部室
昼休み。
俺は一人で部室に向かっていた。
二限目終わりの休憩時間に七原が俺の机の前に来て、『お昼に部室で』というメモを残していったからだ。
部室に向かう道すがら、朝からの事を考える。
朝の告白以来、教室はザワつきっぱなしだ。
守川に話しかける奴がいないのは普段通りだが、今日は七原に話しかける奴もいなかった。
七原の言っていた結界が、どういうものか理解できたというところだろう。
部室のドアを開くと、七原は椅子に座っていた。
その前には弁当箱が開かれている。
うつむいて考え事をしていたようだ。
七原が顔をこちら側に向けた。
「ああ、戸山君。来てくれて、ありがとね」
思っていた以上に落ち込んでいるようだ。
何を言うべきか思い浮かばず、ただ頷いた。
「戸山君、お昼は食べた?」
「もう食ったよ」
「そうなんだ。じゃあ少し待って。私も、もうすぐ食べ終わるから」
とは言うが、七原の弁当は、まだ手が付いてない状態のようだ。
「いいのか? こんな所で昼飯なんて、部室の私物化だろ」
「いいの。私しかいないんだから」
「七原しか?」
「うん。文芸部は部員一名の部活なの」
「へえ。そんな部活あるんだな」
「部活を作るときには最低五人は必要なんだけど、いったん出来てしまえば、誰もいなくなるまで消滅しないの」
「そんなシステムなのか」
一人でも許される部活があるのなら、俺にも部活が出来るなと思う。
しかし、よく考えれば、その部活は誰かから引き継がないといけない。
やはり、俺には永久的に縁の無い話だ。
「何で七原はこんな地味な部活をやってるんだ?」
「一人になる場所が必要だから……」
なるほど。
七原は能力の所為で、他人に気持ちを押しつけられ続けているのだ。一人になりたいというのも当然なのだろう。
「で、そこに何で俺なんかを呼んだんだよ?」
「また戸山君に頼みたい事があって」
「また頼み事か。俺は役立たずだったろ?」
「あれは仕方ないから。朝の教室で告白するなんて予想も付かないでしょ」
「だけど、今振り返れば、守川が七原の席に着くまでに何か出来たかもしれないって思うんだよ。守川を無理にでも外に連れ出す、とか」
「そうかな。私は無理だったと思うよ。私達は完全に意表を突かれてたんだから。それに、起きてしまった事を、今さら変える事なんて出来ないし」
「たしかに」
「って事で、あの件の後処理も含めて、これからも戸山君に協力して欲しいってのが私の頼みだよ」
「はあ? 藤堂の嫌がらせは成功しただろ。もう満足してるはずじゃないか?」
「また、とぼけるのね……戸山君。本当は全然、そんなこと思ってないでしょ」
七原が真っ直ぐ、俺の目を見てくる。
正直な所を聞かせてくれという事だろう。
「昨日、七原を庇った笹井と柿本が、今日は七原を嘲笑ってた。つまり、あいつらは昨日の間に藤堂に取り込まれてたって事だ」
「……だね」
ちなみに、子分Aが笹井瑠華、子分Bが柿本麻衣である。
「昨日の放課後、藤堂が意思表示したんだろうな、七原と敵対するって。藤堂は七原の人気を落ちるところまで落とすつもりなんだろう」
「そこまで予想してるのね」
「ちょっと注意して見てれば、想像が付く事だよ――だからこそ俺は、はっきりと断るつもりだ。こんなエグい争い事に巻き込まれるとか有り得ない」
「却下」
却下された。
即座に却下された。
「でもさ。この件は俺じゃないと駄目って事でもないだろ。それこそ他の奴が良いと思うぞ。もっと人間関係が得意な奴とかにすればいい」
七原が不満げな顔で口を開く。
「じゃあ戸山君は誰がいいと思うの?」
「やっぱり委員長かな」
「また委員長?」
「話が長いのが欠点だが。あれで人望もあるし。人付き合いも得意だろ」
「そうね。委員長は適任者だと思う。でも、それは出来ない。私に協力する人は、その人まで紗耶に嫌われるっていうリスクを背負う事になるんだし」
「俺なら嫌われてもいいのかよ」
「戸山君に、その心配なんてないでしょ?」
まあ、たしかに七原の言う通りである。
俺は底辺なのだ。これ以上落ちる心配なんて無い。クラスの中で唯一、俺だけにリスクが無い。
「そもそも何で俺って、こんなに嫌われてるんだろうな」
「私も紗耶に戸山君を嫌ってる理由を聞いた事があるよ。そしたら、理由を数えたら、軽く三桁は超えるなんて言ってた」
「絶望的な数字だな」
「そうだね……圧巻だったよ」
七原は、ぐったりといった顔で答える。
「全部聞いたのか?」
「ううん。64個目でギブアップした」
「結構がんばったな」
「ええ」
「ちなみに64個目は何だったんだ?」
「文化祭の準備に、まったく参加しなかった事」
「23個目は?」
「授業で紗耶が当てられて、答えを間違った時、鼻で笑った事」
「8個目は?」
「顔」
「1個目は?」
「全部」
「一個目に全部って何だよ。それは最後の奴だろ」
「基本的に全部嫌いって所から話が始まるの」
「どうしようもねえな」
「そうだね。どうにもならない。ちなみに紗耶に言わせれば、遠田さんも紗耶に負けないくらい戸山君を嫌ってるらしいよ」
七原は遠田彩音の名前を出す。
俺や藤堂の一年の時のクラスメートで、藤堂の子分の一人である。
「遠田が?」
「そう。遠田さんは戸山君の話題になると、一気に無表情になって何も話さなくなるらしいの。そして、少なくとも一日は不機嫌になるらしい――戸山君、遠田さんに何したの?」
「まったく心当たりがないんですけど」
「何かしてるはずでしょ? じゃないと、人は、そんな風にならない」
「具体的に何々の件とか言われれば、思い出すかもしれないけど。基本的には思い当たる節が無い」
「そうなんだ」
「だけど、嫌われてるのは嫌われてるんだと思うよ。他人に嫌われるような事を平気でやるって自覚はあるからな」
「その自信ってどうなのよ」
七原は呆れ顔で言った。
「自信じゃない。あくまでも自覚だよ。細かい事だけど」
「とにかく、その話の真偽を確かめたかったから、遠田さんとじっくり話してみたいって思ってたの。もちろん、不機嫌になるのは覚悟の上でね」
「何のために、そこまでするんだ?」
「戸山君のためだよ」
それは意外な答えだった。
「はあ? 俺のため?」
「そう。戸山君も紗耶達と関係改善するべきだと思うから」
「何でだよ」
「紗耶は、戸山君のある事ない事を吹聴して回ってるんだよ。例えば、女子生徒に平気で暴力を振るうとか」
「そんな訳ないだろ!」
「公園で中学生をバットでボコボコにしてたとか」
「はあ!?」
「闇の組織と繋がってるとか」
「どうかしてるだろ」
「その実、ただのコミュ障の半ひきこもりだとか」
俺は溜息をつく。
「最後のは別に否定しないけど――それ以外の三つは耳を疑うような話だな。闇の組織って何だよ」
「でも、本当にそんなことがあるのかなって思うくらい真に迫った話だったよ」
「闇の組織が? 俺って、そんなヤバい奴に見えるのか?」
「私は戸山君の心の声が聞こえるから、戸山君が常識の通じる人だって知っている。でも、他の人は、そうじゃないでしょ?」
「たしかに。このまま藤堂を放置してるのは危険な気がしてきたな」
「だよね。その噂が先生達の耳に入ったら、問題になるかもしれない」
教師に伝われば『火のない所に……』とか言われて、詮索されるだろう。
それは避けておきたい。
「そこで戸山君に提案があるの」
七原は急に目を輝かせ始めた。
何か名案を思いついたようである。
となると俺は、こう答える。
「……よかったな。じゃあ別の話をしよう」
七原にとって良いアイデアは、俺にとって面倒事に違いないのだ。
「聞いてよ?」
「聞きたくない。何故か無性に聞きたくないんだ」
「聞いて。戸山君も文芸部に入部して欲しいの」
「はあ? 何でだよ? 一人になれる場所が必要って言ってただろ」
「厳密に言えば、私は他人の心の声を聞かずにすむ場所さえ確保できればいいの。戸山君は私の能力を回避する方法を知っている。だから、戸山君がいても構わない」
「俺の方には理由がないだろ。本も読まないし」
「大丈夫。この部活は、戸山君と私が、紗耶の対策を話し合う場になるから」
「それって本格的な私物化だろ」
「そうね。それは否定しない。でも、この部活は部費を貰ってるわけじゃないし、問題は無いはず」
七原は平然と言い切る。
「でも、私物化は私物化だろ。ルール違反だ」
「じゃあ、分かった。それなら、ここは今日から能力者を守る為の部活に生まれ変わる」
「はあ?」
「私物化が問題なんでしょ? だったら、能力者全体が対象という事にする」
「いや、それはそれで違うっていうか――何で面倒事が増えるような事をしないといけないんだよ」
「部長の私が決めた事だから」
「俺は関係ないからな」
「紗耶を何とかしないといけないと思ったんでしょ? 私と協力する。それはつまり、戸山君がこの部活に入るって事だよ」
「藤堂を黙らせれば終わる話だろ。そんなに長引かせるつもりはないよ」
「黙らせるって具体的には、どうするつもりなの?」
「もう、俺か七原のどっちかが藤堂を角材でぶん殴るってのはどうだ?」
「そんな訳にはいかないでしょ。面倒は出来るだけ掛けないようにするから部活にしよ」
「何で入部がメインの話になってるんだよ」
「部活ってのは、ただの思いつきだよ。私は戸山君と持続的な協力関係を築きたいの。だから、入部届という契約書が欲しい」
嫌だな。契約書とか言い出してるよ。
一度噛みついたら離さない的な生き物のようだ。
「大丈夫。私は戸山君の協力に見合うだけの結果を出す。私には能力が有るんだから。もちろん、お礼だってするし」
「お礼?」
「そう。お礼」
とは言うものの、七原も、まだ具体的なアイデアを思いついてないのだろう。
「えーと……」
七原が周囲を見渡しながら考える。
あるのは机と弁当箱だけの何もない教室だ。
見渡したところで……。
しかし、すぐに七原の表情は明るくなった。
何かを思いついてしまったようだ。
「私が戸山君にお弁当を作ってあげるってのはどう?」
「いらねえよ」
「何で?」
「材料費の請求とか、色々面倒だろ」
「お礼なんだから、材料費は取らないよ。男の子って、そういうの嬉しいんじゃないの? 私、料理だけは自信があるの。ほら、この卵焼きとかフワフワだし。彩りも綺麗でしょ」
「ああ、まあ確かに」
「まずは味見してよ。そしたら、戸山君の気持ちも変わるかもしれないし」
七原は弁当箱を俺の方に向けて見せる。
「いらない」
「なんで? 私はまだ食べてないから大丈夫だよ」
「俺はメシ食った後だぞ。いらない」
「別に全部食べろって言ってるわけじゃないんだから」
「俺って手作りとかを嫌がるタイプなんだ」
「衛生面は大丈夫!」
「じゃあ食品衛生の講習とか受けてるのか」
「受けてないけど。ってか、それは細かすぎるでしょ」
「好き嫌いも多いんだよ。だから、いい」
「好きなのを選べばいいから、ほら」
「俺、味覚が変って言われるんだ」
「合うか合わないかは、食べてみたら分かるでしょ」
それを言われると、反論できない。
七原の弁当を見ると……たしかに、おいしそうだ。
思わず、ごくりと唾液を飲み込んでしまうくらいには……。
「もう、なんでそんなに意固地になってるのよ?」
「意固地になってるのはお前だろ」
俺がそう言うと、七原は弁当箱から卵焼きを箸でつかんだ。
「じゃあ食べさせてあげる」
「はあ!?」
「箸も、まだ使ってないから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃねえだろ」
遅々として進まない交渉にシビれが切れたようだ。
直接的な行動に出てきやがった。
「こういうの嬉しくない?」
「嬉しくねえよ」
俺は反射的に、そう答えてしまう。
それに七原はカチンときたようだ。
卵焼きを箸でつかんだまま、じわじわと俺に近付いてくる。
「おい。何だよ。やめろって」
俺は思わず後ずさりしてしまう。
昨日と同じく、三歩下がると、壁に背中が当たった。
またしても、追い詰められてしまった。
そして七原は、俺の顔に箸を近づけてくる。
懐かしの壁ドン。
そして、懐かしのアーンなのである。
「正気かよ。こんな所を誰かに見られたらどうするんだよ」
「大丈夫。この教室は他の教室からは死角になっていて見えないの」
「そんな問題じゃねえだろ」
「味見をして欲しい。それだけなの。さ、口開けて」
「だから、いらないって」
七原は本当に至近距離というよな所まで近づいてくる。
そんなに近づくと……鼻をくすぐる、いい匂いがする。
「ほら、おいしそうな匂いでしょ」
そうだな。いい匂いだ……それだけじゃなく、女子特有の良い香りがする。
――いつの間にか七原が、教室の反対側の黒板まで後退していた。
「ちょっと何考えてるのよ!」
七原は急速に顔を赤くしていく。
ころころと表情が変わる七原は面白い。
こうやって本性を見せたなら、たとえ今とは別の形だとしても、クラスで一番の人気者になると思う。
「仕方ないだろ。あんな距離に来られたら、意識してない女でも、そうなる。男子高校生って、そういうもんなんだ」
「とにかく。これからは、戸山君も部員だから」
「一気に話を進めすぎだろ。嫌だと言ったら、どうするんだ?」
「強制は出来ない。でも、それなりの覚悟はしておいて」
「何をするって言うんだよ」
「戸山君の秘密を暴き出して、世界に向けて発信するわ」
「あまりにも汚ねえだろ。脅迫かよ」
「そうね。脅迫だね。それでも構わない」
そんな手に出られたら、弱腰・逃げ腰・及び腰を座右の銘とする俺は、すんなりと諦めるしかないのである。
「わかったよ。入部するから」
俺の言葉に七原は笑顔で頷いた。
「最初から、部活にしてれば良かったんだね」
こうして俺は、文芸部という闇の組織に所属する事になったのである。