人に知られてはいけない。彼女の言う事に従うしかないのだ……そう思いました。百合さんは僕から視線を外すと、『私の指示に従っていれば悪いようにはしないから』と」
「思いっ切り悪人の言い草だな」
有馬がポツリと呟く。
「僕は百合さんから再び詳細な説明を受けた後、ボイスレコーダーを警察に持ち込みました。あれよあれよという間に市長と社長が逮捕され、本人達も罪を認めました――何故、あの場にいた僕だけに記憶が無いのか。何故、あの場に陸浦百合さんがいたのか。その事実は分からないままです」
「百合さんとは今も会ってるんですか?」
「いえ、百合さんとは『やなべ』以来会ってません。百合さんは自分が関わっていたことを誰にも言うなと言いました。お互いのことは忘れよう。それがお互いの家族の為だ、と」
「なるほど。そんな事があったんですね」
「百合さんの言葉を漫然と受け入れたのは今でも後悔してます。たとえ事実がどうであろうと、あんな無責任な事をしてしまった。僕は最低の人間です……」
俯く寺内に鋭い視線を向けて、有馬が口を開く。
「いや、まだおかしいことがあるだろ、寺内さん」
「おかしい事?」
「社長を告発したのに、寺内さんは職を失うことも、煙たがられる事も無く、総務部長という役職まで与えられている。これは何故なのかを聞かせてくれ」
「……ああ、その事ですか。それはただの流れと言いますか。偶然の産物です。事件当時、ウチの会社は誰から見ても明らかなほど経営が傾いていました。社長が事件を起こしたのもその焦りからです。しかし、事件後、会社は陸浦隆一さんの尽力で立ち直りました」
「隆一さんの尽力?」
「はい。ウチの会社は隆一さんの会社に買収・子会社化されたんですよ。隆一さんの仕事は鮮やかでした。社長親子を追い出して、それほどの間もなく、会社の経営を好転させました。我々社員の給料も上がり、カットされていた賞与も復活した。社長がワンマンで嫌われていた所為もあって、今でも『よくやってくれた』と言われる事が多いです」
「なるほど。それで寺内さんの事は周知されてたんだな」
「父親の失点を息子が雪いだ形ですね」
俺がそう言うと、有馬は顔を顰める。
「いや、告発は妻の百合が主導したものだって事が分かった。これは栄一が嵌められたと解釈するのが自然だな」
「それなら栄一さんが罪を認めたのは何故か、という話になります」
「それこそ何か弱みを握られていたのだろう」
「だとしたら、こんな面倒な追い詰め方をしますかね?」
「確かに」
能力が関われば可能性は無限に広がる。
その中から、どれだけの事実を掬い取れるかが肝心だ。
俺は俯いている寺内に問い掛ける。
「寺内さん、不思議に思いませんでしたか? この話には、あまりにもおかしな点が多すぎる」
「そうですね。僕も色々納得できませんでした。だけど、百合さんに直接会いに行く勇気は出なかった。『やなべ』の店主も事件後、店を畳んでいなくなってました。そこで、僕は社長に会いに行く事にしました……ああ、今は元社長ですが――」
そして、寺内は蕩々と語り出した。




