能力について
「ごめんね。待たせちゃって」
七原の声に振り返る。
七原が弁当を食べ終わるのを待っていたのだが、やる事がないので部室の窓からグラウンドを見ていた。
七原の顔色は、幾らか良くなっているようだ。
「朝の件について、少しだけ話しておきたいの。いい?」
「今さら、何を話すんだよ?」
「朝の告白って、やっぱり紗耶っぽくないでしょ? そう思うから」
「そうか? 俺は的確に嫌なところを突いて来るのが藤堂らしいと思ったけどな」
「紗耶は、もっと感覚的というか、情緒的というか、空気を作る事を重要視する気がするの。告白と言えば放課後とかの方が、しっくりくるでしょ?」
「待つのが、じれったかっただけだろ」
「そうね。それはあるかもしれない。でも、他にもおかしいところはある」
「なんだ?」
「紗耶達が、私に一度も姿を見せなかった事よ」
「おかしいか?」
「あんな事をやろうと思ったら、私の様子とか教室の様子とかを偵察に来るのが普通じゃない?」
「あんな事をやろうと思った事が無いからな」
「でも、想像はつくでしょ? いざ告白ってなっても、クラスの注目が集まる状況じゃないって事もある。それなのに紗耶は私の知るかぎり一度も教室に来なかったのよ」
「つまり、藤堂も七原の能力を知ってて、能力を回避していた可能性があるって事か?」
七原が頷いた。
「もしかしたら、裏で紗耶を操っている黒幕がいるのかもしれない」
「黒幕?」
「紗耶に今回の告白方法を助言した人がいるんじゃないかって気がするんだよ」
「だとしたら、七原の力で、すぐに分かるんじゃないのか? あの後、藤堂の心の声を聞いたんだろ?」
「そうね」
「藤堂は、どんな事を考えてたんだ?」
「嫌がらせの成功に酔いしれてたって感じね。引っかかりのあるような事は聞けなかった」
「じゃあ、やっぱり黒幕なんていないんじゃないか? 他人の手柄には酔いしれないだろ」
「でも、他人の心の声を聞ける能力者が、ここにいるのよ。だったら、他人の心を操作できる能力者がいても不思議じゃない」
「そりゃあ……まあ、いるかもしれないけど、そいつは何のために藤堂をコントロールしてんだよ?」
「動機って話ね。それを言われたら、分からないって言うしかないけど」
「藤堂が自分より人気がある七原に嫉妬して嫌がらせをした。これ以上、単純明快な話はないんだけどな」
「そうね。でもやっぱり……」
七原は一人で考え込む。
どうしても能力者の犯行だと思いたいらしい。
まあ、自分の能力が藤堂に負けたと認めたくない気持ちは、想像も付くのだが。
「ところで、守川への返事を先延ばしにしたけど、あれはどうするつもりなんだ?」
「ほとぼりが冷めてから返事をするつもりだよ。周りの反応を見ながらね」
七原は普段通り慎重に慎重を重ねた行動を取るつもりのようだ。
「なあ七原」
俺は気になっていた事を指摘する事にした。
「七原は考えすぎじゃねえか? 黒幕とか陰謀とかクラスメートの顔色とか」
「そりゃあ気にするよ」
「うんざりしないか?」
「うんざりもするけど……」
「じゃあ他人の心の声なんて気にしないで、普通に生きれば良いだろ。その方が幸せだと思う。能力なんて必要ない」
この部室での七原を見ていると、本当にそう思うのである。
「私には能力が必要なの。これがないと生きていけない。私は能力が無いと何も出来ない」
七原は頑固に首を振った。
「能力なんて無くても、七原が嫌われるような事は無いと思うけどな」
「駄目。私には無理だから」
話は平行線だ。
七原を説得する言葉を探す。
この七原を巡る問題を解決する鍵は、藤堂をやっつける事ではなく、七原が他人の目を異常に気にしている状態を、どうにかする事にあると思えるのである。
「ねえ、戸山君」
七原が口を開いた。
「私が能力を得た経緯を聞いてくれる? そしたら戸山君も、私の能力が私にとって不可欠なものだって納得できるはずだから」
俺も七原を説得しようとしているが、七原も俺を説得するつもりらしい。
込み入った話っぽくて面倒ではある。
だが、それでも聞かなければならないと思った。
そこに七原を説得するヒントがあるかもしれないから……。
「わかった。聞くよ」
俺がそう言うと、七原は、しばらくうつむき考え込んだ。
そして、自分の思いを確かめるように頷き、顔を上げる。
「私が、この力を得たのは中学二年生の時なの――その頃、私には親友がいた。もともと私の幼馴染みは男子二人、女子三人のグループだったんだけど、中学に入って、男子の一人が別の学校に行ったのよ。そして、男子一人になった守川君と、少し距離が開いた。それでも、女子三人はずっと仲が良かったの」
遠い目をする七原。
「私達はいつも一緒だった。何でも話せるような友達だった。その関係は一生続くものだと思ってた。実際、彼女達とは一度も喧嘩したことがなかったの。彼女達と上手くやれてると信じて疑わなかった」
「違ったのか?」
「うん。ある日突然、何かが変わったの。二人にとって私が大切な人じゃなくなった気がした。だから私は二人に理由を聞いたの。そしたら『実桜のそういう所、うざい』って言葉が返ってきた」
「なるほど。七原が言っていた幼馴染みと色々あったって件だな」
「そう。幼馴染みに見限られ、私は唐突に一人になった。そこで私は気が付いたの、私は一人じゃ何も出来なかった。ずっと二人に頼って、ずっと二人に依存していた。それから、何もかもが上手くいかなくなった。私はクラスで孤立したの」
「幼馴染み以外で七原を気にかけてくれる奴はいなかったのか?」
「そういう人もいてくれたよ。でも、私は誰とも話せなくなっていた。普通に話そうと思うんだけど、言葉が出てこなくて……だから、声を掛けてくれる人は次第にいなくなった」
「教師はどうだったんだ? 何か対処してくれなかったのか?」
「ううん。別に揉めてたってわけでもないし。元々、私が大人しいタイプだったから、気がつかなかったんだと思う」
七原は更に苦々しい顔になった。
「あの頃、私は思っていた。溺れてるみたいだって。息が出来ないから助けも呼べない。あがけば、あがくほど、水面が遠のいていく。そんな感じだった――そしてある日、私は授業中に突然、意識を失ったのよ」
「意識を失った?」
「ええ。目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。倒れたとき、イスから転げ落ちて、額に傷が残ってるわ」
七原が前髪を上げて、俺に傷を見せる。
確かに薄く傷が残っているようだ。言われてみないと分からないくらいの小さな傷である。
「で、両親がすごく心配してくれて、幾つもの検査を受ける事になったの」
「結果は?」
「原因不明。結局、何も分からないまま、熱が下がって退院した。それで、次の週の月曜日から登校する事になったわ。また学校に行かないといけないと思うと辛くて仕方なかった。だけど、学校に行くのが嫌だとは言えなかった」
「何故?」
「家っていう居場所まで、空気が変わってしまうんじゃないかって不安があったから。私は堪え忍ぶ決意をした。そして月曜日の朝、登校したの――学校が近づいてくると、私は不思議なことに気が付いた。近くを歩いていた女の子の声は聞こえてくるのよ――怒っている様子なのに彼女は全く口を動かしていなかった」
「それが能力だったんだな」
「ええ。でも、私には理解できなかった。その出来事に頭の整理がつかないまま学校に到着したわ。教室に入ると、かつての親友が近付いてきた。口では『心配』とか『元気になって良かった』とかい言ってたけど、彼女達の心の声も聞こえて来たのよ」
「そいつらは何を考えてたんだ?」
「最近は実桜と距離を置いてたけど、さすがに今、声を掛けないのは体裁が悪いって」
「中二で体裁か。嫌な話だな」
「でも、彼女達からは重要なことを学べたわ。彼女達は、私が彼女達の顔色をうかがっている事に腹を立てていた。こんな風に究極的に人の顔色をうかがう能力を身につけるまで、それに気づけなかった」
「皮肉な話だな」
「そうね。で、私はまず彼女逹の顔色をうかがっている事を悟られないように努力したの。そしてクラスメート達の心の声を聞きながら、自分を作り替えていった。そこからは他人と関係が全て上手くいくようになったわ。まあ当たり前ね、こんな特別な力があるんだから」
「そんな他人に従属するみたいな生き方でいいのか?」
「いいの。私は、こうやって生きていくことに決めたんだから。これは私の望んで、私が勝ち取った私の能力なんだから」
「依存してるんだな」
「そうね。依存でも執着でも何でもいい。自分の力に依存して何がいけないの?」
七原の話を聞いて、俺は確信を得た――彼女の能力への依存は一筋縄ではいかないだろう。
俺に七原を説得するのは、たぶん無理だ……。
ふと時計に目をやると、昼休みの終わりの時間が近づいていた。
「そろそろ教室に戻る時間だな」
「ねえ戸山君。また放課後も部活したいんだけど、いいかな?」
七原が俺の顔色をうかがう。
今は七原の能力の範囲内にいないので、七原も顔色をうかがうしかないのだ。
「これ以上何を話すんだよ? それより、藤堂をちゃんと監視してないと今日みたいな事になるぞ」
「そうね。じゃあ紗耶の動向次第ね。また紗耶達が行動を起こしそうだったら諦める」
「俺の都合は?」
「話すと楽になるって、よく言うでしょ? 私、あの言葉だけは理解できなかった。話しても惨めなだけだと思ってた。でも、戸山君が、ちゃんと聞いてくれるから……」
「わかったよ。考えとくから」
七原が、あまりにも申告な顔でいうので、そう言うしかなかったのである。
「ありがとう。戸山君って、意外と優しいよね」
俺は、その言葉を受け流した。これが優しさでも何でも無いからだ。
どうやって七原の件を早く処理するか、俺は、それしか考えていないのである。
「じゃあ戸山君は、先に教室に帰ってて。顧問の田畠先生に部室の鍵を返しに行かないといけないから」
俺は頷いて、先に部室を出た。




