EP08:拉致監禁ってとっても簡単!?
その男は落ち着いた服装に身を包み、なんとなく前世界で言うセールスマンっぽく見える。
見掛けの年齢は三十台頭程度だろうか、落ち着いた、渋い雰囲気の人族だ。
だが、その茶色の瞳に浮かぶのは、残酷そうな色。自分以外の事などどうなっても気にもしないクズ野郎の臭いがプンプンしている。
「さて、先生。ここなら誰かに聞かれる心配はないだろう。早速だが、仕事の話だ」
「……」
男が薄ら笑いを浮かべつつ滑らかに話し出すが、イシュタルは黙りこくっている。上目遣いの視線で、不快さを隠そうともしていない。
「仕事は二つだが、何、大した事じゃない。ひとつは、君が担当している入院患者……先日、ビルシュタイン公爵令嬢を暴走魔動車から助けたあのヒーローくんの事だ」
男の言葉に、イシュタルがピクリ、と反応した。
「……彼がどうしたというのだ」
「うん、彼の食事にこれを入れてくれ。それだけだ」
男は胸ポケットから小さな茶色のビンを取り出し、目の高さまで上げて見せた。
「……毒か?」
「君が知る必要は無い。言われた通りにすれば良い」
男はそう答えると、一歩足を踏み出してイシュタルにビンを渡そうとする。
イシュタルは一瞬迷いを見せたが、渋々といった風情でそのビンを受け取った。
その茶色いビンに、北斗は見覚えがあった。
(脳幹支配薬か……)
それは、かつて北斗がアリオスであった時、定期的に投与されていたものである。
魔道を用いて生成されるこの薬は、投与された者の脳幹の働きを支配し、行動を操る魔薬。一回や二回投与されても多少気分が悪くなる程度だが、幼少時から継続投与されると、本来の精神を残したまま行動を操られてしまう恐ろしい魔薬だ。
この薬はほとんどすべての生物に作用するので、王家の乗っ取りに使われたり、ドラゴンの幼生などを捕らえて騎乗用にするなどとして使われている。
但し、精製には高度な魔道技術と豊富な魔力が必要となる。
現在、精製を可能にするのは、北斗が知る限りでは数人の人族魔道師。その中で、直接面識があるのは……
(暴虐の魔女――ゲリュシュリュー・マルケニアス!)
北斗は、アリオスの記憶から一人の妖艶なる女魔道師を引き摺り出す。その女こそ、かつて幼きアリオスを卑劣な手で捕らえ、操り人形に墜とした張本人であった。
種族は人族。出身は北限の帝国ローレリア。年齢は不詳だが、恐らく100歳を超えている。
しかしその外見はエルフのように老いを知らず、数十年前から二十代後半程度のまま変化が無い。
(という事は、あのケーメロン族は……)
ゲリュシュリュ―の配下かつ、忠実な猟犬。
(イグアニス・バリゴ、か)
魔女の指揮で闇の世界を蠢く男。ヤツが直接的・間接的に殺めた者の数は万を超えるのではないだろうか。
それも、殺す相手をいたぶり尽くす異常なる弑逆心の持ち主で、残虐性で右に出る者は居ない。
特に佳い女をいたぶり殺すのを無上の歓びとしているので、ヤツから見ればイシュタルは最高の獲物だろう。
ただし、職務に対する絶対の冷徹さも兼ね備えているので、必用の有るうちは絶対に害する事はない。
その証拠に、現在イシュタルに向ける瞳は極めて冷静で、薄汚い情欲など欠片も見せていなかった。
(イシュタル先生の記憶に有ったイグニアスは、いつも外見が違っているからな。それでは尻尾も捕まえられないだろう)
イシュタルがこの男と繋がっているのは、一重に娘の、フリューイアの為である。
有りがちと言えば有りがちだが、彼女は愛する娘を人質に取られ、脅されているのだ。
この病院に勤務するようになったのもゲリュシュリュ―からの指示によるもので、彼女が自分の事を籠の鳥、などと表現したのはそこから来ている。
イシュタル自身、なんとか現状を打破しようと密かに動いてはいるが、深く絡まった悪の糸はそう簡単に打ち払えるワケも無く。
(ま、俺が俺になったからには、さっさと片付けてやるさ。何と言っても、イシュタル先生には俺のハーレムで第一夫人になってもらわねば)
危険な状況の中、お気楽極楽な思考でほくそ笑む北斗。
もっとも、イシュタルがハーレム第一夫人に納まってくれるかどうかは当然の如く未定だが。
(イシュタル先生も子持ちとは言え、処女懐妊だから男性経験そのものはないからな……ウヒョー! 子持ち爆乳処女とか何というレア物件! ふぉぉぉぉ! 滾ってキター!!)
なんという外道。北斗はイシュタルとシンクロした際、フリューイア懐妊の経緯まで知ってしまったのだ。
そう、イシュタルは男性経験のないまま、フリューイアを妊娠、出産している。これは、アルタトゥム・エルフィンに極稀に起こる事象で、その際に生まれて来るのは特殊なエルフィン……シュバルト・エルフィン。もしくは、ヴァイツ・エルフィンである。
シュバルト・エルフィンはチョコレートの様な黒い肌と朱い瞳、白金の髪を持つエルフィン。
そしてヴァイツ・エルフィンは雪の様に真白な肌と紅い瞳、ライムグリーンの髪を持つエルフィン。
どちらもエルフィンとしての能力が桁違いなのは同じだが、それ以上に黒と白、それぞれの特徴を持つ強力な特殊能力を持って生まれてくるのである。
だが、その特殊能力の差により、ヴァイツ・エルフィンは神の愛し子として崇められ――
シュバルト・エルフィンは悪魔の申し子として忌み嫌われるのだ。
イシュタルが故郷の森を出たのも、フリューイアを守るためだったのである。
……そんな事とは関係なく、北斗は妄想の中でイシュタルとラヴラヴエッチを楽しんでいた。アホが。
(っと、妄想、いや将来の展望は後にして……今はそれどころじゃない)
イシュタルの爆乳を背中に感じた時の事を想い出し、デュフフグフフと涎を垂らしていた北斗はなんとか自己再機動を果たし、二人の会話に耳を欹てる。
すると、なにやら穏やかでない話に突入しているようだった。
「は……? ふざけるな! なぜ、そんな事を……)
「君に選択権は無い、と何度言えば理解してくれるんだ。アルタトゥム・エルフィンである君がそこまで愚かなわけはあるまい」
「しかし……!」
「もう一度言おう。 もう一つの仕事は、ヒーローくんが救ったお嬢様を殺す事だ。意味は解るな?」
「く……」
憎々しげにイグニアスを睨みつけるイシュタル。
だが、北斗はある程度この事態を予測していたのでそれほど驚かない。
(まあね。まさか奴等もまさか俺が……アリオスがカレラ嬢暗殺を失敗、と言うより邪魔するとは思わなかっただろうしな)
そう、アリオスが受けていた指令とは、魔動車との事故に見せかけてカレラを殺す事だったのだ。
魔動車に乗ったイグニアスが暴走して、王立王都病院へ診察に訪れたカレラを跳ねて殺す。
その際にカレラを怪我だけで済まさせず、確実に殺す為のサポートとしてアリオスも派遣されていた。
王立王都病院はその特性上、治癒や治療以外の魔道・魔法がほぼ無効化される結界が張られている。
また、患者の安全確保及びテロ防止の観点から魔動車を始めとする乗り物はすべて敷地外の指定場所に停める事となっていた。
よって、敷地外から病院敷地内への僅かな距離が暗殺場所として選ばれたのだ。
また、カレラの死は飽くまでも事故でなければならない、との依頼であった。
さすがに誰が依頼したかまではアリオスに知らされなかったが、カレラの立場やビルシュタイン家の事情を鑑みれば、王族もしくはその近しい者からの依頼であると推測は出来る。
今回の仕事は、イグニアスとアリオスと言う、ゲリュシュリューとって置きの切り札二つを動員しての一撃必殺計画。成功して当たり前の計画だった。
しかし、アリオスの邪魔により、まさかの失敗に終わったのだ。
これまで、数多の汚れ仕事を遂行させられてきたアリオスだったが、このカレラ暗殺の前に行わされた仕事は特に凄惨極まるものであった。
もうこれ以上、殺しの道具になりたくない――
アリオスは慟哭し、己を解放する手段を探り……一つの回答を見出した。
自死する事さえほぼ不可能なほど困難を極める程の支配状態だが、仕事本番の僅かな間のみ、支配が緩められる。完全に脳幹を支配されたままでは、アリオス本来の動きや技が発揮できないからだ。
その一瞬をついて、己の魔道力を脳幹に集め、破裂させる。
それが、唯一見い出せた可能性。アリオスにとって、最後の抵抗手段だった。
そしてアリオスは実行した。
また、己の脳幹を破壊し、死に至る一瞬の間にカレラを救う時。己の死をより確実なものとするために、イグニアスの操る暴走魔動車に跳ね飛ばされたのであった。
「殺し方は、医療事故に見せかけてやれ。カレラ嬢の次の診察は明後日だったな。その時、点滴を間違えればいい。もっとも、君がそんな凡ミスをすることは有りえないから、おっちょこちょいの看護士にでもやらせればいい」
「……我が病院におっちょこちょいの看護士などいない!」
北斗が様子を見ていると、イシュタルが激高した。
「居るじゃないか、あのデミ・エルフの娘だ。チェイニーとか言ったか」
「っ! チェ、チェイニーくんは確かに粗忽でうっかりするところも有るが、仕事は真面目で凡ミスなどしない! と思う……」
イシュタルの言葉に、北斗はまるでフォローになってませんよ、と心の中で突っ込んでおく。
イグアニスはニヤリ、とイヤらしく笑うと鼻を鳴らした。
「フン、何と言おうと賽は投げられたんだ。もっとも、アイツがしくじらなきゃとっくに片付いていたんだが……何だってあんな失敗をしたんだか。とにかく、やってもらう。良く考えろ、例え医療事故でカレラ嬢が死んでも、この国の法ならばチェイニーとかいう看護士が死罪になる確率はそれほど高くない。だが、君が仕事をしなければ君の娘は確実に死ぬ。それも、マダムの手に拠ってこれ以上なく惨たらしく、ね。先ほど選択権は無いと言ったが訂正しよう。好きな方を選ぶと良い」
「くっ……!」
マダム、とはゲリュシュリューの事である。あの魔女は、肉体と精神を地獄の魔皇・ドルフレングに捧げ、その妻を名乗り力を得ている。
(相変わらず最悪だな、あの野郎)
北斗は内心で毒づきながら、どう対応するか考える。
(恐らく、今回の仕事が終了するまでイグアニスはゲリュシュリュ―には報告や接触をしないだろう。なにしろ俺の失敗だけでも大失態だ。元々ゲリュシュリュ―は結果を重視するヤツだから、任務成功さえすれば大して叱責はされないだろうしな)
「……よし、決めた。拉致監禁して痛めつけ、可能な限りの情報を引き出してから殺そう」
そう北斗は判断した。イグニアスはゲリュシュリュ―の腹心と言っても良い存在であり、いくら強いとは言っても繰人形同然のアリオスには知らされない情報も持っているからだ。
そして……
「ぶっ潰す。組織も、ゲリュシュリュ―も」
それこそが、かつてアリオスが渇望した事であったから。
「そうと決まればチャッチャとやっちまおう」
イグニアスは、血が出るほど唇を噛んで俯いているイシュタルを下卑た笑いで見つめている。
カンが抜群に優れていて動きは素早く、戦闘力もかなり高い男では有るが、しょせんアリオスの敵ではない。
しかも、この状況での不意打ちならば反応も出来ないだろう。
(では、チョイッと……)
北斗はそれなりに力を抑え、イグニアスの背に廻り首筋をチョップで叩き、昏倒させるつもりだった。
「拉致監禁ってとっても簡単ですよ、っとぉぉぉっ!?」
鼻唄交じりに飛び出し、イグニアスの後ろに廻り込む。だが……
「な、なんだこりゃ!?」
北斗の思ったよりも、数百倍の速度で肉体が動いた。
イグニアスの背後で停止した時、ダン! とついた右足のカタチに床が凹む。
「っとおおおおおっ!?」
そして狙いは違わず、イグニアスの首筋へ北斗の左手刀が直撃し――
キン!
まるで、硬い金属が打ちあわされた時に鳴るような音と共に、北斗の手刀は空を舞った。
「え……きゃっ!?」
全てが終わり一秒ほどしてから、イグニアスの背後に突然現れた北斗に驚いたイシュタルが可愛らしい悲鳴を上げる。
「あ、あれ?」
目の前には、イグニアスの背中が有る。そしてその上にあるはずの首が、無かった。
次の瞬間、ぷしゅっ、とシケた音を立て、イグニアスの首が有った筈の場所から、紅い噴水が吹き上がる。
「え……?」
手刀を振り切った態勢のまま、混乱する北斗が己の手刀に目をやると――
そこには、下卑た笑顔を張り付かせたまま、やたらと目玉の大きいトカゲの生首が載っていた。
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