上月父について
食事を終えると、ほどなくして双子が後片付けを始めた。
シンクの前で、きゃっきゃと話しながら皿洗いをしている。
普段の彼女達の会話は無表情で目を見合わせているだけなのだが、蓮子の前では心配させない為にか、過剰なまでに明るく振る舞う。
蓮子はコーヒーを片手にその後ろ姿を慈しむように眺めていた。
「望君も変わったよね」
唐突に蓮子が問い掛けてくる。
「え。俺がですか?」
「うん。変わったよ。ちょっと前までは張り詰めたような空気があった」
「自分ではそんなつもりは無かったですけどね」
「あ、私も別に前から気付いてた訳じゃないのよ。今の顔を見て、そういえばあの時は……って思い当たった感じ。望君って本当隠し事うまいからね」
「何かを隠してるつもりとかも無いですけど」
「じゃあ、無意識なんだろうね。それでも望君は確実に変わったよ。七原さんって子には感謝しないとね」
なるほど。
彼女のやりたいことは理解できた――俺を惚気させたいのだろう。
七原に感謝するべき事は幾らでもあるが、ここで下手な受け答えをすると優奈達との間に遺恨を残す事になる。
優奈達のことを何よりも優先している――その宣言に疑念を抱かれてはマズい。
ここは慎重にいかなければ……。
「俺も七原には感謝してますよ。俺がどんなに悩み抜いたって、でんぐり返ったって、一つの視点しか持ち合わせてなかった。独り善がりでしかなかった。七原のお陰で視野が広がったって感じです」
これで俺が排除を優先に考えていると優奈にも伝わっただろう。
これくらいが俺の発想力の限界だ。
あとは、優奈が麻里奈を説得してくれるはずである。
「……そっか。そうなんだね。こんな事を話してると、私も昔のことを色々と思い出しちゃうよ」
「旦那さんとの事ですか?」
「うん」
蓮子がこくりと頷く。
俺が上月父について知っている事といえば、六年前に亡くなったという事くらいのものだ。
何故それだけしか知らないかと言うと、楓が上月父のことを探るなと言ったからである。
楓は言った――上月父の事を嗅ぎ回れば優奈達に不審がられる。優奈達に力を排除しようと企んでいると見做されるような事は出来るだけ避けた方が良い。上月父のことは来るべき時が来たら、自ずから情報が入ってくるはずだ、と。
だが、改めて思うのはいつまでも楓の言う通りというのも良くないということだ。
楓は早瀬のことを何より優先する。
利害関係がいつも一致しているとはいえないのだ。
幸いなことに、今日は自然な流れで話が聞けそうだ。
この機会を逃す手は無い。
「旦那さんはどういう人だったんですか?」
もう七原の話題を出されるのはうんざりだから、あなたの話をしてくれというようなニュアンスを意識しながら言葉を発した。
「そうだね……タカツグさんは優しくて、真っ直ぐで、望君みたいな感じかな。よく考えたら似てるよ。すっごく似てる」
「似てないから!!」
優奈がキッチンで怒声を上げた。
やはり俺達の会話に耳を傾けていたようだ
「そうかな似てると思うんだけどな」
「どこが似てると思ったんですか?」
「うーん……直感的には似てると思ったんだけど、やっぱ似てないかも……タカツグさんの特徴は、まず他人の話を聞かないってところだったからね。いつも自分のことばかり話して。あと、理屈より情で動くところがあったなぁ……ああ、ごめんごめん。優奈の言う通り、望君とは全然違うね。望君は話を聞いてくれるし、情よりも理屈って人だと思う……あ。でも、一つ似てるところはあるよ。自分の信念を最後まで貫ぬき通すっていうか、頑固なところはそっくり、タカツグさんと」
「俺って頑固ですか?」
「頑固だよ。すっごく頑固。楓ちゃんも、そこがノゾミの良いところだなんて言ってたから」
「楓さんも、そんなことを……」
楓を呼び捨てにすると蓮子が怒るので、蓮子の前では『楓さん』と呼ぶ。
「でも似てるのはそこくらいだね。望君とは全く違うよ。何で似てるなんて思ったんだろ……」
蓮子は眉間に皺を寄せる。
「お母さん、駄目だよ。無理に思い出そうとしたら」
と、麻里奈。
「うん。そうだね。このくらいにしておくよ」
「思い出したらいけないってのは?」
蓮子に問い掛ける。
「楓ちゃんに止められてるの。無理に思い出そうとしたら、心を病むからって。楓ちゃんは徹底してて、ここに引っ越す時もタカツグさんのことを思い出すような物は出来る限り捨てた方が良いって言われたんだよ。薄情かもしれないけど、それだけタカツグさんが大きな存在だったんだって」
「楓さんとの付き合いは割と長いんですか?」
「うん。タカツグさんが亡くなってすぐだからね。その頃、私はショックに立ち直れてなくて……それでカウンセラーの楓ちゃんの存在を知ったの」
蓮子が遠くを見つめるような目をする。
「楓ちゃんは言ってくれた、『忘れても良いんですよ』って。前を向いて生きていかないといけないから。まだやることは一杯あるから。だからタカツグさんの事に関しては記憶は薄れているというか……あんまり覚えてないの。人間ってすごいよね。忘れようと思ったら、ちゃんと忘れられるんだから」
楓が蓮子の記憶を消したという事だろうか。
能力が絡んでいるのか否か。
どちらにしろ楓に聞かないと分からないという事だ。
こっちから楓と連絡が取れない以上、今はどうしようもない。
確かに、この状態なら上月父のことを聞いても無駄だと言ったのも分かる。
双子に不審がられるだけで何も結果は残らない。
「この話はここまでにしていい? 折角、望君が聞く体勢になってくれてるんだけど」
「そうですね。無理しないで下さい。俺の方も、こんな事を聞いてすみませんでした」
「いいよいいよ――あ。望君、また難しい顔してる。駄目だよ。そんなんじゃ彼女に嫌われるよ」
「ですね」
「まあ、とにかく望君が更生して良かったよ。友佳利さんに話したら喜ぶと思う。友佳利さん、望君の事を本当に心配してるから」
「そうですかね? まったく連絡も来ないですよ」
「してるよ。友佳利さんも譲さんも本当に心配してるよ」
友佳利と譲というのは俺の両親のことである。
あの二人が本当に心配してるにしても、一日で言えば二十秒くらいのもだろう。
「そうなんですね。覚えて置きます」
「うん。覚えていて。二人はすっごく心配してるの。望君が何かとんでもない事件を起こさないかってね」
「そっちの心配ですか」
幾ら話しても無駄だと分かったところで、そろそろ良い時間だろう。
「じゃあ、俺はこの辺で失礼します」
「え、やだ。泊まっていけば良いのに」
「隣なんですよ。何でわざわざ泊まっていくんですか」
「昔みたいに川の字で寝ようよ」
「一本多いです。それにそんな過去はありませんよ」
「また頑固な事を言う」
「これを頑固って言うんなら、頑固でいいです」
キリが無いので、そう言いながら上月宅を後にした。
やはり、蓮子がいると上月宅の雰囲気は一変するなあと思う。
蓮子はいつも明るくて良い人だ。
上月宅は何で居心地がいいのだろうと考えると、すべては蓮子の人柄に尽きるという答えに至る。
しかし、同時にそれは過酷な現実を突きつけるものだ。
双子の能力を何とかしないと、あの家は蓮子一人になってしまう。
しかも、それは明日突然という事だって有り得るのだ。
それに蓮子は耐えられるだろうか……。
それを考えると、何としてでも俺が解決策を見つけ出さなければならないのである。
家に着いて、少し間を空けてから、俺は再び外出した。
今度は優奈達に気付かれないよう、物音には細心の注意を払う。
何なら明日は学校をサボってしまおう。
そんな事を思いながら夜道を歩く。
冷たい夜風に身をさらしながら。




