エピローグ
「俺は弟子なんて取らない主義なんだ」
俺の人生に、こんなセリフを言う日が来るなんて思わなかった。
放課後、弟子志願者を振り切り、笹井を振り切り、何とか自由を手に入れる事が出来た。
しかし考えてみれば、逃げる理由が出来て良かったなと思う。後で三津家に対して説明に困るという事は無いだろう。
「大変だったね」
隣で七原が額に汗を流しながら微笑んだ。
安心と信頼の七原実桜である。
他人の心の声を聞いてた七原ならではの、相手の裏をかくという隠しスキルが存分に発揮され、俺達はこうして逃げ切る事が出来た。
今は、繁華街近くのとある路地裏である。
五月とはいえ、快晴で日差しが強い。
こんな中で走れば、汗だらだらになって当然だ。
「七原、ありがとな――それにしても、どんだけ拗れるんだよ、俺の人間関係」
「それが排除能力者の宿命なんじゃない? 人助けのリスクだよね」
「まあな。だから俺は日頃から嫌われる努力を欠かさないんだよ」
「また、そんなこと言う」
七原は少し呆れながら笑う。
……改めて二人きりとなると、少し緊張してしまうな。
「でさ、戸山君に一つ聞いておきたいんだけど……」
「何だよ?」
「沼澤さんの事、意識してたでしょ?」
「は?」
「今回ずっと気になってたの。戸山君の沼澤さんへの態度を見ると、気があったんじゃないかって思う」
七原はまっすぐに俺を見る。
確かに、真っ直ぐ見られる事に弱いのは、元を正せば沼澤が原因かもしれない……一瞬だけそう思ったが、いやいや、好きな相手に見つめられれば誰でもそうなってしまうだろうと思い直す。
当たり前の事だ。
「そうかもな……でも、そんな昔の事を考えてる暇はないよ。とにかく、今は自分の身を心配しなければならない。笹井の彼氏はラグビー部だし、先輩だからな」
「戸山君って本当に色んなこと知ってるね」
そんな話をしていると、ちょうど符滝医院の前に到着した。
「本当に病院やってるんだな」
そう言いながら、おずおずと中に入る。
誰もいない待合室。
訝しげに見てくる受付の看護師服の女性。
この女性のガタイがやたら良いのは、ここはそういう奴ら御用達の病院だからだろうか。
「初診ですか? 症状は?」
女性は酒焼けのようなガラガラ声で問い掛けてきた。
何から話そうかと考えていると、相手が先に口を開く。
「ああ……この声が気になった? ごめんね。昨日昼間から一升瓶開けたからなの。別に病気とかじゃないから、大丈夫」
本当に酒焼けなのかよ。
一旦、心の中で突っ込み、気を取り直す。
「すいません。俺達、患者じゃないんです。符滝先生と話をさせて頂きたくて」
「はあ?」
「すいません、お仕事中に」
「まあ、それは先生の判断だからね――先生! お客さんですよ!」
明らかに不機嫌になった様子で、奥のドアへと呼び掛けた。
「あ?」
奥から符滝が顔出す。
昼間に見ても、やはり年齢不詳のあやしげな風貌だ。
「ああ、お前らか」
「先生にお話があるそうです。嘘でも良いから、熱っぽいとか言ってくれれば良いのにね」
いやいや駄目だろ。
「タケムラさん、家の方で話すから、患者が来たら呼んでくれ」
「来ませんよ、そんなもん」
タケムラと呼ばれたその女性が余りにカリカリしてるので、符滝に向かい小声で「何で、あんなに怒ってるんですか?」と問い掛けた。
「最近、病気ってものが世の中から根絶されたみたいでな。患者が一人も来ないんだよ」
「……そうですか」
「気まぐれで臨時休診する病院に、患者なんて来ませんよ!」
タケムラの怒鳴り声が響いてきた。
符滝は俺達が家の方に入ると、急いでドアを閉じる。
「司崎の事があって、昨日、急に休診にしたんだよ」
「なるほど。そういう事ですか」
それで昼間から一升瓶を空けたのか。
「で、わざわざ、お前らがここに来たって事は無駄話じゃないんだろ?」
「そうですね。聞きたい事があるんです」
「何だ?」
「昨日、符滝さんが司崎さんと初対面だったと語った事についてです」
「そっか……やっぱりバレたか。どう言うべきか迷ったんだよ……で、咄嗟にしらばくれてしまったというか」
「何故そんな事を?」
「お前ら、排除能力者だろ?」
確信の宿る目で符滝が問い掛けてくる。
「……そうですね」
「排除能力者に根掘り葉掘り調べられるのは困るんだよ。ここだけの話だけど、実は俺も元能力者らしくてね」
「本当ですか?」
「ああ。本当だよ」
「……ってことは符滝さんも施設に?」
「いや、俺は施設には入ってないんだ。他の能力者に記憶を消されたか、排除能力者に秘密裏に排除されたか――そのどちらかだったんだと思うよ」
「つまり、記憶が無いって事ですよね。じゃあ、元能力者というのは、どうやって分かったんですか?」
「記憶がツギハギだらけというか。排除能力者に力を排除されると能力に関する記憶だけが消失するというだろう。まさにあの状態なんだ。ポイントポイントでごっそりと記憶が抜け落ちてる」
「覚えてないといえども、能力者なら力が復活する危険性がありますよね?」
「そうだな。バレたら施設に入れられるだろう。だから排除能力者には面倒になりそうな事を言わないようにしてるんだ。早めに帰って貰えるようにな」
「じゃあ何故俺達に本当の事を喋ったんですか?」
「自分から聞いておいて何だよ」
「気になったので」
「医者の中に『はみ出し者』がいるように、排除能力者にも『はみ出し者』がいる。それがお前らなんだろ」
なるほど。
符滝は、俺達が他の排除能力者と同じような手順を踏むつもりがない事を見抜いているようだ。
「……まあ、そうかもしれません。俺達は別に符滝さんを施設に入れようなんて思ってませんから」
「俺はな……別に施設に入れられても構わないんだよ。そこで残りの人生を過ごす事になってもいい。でも、その前に過去が知りたいと思ってるんだ――半世紀もの間、俺は能力者として何を背負っていたのか。そして、その責任を果たせたのか……」
そうだ。重要なのは過去なのである。
「で、何か手がかりとかはあるんですか?」
「俺の記憶を消した奴は持ち物にも痕跡が残らないようにしたんだろう。過去に繋がりそうなものは何も出てこなかったよ。一枚の写真を除いてな」
「一枚の写真?」
「ああ、収賄で逮捕された陸浦って市長がいただろ。あいつの写真が出て来たんだ。意外なところからな。たぶん、力を排除されると危機感を抱いた俺が咄嗟に隠したんだろう」
「意外なところ?」
「昔に買った雑誌の袋とじを開けたら、そこに挟まってたんだよ。犯人も詰めが甘いよな」
符滝はこれでもかというくらい渋い顔で言うが、隣の七原は若干ひいている。
「あ、ああ。そうですね。甘いですね」
俺は気を取り直して、「その写真を見せて頂けますか?」と続けた。
符滝は鍵付きの引き出しから、一枚の写真を取り出す。
「これはコピーだよ。本物は何かあったときのために隠している。別の袋とじにな」
それを言ったら隠している意味がないだろう――そう突っ込んだら駄目だろうか。
俺は差し出して来た写真を無言で受け取った。
写真には三人の人物が並んで写っている。
右端は、元市長の陸浦栄一で間違いないだろう。ネットで調べたのと同じ顔だ。
おそらく市長としてバリバリやってた頃だと思う――背筋を伸ばして堂々とした佇まいだ。
そして、あとの二人は同じ歳くらいの少女である。
真ん中はウチの高校の制服を着ていて、左端は黒Tシャツにダメージジーンズというラフな格好だ。
「そのJK二人は、一体誰なんだろうな」
符滝は一人言のように、ぼそりと呟いた。
俺達が知るはずがないと、問い掛けなかったのだろうが、俺は別に問い掛けられても構わなかった――その問いに対する答えを持っていたからである。
ダメージジーンズの方は、暗めの茶髪で、今よりかなり若いが樋口楓に間違いない。
楓に陸浦と繋がりがあるとは思わなかった。
そして、もう一人の制服の少女。
その顔も最近まで頻繁に見ていたので、見紛う事は無いだろう。
それは学生時代の早瀬繭香に他ならないのだった。
第五章 完




